第35話 そんなふうにすごしたい①ー居場所ー

 爆発音を聞き駆け出したスティーブン・ウィンターの後を追おうとした王城旋おうじょうぜんは足を止めた。

 たしかにスティーブは配慮のある懇篤な信用できる人物だが、それでもフレア・サザーランドのところへ戻る理由にはならなかった。そしてもう一つ、ある考えが脳裏を過ったのも理由だった。

 それはBパックに関することである。

 スティーブからもらったそのパウチには人間の血液が入っていた。

 現代を生きる吸血鬼の中にはBパックで食事を済ませる者がいるとのことだ。それは人間を捕食せずに済むということを意味している。食事をするには人間を襲い、殺さなくてはいけないと思っていた旋にとっては青天の霹靂といえた。

 だからBパックがあれば今まで通りの暮らしができるのではないかと考えたのだ。

 しかしそれは同時に自分が吸血鬼であると認めたことになる。

「俺はどうしたいんだ?」

 旋はBパックを見つめた。

 今まで通りの生活に戻りたい。

 吸血鬼としてではなく人間として。

 そのためには人間に戻る方法を知る必要があるがフレアは知らないと断言した。もしかしたらその方法を知る者がどこかにいるかもしれないが不確かな希望に過ぎない。それならばやはりBパックに頼るべきではないか……。

 考えがまとまらない。

 旋の心は疲弊しきっていた。

 朝の体の異変に始まり、自分が吸血鬼になった事実を突きつけられてから今まで悩み通している。

 何も考えない時間が必要なのかもしれない。

 そう考え、公園を出ることにした。

 ここに居続ければ思考の矛先が否応なく自身の境遇に向かってしまうし、問題を解決したスティーブが戻ってくるかもしれない。今は何も考えたくないし、誰にも会いたくない。

 旋は手にしていたBパックを無意識に手放し、公園を後にした。


   □


 公園を沿うようにして南北に伸びる幅の広い直線道路がある。

 北を向けば本土に続く橋のある丘が遠くに見える。南を向けば道路が果てしなく伸びているだけでその先はまったく見えない。何があるのか気になるところだが、南側はフレアのいる区画がある方角なので行くにいけない。

 直線道路を挟んだ公園の向かい側には飲食店や郵便局、雑貨屋や服屋などが入った雑居ビルが軒を連ねている。当然ショーウインドーに商品は飾られていない。どの建物が何屋なのかは看板や店の作りから判断できたが、そのほとんどは何に使われるのか判然としない建物ばかりだった。

 考えた末に旋は人目につかなそうな雑居ビルが立ち並ぶ間の路地に入った。

 しばらくまっすぐ進んでいくと商業施設は減っていきアパートやマンションが多くなっていった。どれも長く使われず古くなったものばかりで倒壊している家屋もあった。

 休める場所はないかと住宅地を当てもなく歩く。

 遠目から見る街の風景は普通の住宅地といって差し障りないが、目を凝らして観察すればゴーストタウンと言われても納得のいく有様である。この街には、相容れない水と油とが反発なく融合したような奇妙さがあった。見慣れないものに目を奪われ釘付けになった旋の意識は結果として問題から遠ざかり、この瞬間においては吸血鬼のことを忘れられた。

 住宅地を右に左に進んでいると内壁沿いの道に出た。そして左手に開けた場所があるのが見えた。そこは大型ショッピングモールの駐車場だった。

 車が優に二千台は駐車できるであろう広大な敷地に当然ながら車は一台も停まっていない。しかし建物の近くに白いものが密集しているのが見えた。

 近づいてみるとそれは露店のテントが並んだ光景だった。そして露店に挟まれた通りを多くの人が行き交っている。

「本当にいたんだ……」

 旋は『海都』に来て初めて人の姿を見た。

 本当に人がいたのだと驚いた。


   □


 露店には様々なものが売られていた。

 食料品はもちろんティッシュペーパーや洗剤などの日用品、ナイフやライターといった嗜好品を売る店々。豚の丸焼きが天幕から吊るされた店や香辛料が入った大きな瓶が並ぶ変わった店もあった。ホットドッグやクレープといった軽食もあれば露店の横に用意された飲食スペースでラーメンを提供する店もあった。

 この空間だけ見れば街中で開かれる夏祭りやフリーマーケットのようである。道行く人は男もいれば女もいる。子供もいれば老人もいる。家族連れが楽しそうにしているのを見るとここが本土ではないかと錯覚さえする。『海都』の住人に良い印象を想像できなかった旋に親しみを与える光景だった。

 しかし––––

「クレープが千二百円っておかしいだろ!? こらぁ!」

「ああ? 金がねえならこんなところに来るな!」

「んだと? 俺を誰だと思ってんだ?」

「知らねえな! 文句があるなら表出ろ!」

 と殴り合いの喧嘩が始まった。周囲にいた客は目の色を変えて喧嘩を盛り上げる者もいれば見慣れた光景だとあからさまに辟易する者もいた。

 『海都』に対する旋の印象は「やっぱり怖い場所」に戻り、早々にこの場を離れようと通りを急ごうとした。しかし露店を見て回る人だかりでなかなか前へ進めない。そして恐れていた事態に見舞われた。

「おう兄ちゃん」

 金平糖を売っている露店の前に立つスキンヘッドの男が声をかけてきたのだ。

「あんただよ。見かけねえ顔だな」

 逃げようにも前に進めず、無視するにも後が怖いので「僕ですか?」と控えめな返事をした。

「あんた、ここの人間じゃないだろ?」

 男は鋭い目つきを向ける。

「そ、そうですね」と苦笑いを浮かべる旋。

 すると男は溜息をついた。

「どんな理由かは知らんが、あんたはあんたの世界に帰った方がいい」

「……俺の世界?」

「そうさ。興味本位で『海都』に来たんなら痛い目見る前にささっと家に帰れって言ってんだ。ついさっき観光気分で来た連中がここら仕切ってるマフィアに連れていかれた。おそらく労働力としてどこかに売られるんだろうさ。馬鹿な野郎どもだ」

 目を伏せながら男は「やれやれ」とタバコに火をつけた。

「本土に居場所がなくなってここに来たやつはもちろん、自分じゃどうにもならない事情で仕方がなくここに来たやつもそれなりの覚悟を持たなくちゃいけねえ。ここに法律なんてものはないんだからな。ここの連中は多少のリスクを承知で『海都』に身を置いてる。身に降りかかる不幸を受け止める必要があると理解しているのさ……。そして俺が言った覚悟ってのは『郷に入っては郷に従え』ってことだ。新たな世界に足を踏み入れた者がする覚悟はこれだ。わかるか?」

 男は得意げに語った。

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