第2章「土曜日・PM」

第17話 バーシス・オブ・エンジェル①ー三人の狩人ー

土曜日 午後

海都かいと』内西側 とある施設


 その男は真っ白な大型テントに設置された簡易ベットの上に座っていた。

 十平方メートルほどあるテントの内部には簡易ベッドが三つあり、入口のある面を除いた三面に頭をつける形で設置されていた。

 男が座るベッドは入口の向かい側にあり、足元には食べ終えたお菓子の袋が散乱していた。

 男は先ほどタブレット端末で受け取った電子メールの内容に憤っていた。そして怒りのままタブレットをベッド横のサイドテーブルに叩きつけた。それから勢いよくベッドから降り立つと着用していた白いマントの裾がはためいた。

 そのマントには立襟がついており、体全体を覆い隠すほどの長さがあった。右肩にマントを留める大きなボタンがあり、所々に金の装飾が施されたそれは一見すると祭服ようにも見えた。装飾の中でも一際目を引くのは左胸に刻印された幾何学模様––––メタトロンキューブだった。

「あらあらゼロっち。お怒りで」

 苛立つ男をゼロっちと呼んだのは今し方テントに戻ってきたモヒカン頭をした長身の男だった。鍛え抜かれた肉体に汗で濡れたタンクトップがぴったりと張り付いていた。

「ファニ……。その呼び方はやめろと言ったはずだ」

 ゼロっち––––ゼロエルは白髪の切り揃えられた前髪の間から鋭い目つきを覗かせ、モヒカン頭の男ファニことオファニエルを睨んだ。

「おいおい。君の機嫌を損ねたのは俺じゃないぜ。どうせ本部のやつらだろ?」

 オファニエルは理不尽に怒りをぶつけられたことなど気にせず着替え始めた。

「こんなところで缶詰になってるからすぐに苛立つんだ。君も外を走ってくると良い。風が気持ちいいぞ」


   □


 大型テントは施設二階の広い一室に張られていた。

 二階建ての施設は研究所としての役目を与えられていたようで、施設内の至るところに実験器具が並べられていた。高さ三メートルほどの塀が敷地を囲み、塀の上には警報線が張り巡らされた万全なセキュリティ環境だった。当然のことながら、それらのセキュリティが稼働することは一度もなかった。

 一階の窓は全て割れており、ガラスと砂が床一面を汚している。二階は一階と比べて幾分かきれいだったが窓や床が割れていたり、蜘蛛の巣があったりと好き好んで入りたくなるような場所ではなかった。

 野外に張るはずのテントを屋内に張ったのは「屋内の方が休まる」とゼロエルが主張したためだった。

「日本に降り立って早々『進捗を報告しろ』なんて馬鹿なことを言ってくる。上層部の数名は俺が【同族殺しの魔女】を『封印』するのを快く思っていない。できるとも思っていないだろう。失敗の報告が待ち遠しくて居ても立ってもいられないと言ったところか。現時点で最強と言われる吸血鬼を恐れ、挑むことすらしない臆病者共め」

 ゼロエルは足元のゴミを踏みつける。

 彼らが『海都』に入ったのは午前二時過ぎだった。ステルス機能搭載のティルトローター機で日本へ不法入国した彼らは、事前に調査し無人と確認したこの施設を拠点と定め、『海都』上空から闇夜に紛れてこの地に降り立った。

「ちゃんと俺たちを支持する上の人間だっていたじゃないか。それに上には上の考え方ってもんがあるのさ。【同族殺しの魔女】の存在を認める声があるのは、ほっておけば彼女が吸血鬼を殺してくれるからだ。その分、俺たちの仕事が減ってハッピーってわけさ」

「俺たちはクルースニクだぞ。そして俺たちは人間、狩人かりうどだ。吸血鬼の力を借りて仕事を終えた気になるなんて人間の風上にも置けない。反吐が出る」

 ゼロエルは左胸に刻印されたメタトロンキューブを握り締めた。この模様は彼らクルースニクのシンボルマークであり、信念を具現化したものだった。

「世のバランスを正す。それが俺たちの役目だ」

 怒り心頭に発するゼロエルの口が悪くなっていく。

「上の連中は腐っている。一部が腐ればいずれすべてが腐る。そのまま朽ち果ててしまえば良いが、ああいうやつらほどしぶとく生き残る……。やつらは人間の尊厳を忘れ、犯してはいけない領域にまで手を染めやがる。その結果の一つがあいつだ」

 ゼロエルはものすごい剣幕でテントの端に目をやった。彼のベッドから見て右側のベッドの上には枕を抱きながら体育座りする女がいた。その女もゼロエルと同じ白いマントを着ていた。

「人間の組織になぜ『ハーフ』がいる? やつらの体には半分吸血鬼の血が流れている。あの憎き化物どものな。『ハーフ』だって俺らが処理する対象だとは思わないか?」

 急に問われたオファニエルは面倒くさそうな顔をした。

「ゼロちん。君の怒りはわかるが、本人を前にして侮辱するのはいかがなものかな。それにシャティーをチームに加えたのは自分でしょ?」

 痛いところを突かれたゼロエルの表情が渋くなる。

「シャティー、ごめんね。こいつは頭に血がのぼると引くほど口が悪くなる。性格は元より悪いし、おまけにチビだ。だから許してくれ」

 オファニエルはゼロエルを嗜めた後、理屈の通らない理由をつけてシャティーことシャティエルに謝った。

 ゼロエルはここにいる二人よりも身長が低いことを気にしていたが「チビ」発言に物申さなかった。話を広げれば自分が不利になると理解していたからだ。

 一方のシャティエルは謝罪を聞いてから一呼吸おいて眠そうなおっとりとした目を彼に向けた。それから薄茶色のボブヘアのはねた毛先を揺らしながら顔全体を向けた。その挙動はとても鷹揚だった。

「何を謝ったの?」

 彼女は二人のやりとりを一切聞いておらず、謝られた理由がわからなかった。

「聞こえていなかったなら大丈夫だよ」とオファニエルは笑顔で答えた。

 ゼロエルは彼女の言動に舌打ちした。

「シャティー、お前からはやる気を感じない! お前の役目はなんだ?」

「……私の鼻で吸血鬼を……あの魔女を探せばいいんでしょ」

 シャティエルの回答を気に入ったのかゼロエルは満足そうな笑みを浮かべた。

「わかればよろしい」

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