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 水溜りを蹴り上げ少女が歩く。赤い雨合羽を纏った彼女は自らを案内人だと名乗り、付いてこいと言ったきり振り返りもせず突き進んでいく。

 ああ、本当に文字通り突いて進むのだ。行き止まりの壁があろうが視界を塞ぐ巨木があろうが建造物が立ち塞がろうが小柄な少女は意に介そうともせず、己が拳を一突きし、ただそれだけで道を切り開いては瓦礫を蹴飛ばし、進めない道などこの世にはないと荒々しく通路を作り上げていく。


 到着したのは廃病院。だと思われる場所。恐らくそのはず。診察室やら待合室やらの案内表示からしかその名残は窺えないが。

 地から壁から天井から何から何まで赤一色で統一された目に一切の休息を許さない一連の空間にはところどころこれまた一等明るい装飾が散りばめられ、唯一、気力をなくした非常口の標識だけが僕に逃げろと囁いていた。


「絶対罠ですってこれ」

「何のだよ」

「秘密組織とか」


 謎の集団に付け回されるような記憶はない……こともないが、恐らくササの見立ては間違っている。

 なぜなら、一帯に充満している消毒液と線香の入り混じったニオイには少なからず心当たりがあるからだ。

 先を行く雨合羽の少女が集中治療室の扉を蹴り開ける。


 室内にいたのは顔見知りのなんでも屋、ヨモツだった。珍しいこともあるもので、普段身に着けている厚手のフィールドパーカーは白衣に代わり、口元を覆うマスクも外していた。


 しかし。


「しばらく見ない間にずいぶん増えたな」

「や、やあ。ミトカワくん。見ての通りだよ。ドッペルゲンガーってやつを、捕まえたのさ」


 部屋の中には三人のヨモツがいた。一人は布の猿ぐつわを噛まされた上に両手両足を縄で縛られ床に転がされており、もう一人は……僕と対話するヨモツの背後で首を吊っていた。そのどれもがここから見た限りでは僕の知るヨモツその人の容姿であり、確かに同一人物と言われてもおかしくはないように思えた。


「この私は少し目を離した隙に……うん。死んでしまってね」

「全員死んでしまえばいいのに」


 物騒なことを小声でつぶやくササ。この世に遺恨を残し留まり続ける悪霊の姿を視認できず、声も聞くことができないヨモツは気にする様子もなく「ミトカワくんにお願いがあるんだ」と話を続けた。


「お願い?」

「そ。そう。とりあえず、理由は聞かずに私達を殺してくれないかな」


 赤い雨合羽の少女が服の裾を引っ張ってくる。彼女は柄の長い金属製の頭を持ったハンマーを渡してきて、再び入り口の扉へ場所を移して微動だにしなかった。

 ……これでやれということなのだろうか。


 一息をつく。

 特に拒否する理由もない。僕はヨモツを殺すことにした。


 手始めに寝転がされているヨモツに対象を定める。両の目を見開き拒否するように身体を揺すって逃げようとするが、縛られているためか思うようには動くことができず、特に難なく頭を叩き潰すことができた。念のために首から下も叩き、もう一度頭も叩いておく。

 次に、ぶら下がっているヨモツを縄からほどいて大型のハンマーを振り下ろす。死んだふりをしている可能性もあったからだ。念には念を。その必要はなかったらしいが。まあ、死んでいるならそれで良いのだ。

 場所を移動し、次に殺すのは部屋の中央の電動ベッドに腰掛けているヨモツ。話していてもどこか虚ろげで呂律も回っておらず、正直なところ警戒していたが決して反抗することはなく、何度か叩いているうちに動かなくなった。


 さて。

 ヨモツを殺してくれという話だが、僕はこいつも殺すべきなのだろうか。

 残る一人を振り返る。


「おっと、私を殺す必要はないよ。ほら、見てくれよ。こんなにか弱い姿じゃないか」


 僕の凶行に対して微動だにせず、むしろ面白そうに様子を眺めていた存在。ヨモツを忌み嫌うササも時折声援にも似た声を掛けてきていたが、それ以上に殺戮を楽しんでいた存在。

 赤い雨合羽の少女――ヨモツは、深く被ったフードを外して声を上げて笑った。


「これはなんだ?」

「言っただろう。ドッペルゲンガーを捕まえたんだよ。知っているかい? ドッペルゲンガーってのは見つかったら死ぬ、いや、死ぬべきなんだよ」

「僕が殺したのはお前によく似た赤の他人だろ」

「そうだよ? いやあ、苦労したよ。意外と似てる人っているものだね。でも似てるのは見た目だけだった」


 僕が殺した三人は誰一人としてヨモツに同調せず、死んでくれと言っても死んでくれなかったため仕方なく縛ったり投薬したりと策を凝らして連れてきたとヨモツは語った。


「なぜ僕に殺させたんだ?」

「そりゃあ、ご覧の通り私はかわいいからね。かわいい顔を潰すなんて私がかわいそうじゃないか」

「……その姿はどうした。そこまで小さくなかったろ」

「キミが最後に殺した私の子だよ。私の子ということは、私に似るかもしれないってことだから殺して借りた。よく見るとあんまり似てなかったけどね。父親似なのかな? あ、そういえば母親に嘘ついちゃったな。台本の通りに話せば子は見逃すって言ったのに、とっくに死んでたね」


 ヨモツはどこからか封筒を取り出し、報酬だよと押し付けてきた。


「いやいや、助かったよ。ササくんとおいしいものでも食べたらいい。おっと失礼。ササくんは死んでいたんだったね! 線香でも持っていってくれよ!」


 腹を抱えて笑うヨモツをよそに、今にもポルターガイスト現象のひとつでも起こしそうなほどに憤るササを無理矢理に説得し部屋を出る。

 廃病院からはいつの間にか赤い空間は忽然と消え失せ、ただの荒れ果てた廃墟と化していた。

 もう必要がないからとついでに渡された泥に塗れた雨合羽。

 この日以降、持ち主の行方は分かっていない。[了]

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