Scene.2
マセラティは駐車場から大通りにすべり出て、車列に合流する。おだやかな午後にはうってつけの混み具合だ。ラジオからはロッシーニの『セビリアの理髪師』が流れ出した。世界の果てへの序曲にはふさわしい気がした。
「で、まずはどこへ行くの?」
僕は女の子に至極当たり前な質問をした。当然のことながら世界の果てへの行き方なんて知らない。道案内をしてもらわなくては。
「世界の果てって言ったでしょ」
「経由地点があるだろう。シベリア鉄道だって、モスクワからウラジオストクまで行くのに両手じゃ足りないくらいの駅を通過するんだぜ」
「そう、そうね」女の子は神妙な面持ちで口をつぐんだ。その顔は考え込んでいるように見えた。僕がもう少し沸点が低い男だったら助手席から放り出していただろう。そうしなかっただけ、彼女には僕の育ちの良さをありがたく思ってほしかった。
煙草一本を灰にして、女の子はようやく口を開いた。
「なら、ラブホテルへ行きましょう」
「ラブホテル?」
僕は目を剥いた。おいおい、勘弁してくれ。
「そう、ラブホテル」
「何をしに?」
「決まってるわ。休憩よ」
「休憩って」
「もっとダイレクトに言ったほうがいい?」
「結構だ。正気かい?」
「いかれていると言いたいの?」
「そう言いたいけど黙っておくよ」
「言ったも同然よ」
「ちなみに、君はいくつ?」
「女に歳を訊くもんじゃないわ。常識でしょ?」
「君に常識を正されるとは思ってもみなかったよ」
「じゃあ訊くわ。いくつに見える?」
「17。誤差プラスマイナス1歳」
女の子は口笛を吹いた。
「素晴らしい目をお持ちね」
「未成年にふしだらな行為をしたらどうなるか知ってる?」
「ふん」女の子は17歳らしからぬ鼻の鳴らし方をした。
「馬鹿にしてるの? そのくらい知ってるわよ」
「僕を犯罪者にするつもりかい?」
「同意があれば問題ないわ」
「それじゃあ一筆書いてくれるかい?」
そのジョークはあまり面白くなかったらしい。女の子はむすりとした顔で黙った。仕方なく僕は記憶を辿り、いちばん近い海岸沿いのラブホテルへと車を向けた。今さら引き返すことはできない。いや実際できるのだろうが、僕自身はそう思っていた。女の子の語る論理に頷いた瞬間から、僕の何かは文句は言えども抗うことを放棄しているようだった。
「あなたは、こういうの初めて?」
女の子は煙草を灰皿でもみ消しながら言った。
「その言葉が該当するものが多すぎて分からない」
「未成年とデートすること」
「これはデートなの?」
「うるさいわね。質問に答えて」
「初めてじゃないよ」
「前にもこうして、未成年を助手席に乗せてドライブしたことがあるのね?」
「ああ」
「いくつの子?」
「18。でも化粧のせいで23くらいに見えた。途中で気付いたんだ。彼女がバッグを探っているとき、学生証がちらりと見えた」
「そのときは自慢の目も曇ってたのね」
「ハワイと一緒さ。晴れが多いからっていつでも晴れてるわけじゃない」
「引き合いに出されるハワイがかわいそうだわ」
「ハワイに人格がないことを祈るよ。これはよくないと思って、適当に理由をつけて車から降ろした。名前も訊かずにそのままさ」
そこで僕は気が付いた。
「ねえ、君のこと、何て呼んだらいい?」
「え?」
「名前だよ。まだ訊いてなかった」
「好きなように呼んだらいいわ」
「じゃあ、ベロ」
「は?」
僕は彼女の胸元で舌を出しているストーンズのロゴを指差した。
「安直ね」
「シンプルって言ってくれる?」
「あなた、自分のことをベロって呼ばれたことないでしょう」
「あるもんか。呼ぶと言われたら死んでも拒否する」
「馬っ鹿じゃないの」
女の子――ベロはそっぽを向いた。そしてその姿勢のまま、
「あなたのことは何て呼べばいいの?」
「君のセンスで、お好きなように」
そう言うと、ベロはきっとこちらに顔を向け、
「じゃあ、呼ばないわ」
「呼ばない?」
「あなたを名前で呼ばない」
「困るだろう」
「困らないわ。用があるなら、ねえとかちょっととか言えばいいんだから」
「熟年夫婦みたいだな」
「冗談きついわ」ベロはそう言って舌を出した。ストーンズのロゴと合わせて、二枚の舌が目の前に咲いた。
「とにかくラブホテルで休憩よ。そこが世界の果てへの経由地点なの。そう、絶対に通らなければならないのよ」
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