第三十八話 相反する思想(後半)
「私を軽蔑するかね? もっともな感情だ。
実際、私のこの行いはただの裏切りで終わった。
けしかけた魔物はアレクシアを一切襲わず……それどころかアレクシアの手先となって脱走の協力をし、取り逃がしてしまったのだからな。
我ながら愚かな事をしてしまった……あそこで取り逃がしたが為に、またしても世界を魔女の恐怖に晒してしまった……。
私は正直な話、この時に一度諦めてしまったのだよ。
ああ、もう無理だ。こんなに手を打って、それでも何も変わらない。
結局、平和を維持する事など出来るわけがないのだ、とね」
そういう事じゃないだろう、と叫びたかった。
アイズは、アレクシアを仕留めきれずに逃がしてしまった事を軽蔑されるべき事だと考えているようだが、ベルネルが怒っているのはそこではない。
アレクシアを裏切った事そのものが何より薄汚いのだ。
だがアイズは気にせずに、更に語る。
「そして今代……これは語るまでもないかもしれんな。
君等も知っての通り、歴代でも並び立つ者がいないとされる聖女エルリーゼの時代が訪れた。
……正直言って、彼女が誕生するまでの今までの聖女は一体何だったのかと言いたくなったよ。
彼女の功績を聞く度に、一層その思いは深くなった。
聖女と魔女の力関係が、明らかに歴代と比べておかしいのだ。
過去の聖女は魔女を倒す力はあったものの、そこまで桁外れて強いわけではなかった。
だから、多くの魔女の手先や魔物、大魔との戦いをいかに避けつつ聖女を魔女にぶつけるかを考えなくてはならず……聖女がいようと、魔女を倒すまで平和は訪れなかった」
世界が平和になるのは、魔女を倒して、その聖女が魔女になってしまうまでの僅かな期間のみ。
聖女がいるからといって平和になるわけではない。
何故なら魔女には長い年月で増やした手駒がいて、大魔がいて、魔物がいる。
それらと正面からぶつかれば聖女などあっという間に殺されてしまうだろう。
故に戦略は一点突破。
多くの犠牲を生み、多くの弱き者を見殺しにし、その上で皆で血路を開いて聖女を魔女へとぶつける。
そうする事でようやく魔女を倒すと言う『奇跡』が成し遂げられる。
今まではずっと、そうだった。だから僅かな期間であろうとも魔女のいない平和が何より尊かったのだ。
だがエルリーゼの時代で明らかな異常が起こった。
光と闇のパワーバランスが突然反転したのだ。
騎士に厳重に守られるはずの今代の聖女は、守りなど一切必要としなかった。
単騎で魔物の群れを駆逐し、怪我人がいれば欠損すら癒し、罅割れた大地を蘇らせ、枯れた河を再生させた。
焼けた森を蘇生させ、日照りで苦しむ地に雨を降らせ……その上で誰も見捨てず、見殺しにせず。手の届く全てを救った。
魔女はエルリーゼを恐れて姿を晦まし、今の世界は光と希望に包まれている。
そして、その黄金時代が既に七年も継続しているのだ。これは明らかに異常な事であった。
エルリーゼがいる限り、奇跡が大安売りされ続けている。
「私は思ったよ……この時代を……この聖女を長く残さねばならないと。
これは最初で最後の奇跡なのだ。
もう二度と、こんな聖女が現れる事はないだろう。
……彼女がいとも容易く再生させた森が、本来は何百年かけて蘇るか知っているかね?
あの聖女がたったの三日で魔物の勢力圏から取り戻した大地を、過去にどれだけの王や聖女が取り返そうとして、多くの犠牲の果てに諦めたか知っているか?
つい先日のルティン王国での戦いでほんの数十分で蹴散らされた魔物を倒すのに、どれだけの兵士の命が必要になるか考えた事はあるかね?」
話しながら、アイズは笑った。
それは過去に無駄な努力をし続けた己への嘲笑であり、人生の最後でこんな奇跡を寄越した神への皮肉でもあった。
「分かるかね?
