第九話 誤解(後半)

 エテルナには、誰にも言えない秘密がある。

 幼い頃から……何故か彼女は、傷を負わなかった。

 いや、正確に言えば自傷以外の方法では一切傷を負わないのだ。

 最初は気のせいだと思っていた。深く考えなかった。

 だが明らかに異常だと気付いたのは、森の中で野生の熊に襲われた時だ。

 確かに熊の鋭い爪で裂かれた。尖った牙と強靭な顎で噛み付かれた。

 なのに……痛くなかったのだ。服は多少破れたが、身体そのものは全く無傷だった。

 

 ベルネルに付き添う形で学園に入学したのは、何も彼を心配しての事ばかりではない。

 何よりも、自分が一体何なのか知りたかった。

 学園ならばその知識がきっとあると信じた。

 そして彼女は授業の中で知る事になる……『魔女と聖女は、互いの力以外で一切の傷を負わない』。

 これは、自傷以外で傷を負う事のない自分と症状が似ていると感じた。

 では自分は聖女なのだろうか?

 だが聖女は既にいる・・・・。それも歴代最高とまで呼ばれる聖女、エルリーゼが。

 授業で聞いた彼女の活躍はどれも信じられないものばかりで、一人で千の魔物を薙ぎ払っただの、村を通過しただけでその村の怪我人と病人が全員完治しただの、歩いただけで荒野が花畑になっただの……とにかく逸話に事欠かなかった。

 聖女は同じ時代に二人現れる事はない。ならばどちらかが聖女ではないという事になる。

 だが歴代最高とまで称されるエルリーゼが偽物などという事が有り得るのか? 否、それはあり得ない。

 更にエテルナを不安にさせたのは、今代の魔女はどこにいるかも分かっていなくて、名前も顔も知られていない事であった。

 世間ではエルリーゼを恐れて逃げ回っているというが……本当にそうなのだろうか?

 もしも……もしもだ。魔女が、自分が魔女であると自覚していなかったら?


 魔女と聖女の特性を備えた人間が二人いるならば、どちらかが聖女でどちらかが魔女という事になる。

 エルリーゼが魔女はない。絶対にない。

 魔女が魔物の軍勢を毎日薙ぎ払うか? 人々を毎日救うか? そこに何のメリットがある?

 ……ない。何もない。ただ自分を不利にするだけだ。


 エテルナは不安で押し潰されそうだった。

 まさかと思う。そんなはずはないと信じたい。

 だがどうしても思う……私が魔女なのではないか・・・・・・・・・・・……と。


 その不安は、エルリーゼ本人を見る事でますます強まった。

 巨大な魔物の群れを一瞬で消し去る力。誰もが見惚れる美貌。

 まさに『聖女』という文字をそのまま人の形にしたような存在だった。

 自分との違いをまざまざと見せつけられた。

 それでもほんの僅かだが……彼女が偽物である可能性もあった。

 ただ魔力が凄まじいだけの、ただの人間である可能性はあった。

 そんな事はあり得ないと思いながらも、エテルナは自分が魔女だと思いたくない一心で、その可能性を心のどこかで願っていた。


 だがやはりそれも違った。

 エルリーゼはエテルナには気付けなかった、ファラの中に巣食う魔女の力を感知し、それを抜き出していた。

 それどころか、アレに操られていたという事すら見抜いていた。

 最初に彼女がファラの胸に触れ、愛撫するように胸に手を這わせた時はそういう趣味があるのかと思ったが、全くの的外れだった。

 エルリーゼはそんな事など微塵も考えていない。

 ただ、ファラを救う方法を全力で探していただけで、愚かさを露呈させたのはエテルナの方であった。


「貴女は……以前にも、フォール村でお会いしましたね。

あの時とは見違えるように綺麗になっていたから、一瞬分かりませんでした」

「い、一度会っただけの私の事を……覚えていて、下さったのですね」

「忘れるはずがありません」

「な、何と光栄な……」

「それでこのモヤは何なのかという話でしたね。

これがファラさんを操っていたもの……魔女の力です。

彼女は、ただ利用されただけの被害者に過ぎません」

「ひ、被害者……しかし先生のやった事は……この国、いえ、世界全てに対する反逆も同然です。

聖女様を殺そうとするなど、許される事ではない」

「確かに彼女は罪を犯しました。しかしどうか許してあげて下さい。

許す心が大切なのだと、私は思います」

 

 話しながらエルリーゼは無造作に黒いモヤを握り潰し、聖女の力をまざまざと見せ付ける。

 魔女の力をどうにか出来るのは聖女か、魔女本人のみ。

 一般人には決して出来ない。

 この時点で、エルリーゼが一般人である可能性はエテルナの中で限りなく低くなっていた。

 そこに追い打ちをかけたのは、駆け付けた近衛騎士がファラに剣を振り下ろした時だ。

 エルリーゼはこれに臆する事なく、あろう事か素手で防ぎ……そして、傷一つ負わなかった。


「せ、聖女様何を!? いや、う、腕は! 腕はご無事ですか!?」

「心配不要です。私は魔女と、聖女の力以外で傷を負う事はありませんから……ご存知でしょう?」


 エテルナは、自分に落胆した。

 エルリーゼが偽物ではなかった事に落胆する自分に落胆した。

 ああ……彼女は本物だ。エルリーゼは一切疑う余地なく、本物の聖女だ。

 魔女の力を見抜き、消し去り、操られていた者を救い……そして、剣で掠り傷の一つも負わない。

 強く、美しく……優しく。

 自分が下らない事を考え、浅ましい願望を抱いている間に彼女は自然体で、当たり前のように人を救った。

 たったの七人を救う為に己の命すら躊躇なく差し出した。


 これが……本物・・。自分とは全てが違う。

 見た目も、力も……中身さえも。


 その後エルリーゼは近衛騎士に連れられて半ば引きずられるように帰還したが、もうエテルナにはそれを見る余裕もなかった。

 分かってしまったのだ。自分が何者なのかが。どういう存在なのかが。

 聖女と魔女しか持たない特性を持つ女が二人いるならば、片方が聖女で片方は魔女だ。

 エルリーゼが偽物である可能性はゼロで、そして彼女が魔女である可能性はゼロを通り越してマイナスだ。

 本物の聖女は既にいた。では同じ特性を持つ自分は? ここにいるエテルナという女は何なのだ?


 今代の魔女は誰も見た事がない。顔も名前も知られていない。

 そしてここに、魔女と同じ特性を持つ自分がいる。


(……ああ…………そっかあ……)


 エテルナは、フラフラと自室へ向かう。

 世界の何もかもが暗く見えて、自分がどうしようもなく惨めな何かに思えた。

 いや、実際にそうなのだろう。

 だって、自分は…………。



(私…………魔女……だったんだ…………)

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