(旧版)覇王の息子は無敵の剣を携えるが日常も楽しむ
酒と食
第1章 独立領からの依頼
第1話 黄昏の迷宮で魚釣り
「うーん。釣れない……」
目の前の川で釣り糸を垂れている若者が呟く。かれこれ1時間近く釣っているが釣果は0だ。
ここは上級ダンジョン「黄昏の迷宮」。ここ覇国の北に位置するダンジョンである。豪雪地帯に存在するため冬は近づくことが難しくハンターズギルドも冬季は立ち入り禁止としていた。そのダンジョンが本日めでたく解禁となった。ハンターと呼ばれる者たちが心待ちにしていた春の解禁日。ここで釣り糸を垂れている若者「ケイン=ハーヴィ」も解禁日を心待ちにしていた一人であった。
目的は「釣り」である。この国の春を代表する高級魚「イトーカ」を釣りに来たのだ。淡水魚であり大きいものでは大人の腕くらいには成長する。初物が獲れる今だとその半分くらいの大きさが妥当だろう。しかし。とことん釣りを楽しむはずがまさかの結果となっていた。
「にゃー。腕が落ちてるのにゃ」
背後から声がかかる。猫の獣人だ。1.6メルト程の背丈、すらりとした体形のかわいらしい美形。ピコピコ動く耳とほわほわのしっぽが揺れている。街ですれ違えば100人中90人は振り返るだろうか。
手に持っているナイフ、体のラインに合わせた目立たないデザインの動き易い服装。斥候を思わせる装備でありながら周囲から飛び掛かかってくるウインドウルフを次々に倒し圧倒していた。
「にゃ。本当にたくさんいるにゃ」
連携して飛び掛かるオオカミを見極め、首筋にダガーを当てることで確実に絶命させていく。ダガーを首筋に振るうにはウインドウルフ最大の武器である牙にかなり近づく必要があるのだが全く躊躇はみせない。
「にゃにゃにゃにゃ」
むしろ余裕をもって対応している。次々と絶命したウインドウルフはドロップアイテムである指先サイズの魔石や宝石に変わっていった。
「…そんなことはない、はずだ。ミケ。いまに入れ食い状態に…」
「にゃー。このままだとララに…」
「ああ。確実に殺される。その前になんとか…なんとかしないと…」
焦りが出ている。そんなケインにミケと言われた獣人が言葉を返す。
「ムリムリ。そーんな心を乱した状態ではイトーカは釣れないにゃ。そろそろ交代にゃ!」
「ふう。わかったよ」
ケインは気を取り直して立ち上がる。この国では珍しい部類に入る短髪の黒髪黒目。整った顔立ちで背丈は1.8メルト程か。
一見痩せているようだがその体は鉄条を幾重にも重ねたような筋肉が一般的なハンター用装備の下に隠れていた。腰に差していた長剣に手をかける。青年が持つにしては豪奢な拵えが施してある両刃の長剣。引き抜かれた刀身は漆黒と言えるほどの黒さを湛え禍々しいほどである。そして多数の、それはもう多数のウインドウルフに向き直る。ミケはダガーをしまい、ウキウキとしながら釣竿を握る。
「さてオオカミども、今度はおれが相手をしよう」
「さー釣るにゃ。ケインの命はこのミケ様におまかせにゃ」
ここは上級ダンジョン「黄昏の迷宮」の第2層。「黄昏の迷宮」は難関ダンジョンの1つとされるが良質な素材がとれるためA級以上のハンターには人気がある。
しかし高値が付く素材は第5層以下から出ることもあって、ここ第2層に留まるハンターはいない。さらに第2層はウインドウルフが大量に発生することでも知られていた。ウインドウルフはオオカミの魔物で後ろ足で立ち上がると2~2.5メルトにもなるやや大型の魔物である。A級クラスのハンターであれば1対1で負けることはまずない。しかしそれは1対1の場合であって、このダンジョンでのウインドウルフは数がとんでもなく多いうえに連携して攻撃してくる。タイミングを見計らい四方八方から飛び掛かってくるのだ。盾役や剣士といった前衛と呼ばれる者はその連携攻撃に防戦一方となることが多く、魔術師や僧侶ら後衛と呼ばれる連中では呪文詠唱の間を狙われてしまう。斥候などの探索系の攻撃力ではそもそも一個体を撃破することが難しい。そのため連携したウインドウルフとの連戦はA級クラスのパーティであっても危険なものであり、一歩間違えば全滅の可能性もある厄介なものであった。
「黄昏の迷宮」の第2層と言えばパーティの安全のみを考えて駆け抜ける層なのである。
そういったことでこの第2層の外れにこんな川が流れていることを知る者はほとんどいない。そこで高級魚「イトーカ」が釣れることも。しかし、たとえイトーカのことを知ってもA級ハンターならばここまで来ないだろう。高級魚とはいえ第5層以下の素材の方が高値で売れるし、オオカミが面倒すぎる。リスクに対するベネフィットが釣り合わないのだ。
だからハンター二人でイトーカ釣りを楽しむということは不可能。危険かつ割に合わないことのはずである。しかしここに「楽しくイトーカがたくさん釣れるからここが最高」と考えたハンターが二人いる。黒い長剣を振って次々とオオカミを狩っていくケイン。一振りで3、4匹が斬り捨てられる。ウインドウルフの連携攻撃をものともしていない。
「たしかにたくさんいるな。ま、でも問題ない」
先ほどの獣人のダガー捌きも凄味があったが、それを超える圧倒的な剣の冴えである。
「にゃにゃにゃ。さらに一匹!」
背後では次々とイトーカを釣りまくる美しくてかわいい猫の獣人ミケことミケランジェロ。耳がピコピコしている。嬉しいらしい。この二人にとってウインドウルフは取るに足らない相手ということになる。俄には信じられないが…
「おーい。ミケや。ミケランジェロさんや。なんで入れ食い状態なんでしょうか?」
既に百匹以上のウインドウルフを斬っているケインが呆然としながら聞いてくる。疲れているからではない。ミケは釣れているのだ。羨ましい。
「腕?」
「うぐぐ…」
呑気な掛け合いは会話だけなら二人楽しく釣りデートでもしているような微笑ましさである。ここはA級クラスのハンターパーティでも躊躇するダンジョンの真っ只中であり絶賛戦闘中のはずなのだが二人には何の問題もなかった。
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