第八章 母の帰宅4
「おかえりなさい兄さん!お母さんとは無事に会えましたか……ってどうしたんですか?」
「……女の闘い」
やっとのことでたどり着いた我が家の玄関を開けると、楓が可愛らしくトコトコとリビングから走って出迎えに来てくれた。
一番先頭で家に入った俺に笑みを浮かべていた楓も、母さんと顔を合わせる前に後から続く形で入った二人に目を奪われる。
「大体あなたは普段から湊君に近づき過ぎなんですよ」
「私が彼とどう接しようとあなたには関係ないでしょう?」
「今は関係なくとも、この先では関係あるんです!」
睨み合う雫と綺羅坂。
二人の仲が悪いのは楓も承知の上だが、家に来た時点で喧嘩をしていたのは始めたケースなんだろう。
楓もどう声かけたらいいものか戸惑っている様子だった。
「放っておけ、いつものことだ」
「そうですけど……あ、お母さんおかえりなさい!」
二人の横をすり抜け、楓の前に姿を見せた母さんに楓が飛びつく。
それを受け止めた母さんは、駅で俺を目にしたとき同様に満面の笑みで……
「ただいま!楓も迷惑をかけてごめんなさいね。家のことから湊ちゃんのお世話までありがとう」
「いえ、好きでやっていることですからお母さんは気にしないでください」
優しく愛娘の髪を撫でる母親と、その母親の胸に嬉しそうに顔を埋(うず)める娘。
親子の微笑ましい光景ではあるのだが……
「今日もすぐに帰ってくださいね!」
「えぇ、あなたが家に帰るのを見届けたら帰るわ」
場の雰囲気すら気にする様子もなく言い合う二人が煩いことこの上ない。
静かにしろというのは簡単だが、母さんは楽しそうにしているし、楓も心なしか苦笑いを浮かべているものの楽しそうだ。
しかしまぁ、本来なら妹の世話しなくてはいけない立場でなのだが、立つ瀬がない。
……買い物と風呂掃除くらいは手伝ってるんだけどね。
他のことをやると、逆に楓の仕事を増やしてしまうのは不思議でならない。
ひとしきり再会を喜び合うと、久方ぶりの我が家で落ち着いたのか母さんは深く息を吐いた。
「やっぱり我が家が一番落ち着くわね……」
たった二ヵ月だというのに、懐かしむように家の中を見回す。
確かに修学旅行など数日の間でも家を離れると、いざ自宅に帰ると無性に落ち着く気分になるものだ。
常日頃、休日は自宅の警備に徹している俺からすれば、自宅こそがホームグラウンド。
そこから離れるなんて、学校行事などの避けられない場合のみに限りたい。
母さんは、楓と仲良く手を繋ぎリビングに入るとすぐにソファに腰掛ける。
俺は、一度母さんの荷物を両親の寝室に運び込んでから最後にリビングに向かう。
「今コーヒーを淹れますね、お二人も喧嘩せずに座ってください」
リビングの中では、楓が雫と綺羅坂が座れるよう椅子を引いて促すが、ここでも二人は素直に座ることはせず、
「では私が湊君の隣に……」
「あら、そこは私が座る予定なの」
「あ、あははは」
楓が気を利かせて二人に声をかけたものの、一瞬だけ二人して楓に笑顔で頷いていたのにすぐにまた席の取り合いを始める。
「……騒がしいのは嫌いだ」
「あ、いえ!……すみませんお見苦しいところを」
「そ、そうね……恥ずかしいところを見られてしまったわね、お母様もすみませんでした」
リビングの入り口から思わず正直な気持ちを声にして漏らすと、二人は振り返りハッとした表情で口を閉じて大人しく席に腰かけた。
さすが俺。
人が言いずらいことも言えてしまう。
しかし、”嫌い”という言葉に反応するとは……
二人してこの世の終わりのような顔をしている。
だが、それでも二人の間には律義に俺が座るであろう席が開けられている。
……そこにだけは座りたくない。
いくら探そうと二人の間以外には母さんの座るソファ以外に座る場所はない。
この年になって母親の隣に座るのは恥ずかしく、立っているのも疲れるので致し方なく二人の間に腰掛けると特に雫は嬉しそうに表情を輝かせる。
綺羅坂も若干口角が上がっているので、良い気分なのだろう。
二人が静かになったことで、部屋の中にはテレビから出る音と湯を沸かしている音のみ。
だが、不思議と誰も話し出すことはないのだが、意外にも居心地は悪くない。
雫と綺羅坂がいるのに、こんなにも落ち着いた気持ちで家の中で過ごすことができるなんて初めてのことだ。
それにしても、久々の母親との自宅で過ごす時間。
母さんのことが大好きというわけではないが、それでも母親と久々に過ごす時間はいいものだ。。
なんと例えればいいのだろうか?
落ち着くというか、足りていなかったものが埋まったというか。
親父が一人だけ未だ海外だが、この際気にしない方向で……
「そういえば二人はどういう関係なのかしら?」
楓が淹れたコーヒーが全員に行き渡ると母さんが両隣の二人に向け訊ねた。
明らかに視線が二人に向けられていたので、二人を横目に俺は一人コーヒーに口をつける。
「どういう関係といいますと……私は湊君の幼馴染なのは琴音さんもご存知ですし」
「私はクラスメイトで湊さんの隣の席ですが……」
これは母さんも既に知っている情報だ。
雫は言うまでもなく、綺羅坂も駅前で簡単にだが自己紹介をしていた。
それに、楓が母さんにメールで毎日連絡を取り合っているので、綺羅坂のことは前から文章でだが聞いていたはずだ。
二人は少しばかり不思議そうに小首をかしげながら答えるが、母さんは頭を横に振る。
「湊ちゃんとの関係じゃないの、雫ちゃんと怜ちゃんの関係を聞きたいの。お友達?」
その質問に二人はお互いの顔を見合わせる。
きょとんとした顔から、次第に二人の表情から笑みが消える。
雫は無表情で綺羅坂を見つめる。
対する綺羅坂も冷たい視線で雫を睨みつけるように見据えていた。
間に挟まれている俺からすれば、両サイドから形のない圧力を感じてカップを持つ右手が小刻みに震えている。
「そうですね……私と彼女は”知り合い”です」
「えぇ、”知り合い程度”の関係だと私も思っています」
どこか言葉の節々に棘を感じてならない。
というか、二人して睨み合うのなら俺を挟んだ状態で座らないでもらいたい。
楓も、二人の様子とカタカタと震る俺の手を見て何かを察したのか、さりげなく距離を空けて立っている。
依然、母さんだけは二人を変わらぬ表情で眺めているのだが、その眼には真剣さが増しているように見えた。
「私は二人に仲良くしてもらいたいとは言わないわ、だって人なんて相性があるもの」
流石に誰が見ても仲の悪い二人に、母さんはそう切り出した。
確かにこの二人は相性最悪だ。
むしろ、ここまで相性が悪い二人は珍しい。
母さんが話し出したことで、二人は視線をお互いから正面に向けた。
心なしか姿勢が良くなっているようにも見える。
「なら尚更、二人が仲良しで一緒にいるのではなく湊ちゃんを通じて一緒にいるのなら、これだけは言わせてもらいたいな……」
母さんは目を閉じ、小さく息を吐く。
雫と綺羅坂は、ビクッと一瞬体を強張らせたのだが……
「二人よりも私の方が湊ちゃんの事大好きなんだから!」
「……アホか」
真剣な顔で何を言うのかよ思えば、母さんは力の籠った瞳で二人へ向け大胆な親バカ宣言をリビングに響かせた。
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