第五十五話 怯える魔女(後半)

 戦わずして格の違いを思い知り、アレクシアはその日からずっとこの学園地下に隠れ住んでいた。

 日々、ディアスから聞かされるエルリーゼの各地での戦いは耳を疑いたくなるようなものばかりで、歴代の魔女が数代かけて魔物の領土に変えたはずの島が一日で取り返されたというものや、前の代でアレクシア自身も戦いを避けるしかなかった大魔が三秒で始末されたなど、聞けば聞くほどに手に負えない存在だという事だけが分かってしまう。


 不公平ではないかと思う。

 アレクシアが聖女になった時、世界は暗闇で満ちていた。

 それは、アレクシアの前の聖女であるリリアが魔女を倒さずして魔物に殺され、暗黒期が延びてしまったからだ。

 その結果、アレクシアは歴代の聖女よりも苦しい状況下での戦いを強いられる事となった。

 今度こそ魔女を倒してくれという民衆からのプレッシャーがあった。

 加えて当時の魔女であったグリセルダはリリアが死んだ分だけ歴代と比べて魔女歴が長く、その分当然のように配下も多かった。

 それでもアレクシアは恐怖に耐えて魔女と戦った。

 自分がやらなければいけない事なのだからと、泣いて逃げ出したいのを堪えて……戦いの中で多くの仲間や騎士を失いながら、それでもディアスと共にグリセルダを倒したのだ。


 だがグリセルダを倒したアレクシアに待っていたのは、まさかの裏切りであった。

 ビルベリ王国の王、アイズによって聖女の城に幽閉されて魔物をけしかけられた。

 結果的にはこの時けしかけられた魔物がアレクシアの味方をしてくれた事で何とか逃げる事が出来たが……アレクシアは聖女から一転して、魔女として罵声を浴びながら追われる立場になってしまった。

 悔しかったし、悲しかった。そして憎かった。

 それでもアレクシアは、魔女にはなるまいと耐え、ひっそりと身を隠して生きていた。

 魔女になってしまえば、自分を裏切った連中の行動は正しかったと正当化する事になる。それだけは嫌だった。


 だが、グリセルダから受け継いだ魔女の念は日々アレクシアを蝕んだ。

 聖女が魔女になる時、別に人格が変わる事はないし突然別人になるわけでもない。

 ただ、記憶を継承してどうしようもなく負の感情が増幅されるだけだ。

 歴代の魔女が見てきた、あらゆる人間の汚点。醜悪な記憶。

 裏切られた怒り。

 それらを見せられ、感じさせられ、そして心がドス黒く染められていく。

 白いキャンバスがクソのような黒で塗り潰され、変えられる。

 聖女の心は白く、穢れの無いものだ。

 だが白という色は染まりやすく、簡単に塗り潰されてしまう。

 アレクシアも例外ではなく……耐え続けた果てに、彼女はやがて世界を憎んで魔女となった。

 自分がこんなに苦しいのに、辛いのに。怖いのを我慢してやっと世界を平和にしたら裏切られて、それでも耐えているのに。

 なのにそんな事を知らずに平和を謳歌している連中が気に入らない。許せない。

 こんな苦しみを自分に与える世界なんて間違えている。

 そうして彼女は、耐える事を諦めて魔女になった。


 だが魔女になった先で、またしてもアレクシアは恐怖に耐えなくてはならなくなった。

 歴代屈指の魔女であるグリセルダを倒して魔女になった先に待っていたのは、今度は歴代最高にして最強の聖女エルリーゼだったのだ。

 それはないだろう、と泣きたくなった。

 世界はそんなに私が嫌いなのかと絶望した。

 怒りのままに暴れる事すら許してくれないのか。

 どうして私だけ、こんな目に遭わなければいけないのだ。


 そしてエルリーゼが学園に転入してきた事で、アレクシアはとうとう一睡すら出来なくなってしまった。

 少しでも物音を立てれば気付かれるのではないかと怯え、毎日毎日僅かな物音にすら過敏に反応して見えない恐怖に追い詰められた。

 いつエルリーゼはここに気付く? それとも、もう気付かれているのだろうか?

