第八章 母の帰宅2
夕暮れに染まる商店街。
帰宅途中の学生や主婦が多く歩く大通りを抜け東に進むと、この町に住む住人が普段から利用する最寄り駅の桜ノ丘駅が姿を現す。
改札機と駅員が在中する小さな建物。
そして、さらに小さな売店があるくらいで、通勤通学でしかほとんど使われることのない駅に、俺と雫、そして綺羅坂の三人が北口の出入り口で一人の女性を待っていた。
「……本当についてきやがった」
「私も久しぶりに琴音(ことね)さんにご挨拶がしたいですから」
「私も真良君のお母様となれば挨拶しないわけにはいかないわね。日頃、真良君がお世話になっているお礼を言わないと」
自動販売機の隣に設置されたベンチに腰掛け、視線を出入り口に向けたまま各々ここへ来た理由を述べる。
雫はいたって普通の理由だが、綺羅坂に関しては毎度のことだが、最後に少しおかしなことを口にしている。
「母親にお世話になるのは当たり前だろ……。お前は俺の事を自分の所有物だとでも思ってんの?」
「あら、今更気が付いたの?」
当然とばかりに小首をかしげ、綺羅坂は不思議そうにこちらへ顔を向ける。
彼女の言動や行動に関してはもう何も言うまい。
「それにしても琴音さんが返ってくると聞いたときは驚きましたよ」
「俺もだよ」
雫の言う琴音さんとは、俺と楓の母親で真良琴音(しんらことね)のことだ。
現在、仕事のため海外で暮らしている親父の面倒を見るために約二か月前に日本を発った。
次に家に戻るのは親父の仕事が夏休みに入ってからだと聞いていたのだが……
電車がホームに到着する音が聞こえるたびに、建物から出てくる人達の中から母さんの姿を探す。
楓から電話の後に送られてきたメールに、飛行機のフライト時間と桜ノ丘駅に到着する時間が記載されており、予定時間の少し前からこうして外で待っているのだが一向に出てくる気配がない。
「……遅いな、帰るか」
「ダメよ、楓ちゃんにも言われたでしょ?『ちゃんとお迎えに行ってください』って」
「そうですよ、それに私たちも楓ちゃんから湊君が『面倒だ』なんて言って帰らないように付いていてくださいって言われてますから!」
立ち上がろうとした俺の両手を二人が掴み、強制的にベンチに座らされる。
昼休みに楓からの電話の後、雫と綺羅坂のスマホにも楓からメールが届いた。
内容は、駅まで三人で母さんの迎えに行って欲しいとの内容で二人はそれを快諾した。
その結果、こうして三人で仲良く並んで座りながら待つことになったのだが、母親の迎えなんて俺一人で十分だ。
二人の容姿のせいで、ほとんどの男性から注目され、女性からは勘繰(かんぐ)られるは良いことが一つもない。
できることなら早く母さんと合流してこの場から立ち去りたいものだ。
しかし、まず事はうまく運ばないだろう。
そもそも、少し変わったところのある人だから普通に出てくるとも思えない。
悪戯を仕掛けたいからなんて言って、先に家に帰っている可能性まである。
我が母親ながら厄介な人だ。
「でも、楓から来たメールの時間から三十分以上経ってるからな……もう違う道から家に帰ったんだろ」
「うーん……そうですかね?」
予定の時刻はとっくに過ぎている。
すでに何十人と駅の建物から出てきたが、さすがに都会のように人の出入りが多い駅ではないので、見落としている可能性はないだろう。
「……楓に確認してみる」
「それが良いわね」
楓に先に家に帰ってしまっていないか確認をするためにベンチから立ち上がり、二人から少し離れた途端、視界が真っ暗に染まる。
「だ~れだ!」
「…………」
……なんともお決まりだこと。
この行動を世界で最初に考えた人は、どんな発想からこれを思いついたのだろうか。
間違いなく、常日頃メルヘンチックなことを考えていそうだ。
後方から女性の声と同時に両目を塞がれ、背中に二つの柔らかな感触が広がる。
明らかにわざと押し付けているであろう胸、そして耳元でささやく様な声は生まれてから毎日のように聞いてきた声だった。
誰がやっているのか一瞬で分かってしまっただけに、溜息がいつもの三割増しで零れる。
「……何してんの母さん」
「あら~湊ちゃんは相変わらず冷たいわね、お母さん!って抱き着いてきてもいいのよ?」
「誰がするか……」
目をふさいでいた両手と、背中に広がっていた胸の感触が離れると後ろにいた女性、真良琴音は俺と雫、そして綺羅坂に正面に回るとにっこりと笑みを浮かべる。
「ただいま湊ちゃん、それに雫ちゃんも久しぶりね」
「おかえり……」
「お久しぶりです琴音さん!」
二人より一歩だけ前に出ると、母さんが手に持っていた荷物を受け取るために手を差し出す。
差し出された手を見て、意図を察した母さんは嬉しそうに荷物をこちらへ渡す。
「お母さん湊ちゃんのそういう所好きよ!雫ちゃんは相変わらず可愛いわね!」
続いて前に出た雫を母さんが抱きしめると、雫も背中に腕を回して母さんを抱きしめる。
その状態のまま、母さんは視線を俺の隣に移動した綺羅坂に移すと「ふむふむ」と小さく呟くと
「湊ちゃんの二人目のお嫁さん候補かしら?」
サラリとこの場では爆弾発言になる言葉を言い放った。
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