エルリーゼ様が生きる一年は、過去の聖女十人の生涯に匹敵する。
……魔女と戦わせるなど、とんでもない!
何が何でも、この治世を、一年でも長く続ける事! 彼女を君臨させ続ける事!
それこそ、この時代を生きる私達に課せられた使命だ!」
そう、迷いなく老いた王は叫んだ。
◇
「ねえ、兄上。本当にやる気?」
侵入者によって城が慌ただしくなっている中、影でコソコソと動く者達がいた。
それはアイズ国王と一緒にこの城に来ていた彼の息子三人だ。
各国の王達は自分の国を長時間放置しているわけにもいかないので帰ってしまった中、アイズだけはこの城に見張りとして残留している。
その為、この三人が残っているのもまた必然の事であった。
不安そうな声を出しているのは末弟のマカ王子で、年齢は十四歳だ。
顔立ちはまだ幼さを残すが十分に整っており、美少年と呼んでも言い過ぎではない。
「へへっ、嫌ならお前だけ大人しくしてればいいんだよ。
あ、あんだけの女、会う機会は二度とないぞ」
そう言いながら下卑た笑い声をあげるのは三人の中では最も年上のウコン王子だ。
年齢は十九で、贅沢な生活ばかり送っていたせいかぶくぶく肥えてしまっている。
餓死者も珍しくないこの世界で彼の体重は百を超えており、いかに彼が贅沢をしているかがよく分かる。
「ふっ……穢れの無い美しき花こそ、堕ちる瞬間を見てみたくなる。
今ならば警護も手薄だろう。
無論これは大罪……バレれば王子といえど無事では済まない……。
しかし――あの白い肌を好きに出来るならば、命を捨てる価値はあるッ!」
滅茶苦茶な事を言っているのは十七歳のアミノ王子だ。
見た目はハンサムだが、言っている事は最低である。
彼等が何をしようとしているのか……それは、簡単に言ってしまえば警護の手薄になったこの瞬間を狙ってエルリーゼの部屋に侵入し、手籠めにしようとしているのだ。
無論言うまでもなく、実行に移してしまえば大罪中の大罪である。バレればまず命はないし、拷問にかけられて市内引きずり回しの刑にされても止む無しと言える。
しかし彼等は正気を失っていた。
エルリーゼの美貌は崇拝や信奉、憧れといった感情を集める。
だが一方で、こうした情欲を集める事もまた事実だった。
あの金糸のような髪に触れてみたい、白い肌を好きにしてみたい。
そうした情欲を男が抱かぬはずがない。
しかし大半の男は、そうした情欲にまで発展しない。
エルリーゼがあまりに浮世離れし過ぎているが故にそういう対象に見る事すら出来ない。
だから大半は崇め、有難がる。
ある意味では彼等はエルリーゼを『女』として見ていないのだ。
自分達とは違う生物……高位の何かのように考えているが故に情欲が生まれない。
しかし王子ともなれば、社交界などの場である程度の――エルリーゼには遠く及ばないまでも、美女や美少女と顔を合わせる機会も多い。
平民では不可能な食生活によって培われた健康的な肌、平民には出来ない化粧で飾り立てた女……そうしたものを見て、耐性がある程度出来ている。
故に、彼等はエルリーゼを『女』と認識した。それも今まで見た事もない……そして今後二度と見ないだろう、信じられない美少女だ。
その結果彼等はエルリーゼの美貌に理性を焼き焦がされ、情欲だけが残ってしまった。
それこそ、己の命よりも優先順位を上げてしまうほどに……。
しかし、故にこそ……同じく理性を焦がされた
「――ほう、興味深い話をしてますね。
私にも是非、聞かせて頂けませんか?」
聞こえてきた声に、三王子はビクリと肩を震わせた。
そして振り返るとそこには逆光で表情が見えず、眼鏡を妖しく輝かせる男が……サプリ・メントが佇んでいた。
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