 いっそテレポートで逃げ出してしまいたい気持ちもあったが……ここから逃げてしまえば、もうどこにも味方がいない。

 テレポートで逃げる事が出来るのはアレクシア一人だけだ。

 この地下にいる魔物達も、ディアスも連れていけない。

 たった一人で、しかもテレポートの代償で弱くなった状態で外に出なくてはならない……聖女によって塗り替えられた世界で、孤立無援となる。

 今や世界は、どこもかしこも人類の領域で、聖女の味方だ。

 どこにも逃げ場など存在しない。だからアレクシアは、ここに留まるしかないのだ。


 それでもアレクシアの恐怖はもう限界であった。

 ここに留まる事に心が耐えられない。すぐにでも逃げ出したい。

 ああ嫌だ嫌だ、どうかここに気付かないで。

 毎日そう願いながら、震え続けている。


「オ労シヤ、あれくしあ様……」

「お、おお……『影』よ」


 怯えて震えるアレクシアに、寄り添うように『影』が近付いた。

 それは奇妙な存在だった。

 地下と言えど、多少の光はある。

 確かにアレクシアの私室は灯りがないが、スティールが迷わずに飛べるように通路はランタンの灯りで照らされ、その光がアレクシアの部屋まで届いている。

 だというのに、それはまるで光が届かないかのように暗かった。

 まさしく、動く『影』……それがアレクシアを慰めるように肩に手を……いや、暗い何かを伸ばす。


「『影』よ……私は恐ろしい。

何故私の代に限って、こんな事になるのだ……。

世界はそんなにも私の事が嫌いなのか。

私はどうすればいい……教えておくれ……『影』よ」

「今スグニ、てれぽーとデ、逃ゲルベキカト……」

「だ、駄目だ! 外に私の味方はいない! すぐに見つかって、あいつが飛んでくる!

それにお前も知ってるだろう? テレポートは一度身体を分解して飛んでいく禁断の魔法……移動先で再構成されるが……その際、本来あるべき形に再構成されるせいで、身体に覚え込ませた経験レベルが失われるんだ。

ただでさえ力の差があるのに、それを更に広げるなんて……そんな馬鹿な事が出来るはずないだろう!?」


 恐怖によって、かつての美しい姿が見る影もなくなった主を、『影』は黙って見ていた。

 冷静に判断するならば、もうここに留まっている事そのものが悪手だ。

 エルリーゼは学園に転入して以来、ずっとこの学園を活動拠点にしている。

 ディアスからの報告を信じるならば・・・・・・、この地下には気付いていないというが……それならば何故いつまでも留まっている?

 仮に気付いていないのが本当だとしても、ここに魔女がいると確信し、何らかの証拠を掴んでいるからではないか?

 ならばここはもう危険地帯だ。一刻も早くテレポートで脱出して、新たな拠点で再スタートをした方がいい。

 だが魔女は味方のいない……そしてエルリーゼによって領域を塗り替えられた外に出る事を恐れている。

 もはや戦うまでもなく、エルリーゼとアレクシアの雌雄は決していた。

 世界を舞台にした陣取りゲームはエルリーゼが圧勝し、盤上は白で埋め尽くされている。

 唯一残された黒が一マスのみ残っているというのが現状で、エルリーゼはまさにその一マスを取ろうと手を振りかざす手前まで来ているのだ。

 それでも魔女は逃げる事が出来ない。恐怖に縛られ、まだこの学園にしがみ付いてしまっている。


「分カリマシタ……ナラバ、ソノ恐怖、私ガトリ除イテ、ミセマショウ」

「む、無理だ! お前でもエルリーゼには勝てん!」

「ゴ安心ヲ……私トテ、アノ怪物ニ勝テルナドトハ、思ッテオリマセン。

奴ガココニ留マッテイルノハ、要スルニ、此処ニ魔女様ガイルト思ッテイルカラデス。

ナラバ、ソノ疑念ヲ晴ラシテヤレバ……自ズト、此処ヲ離レルハズ。

私ニ策ガアリマス……」


 『影』は不気味に蠢き、そして目に当たるだろう部分を輝かせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る