第二十話――天使と聖戦士

 エル・ガイウス神聖国首都エル・キャピタン〈中央大教会〉の全高二千メートルにも及ぶ建築物の内装は、巨人の住居に迷いこんだと錯覚させる広さだった。

 大河を思わせる幅の廊下、高層ビルを建ててもなお届かぬほど高い天井。

 いったいどれほどの時間と労力をかけたらこんなものができあがるのか想像すらも覚束おぼつかぬ、壮大華麗な彫刻や宗教画、ステンドグラスが延々と続く茫漠ぼうばくとした空間を、縦横無尽に羽つきの生物――天使たちが、せわしなく飛び交っている。


 天使長フロセルビナの聖堂から正門に到る中央回廊を歩く、ひとりの男の姿。

 染みひとつない純白の外套マントに身を包んだ男――〈聖戦士〉ことユリウス・エルザレム。

 そんな彼に背後から迫る、一体の天使の姿が、あった。

「サーマ、といったか。気配を断って近寄るのは感心しないな。殺されても文句は言えない」

 ユリウスは腰に下げていた、黄金の派手な装飾の施された剣に触れ、鋭い眼で警告する。

 そう、天使の正体はかつて堕天男ルシファー看守ははおや役を務めていた、〈罰の天使〉サーマ。

 天使社会には九つの階級が存在し、彼女は上から四番めの〈主天使〉に該当する、それなりに高位の天使だ。

 魔法なしには空を飛ぶこともままならぬ人類ユリウス嘲笑あざわらうように周囲を飛び回り、見下しながら、嫌味たっぷりの笑顔で、サーマはこう言った。

「人間風情があ〜、魔族たち相手にちゃあんと戦えるんですかあ〜? と、心配してあげてるんですよお〜。私たち天使に全部任せて、教会に引きこもってても良いんですよお〜?」

「何だ、そのバカ丸出しのしゃべり方は。第三世界に長居しすぎてけてしまったのかね」

 ユリウスの返答に、サーマの顔に張りついていた笑みが消失。

 その黄金の瞳の中央で輝く十字架が、禍々しい殺意を放つ。

 だが意に介さず、ユリウスは続ける。

「忘れたなら、改めて教えてあげよう。教団内では、人間も天使も等しく神の下僕しもべ。あくまで立場は平等なのだ。つけあがるんじゃない」

「――笑止。脆弱な人間風情が、我ら天使と対等のつもりか。平等なのは表向きであり、人間の管理はそのほとんどを我々天使が執り行っている。分際を弁えよ」

 第三世界の人間〈黒野沙麻くろのさーま〉としての仮面を取っ払ったのか、彼女は別人のように抑揚のない声で冷たく述べた。

「御二方、まあ落ち着いてください」

 膨れあがった両者の殺気を感じとったのか、デカトリース――サーマと同じくかつては職場の上司として堕天男の管理を司っていた天使が、間に入り制止する。

「今作戦の責任者はフロセルビナ様です。ユリウス卿と我々の共闘を決められたのも、あの御方。きっと我らには想像も及ばぬ深慮あっての御采配でしょおう」

 デカトリースの階級はサーマと同格の〈主天使〉であり、その背には人間時代に使って愛着がわいたのか、社会人精神注入棒があった。

 そんな彼の静止を無視して、ユリウスをまるで地をうアリのように見下すサーマは、続ける。

「脆弱な人間の力など借りずとも、こそこそ逃げ回るだけの小蠅コバエなど我々天使のみで充分なのだ。せいぜい足を引っ張ってくれるな」

 その言葉に、ユリウスは皮肉な笑みを浮かべた。

「〈特異対象L〉を魔族に奪われた無能のくせに、ずいぶん大きな口を叩くのだな」


 直後――錯覚か、回廊全域に充満する、強烈な熱気。

 おそらくはその発生源であるサーマの、みなぎる殺意のこもったその手が。

 ユリウスの顔面に向けて、伸ばされた――


 圧倒的な破壊力を持つ神の力の行使である〈神法〉は、非常時以外はその使用を禁止されている。

 だがそれでも、天使の握力は人間の頭などたやすく粉砕する。

「おっとおっと! 短気はダメですよ。サーマさん。〈大教会〉内での殺しあいは御法度です。またフロセルビナ様に解体バラされますよ」

 サーマの手が掴んだものはユリウスの頭ではなく、デカトリースの社会人精神注入棒だった。

 天使の握力でもびくともしないあたり、ただの木刀ではなさそうだ。

「う〜! それでもこいつ殺したいの〜! こいつを殺して私も死ぬ! いいからどいてよ! う〜う〜!」

 サーマもまた第三世界に長居しすぎたのか、冷徹な殺戮機械天使としての顔はすでになく。

 顔を真っ赤にして「そこをどけ」と、彼女はデカトリースに殴る蹴るの暴行を加え始めた。


「ダメです。ウボッ」

 無抵抗のデカトリースの腹にサーマの貫手がズブリ! と、突き刺さり。

 そのはらわたを、グチュグチュと、引っ掻き回す!


「あっ。そんな、ブヘッ。お、おやめ、ブボッ。なさいったら。あっ。ウボォッ」

「勝手にやっていろ」

 呆れ気味にため息をつき、ユリウスは任務を開始すべく、大教会を後にした。

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