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「今、何か叫んだか?」
「いいえ? ふふ、そんなことで気を紛らわせようとしても無駄ですよ。四個積んだほうの勝ち、でしたよね?」
雨宿りのために潜り込んだ廃屋の軒下で暇を潰していると、どこからかけたたましい悲鳴が耳をつんざいた――ような気がしたが、ササには聞こえなかったという。
軽く頭を振り、再びの遊戯に戻る。 身体が不調を訴えているのかもしれない。たまには屋根のある暖かい場所で過ごしたいところだ。
再び、腐り果てた家の柱が揺れるほどの叫声。これが聞こえないとなると、さては人でない存在に成り果てると耳が遠くなるのだろうか。
「本当に聞こえないのか?」
「ええー? ……ああ、なるほどです。ツキコさんの声ですよ」
「ツキコさん?」
「おや、ご存知ないのですか」
話を聞いてみれば、ツキコという名の女性がマンションの一室を覗き込み、その先に見た光景に対して嘆き悲しんでいる際の声が、つい今しがた僕が耳にした咆哮に似た叫び声の正体だという。
「彼女が覗いている部屋は以前にツキコさんが住んでいた部屋でして。取り壊しが決まっているので今はすでに空き家ですけど。それでですね。部屋には当時、ツキコさんの他に妹さんも住んでいまして」
「ほう」
「それはちょうど今日と同じくバケツを引っくり返したかのような土砂降りで……そう、何をしようと音がかき消されてしまうような大雨の日でした。妹さんは帰りの遅くなったお姉さんを心配し、迎えに行こうと傘を持って出かけようと急いで支度を整え、さあいざ出発! と玄関の扉を開けた先には、見知らぬ人が立っていて――抵抗する間もなく包丁でグサーっと」
……いまいち緊迫感が伝わってこないのは、ササの明朗快活な声質によるものか、語り口がところどころ雑なせいなのか。どちらもだろうが、指摘したところでどうしようもないので黙っておく。
「こうして、雨に打たれながら帰ってきたツキコさんを出迎えてくれたのは変わり果てた姿となった妹さんでしたとさ」
「それでツキコとやらは犯人を憎み、気が触れてしまったとかそういった話か」
「話が早いですね。そう、その通りです。ツキコさんは今も犯人が再び訪れるのをあの部屋で今か今かと待ち続けているのです。まあ殺したのは私なのですが」
もう誰もいない場所に怨恨と共に残り続けたところで何も変わらないと思うのは酷だろうか。どうやらもう取り壊すようだし、それで一区切りがつけば良いのだが。
……ん?
今、この悪霊は何か言ったか?
「四階」
「え?」
「あの部屋、四階なのですけれどね。首を長くして待つというのはこういうときに使う言葉だったでしょうか?」
ササが僕の背後を指差している。
その細長い指の先は、まるで空を示すかのように高く。
僕は、振り返ろうとは思わなかった。[了]
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