第三章 理由5

 

 球技大会の打ち上げの話でもしているのか、まだ生徒の少ない正門を抜け、一人なだらかな下り坂を下る。


 すると、桜ノ丘学園と隣接している保育園から、一組の家族が手を繋ぎ出てくる。


 母親と手を繋いだ女の子は、俺と目が合うと笑顔でこちらに手を振る。

 俺も、少女に小さな笑みを浮かべながら手を振り返す。


 たぶん俺もあの少女くらいの時が一番人生を楽しんでいたのだろう。

 周りと自分を比較もしておらず、物事を正直に捉え、純粋な心で満ち溢れていたあの頃が。


「……楓があのくらいの歳だった時のほうが可愛かったな」


 失礼と思いながら、自分の妹と遠ざかる少女を比べ、我が妹が最強というのを再確認したところで、再び妹の待つ家に向かい歩き出した。


 道中、楓から電話で醤油を買ってきてほしいとお願いされたので、少し寄り道していつもの商店街で買い物をして帰った。




「ただいま」


 買い物したことで、いつもより三十分ほど時間が掛かってしまったが、特に問題なく家に着いた俺は、リビングに顔を出す前に部屋に学校荷物を投げ入れる。


 その際に、まったく汗の掻いていない体操服は、脱衣所に設置されている洗濯機の中に入れ、手洗いうがいをしてからようやくリビングへ入る。


「醤油買ってき……なんでいんの?」


 リビングに入った俺が、一番最初に視界に入れたのはソファーに座る雫と綺羅坂だった。


「湊君打ち上げの場所知らないでしょ?だから一緒に行こうかと思って」

「私も打ち上げには参加しないし、せっかくだから真良君と食事でもと思って」



「帰れ」


 俺は玄関を指さし二人にそう告げた。

 俺の言葉に、一瞬キョトンとした二人だったが、何をどう理解したのかお互い向き合うと……



「湊君がああ言ってますので、綺羅坂さんはお帰りください」


「いいえ、彼はあなたに言っていたのよ?どうぞ打ち上げを楽しんできてね」


 ……俺は二人に言ってるんだよ?


 俺の言葉の意味をまるで理解していない二人は、どちらが帰れと言われたのかを言い合っている。

 その間に頼まれていた醤油を、キッチンで料理をしている楓に渡す。


「これ、頼まれた醤油」


「ありがとうございます兄さん!……ところで、どこかにお出かけですか?」


 すでに二人分の夕食の準備を始めてしまっている楓は、少し困ったような顔を見せる。

 球技大会のことは伝えてあったが、打ち上げなんて俺は参加しないと思っていたのだろう。


 俺は楓の心配を取り除くように、そして楓の問いを聞き、こちらに注目している二人にもハッキリと聞こえるように答えた。


「いや、飯は家で食べるよ」


 すると、後ろから驚愕する声が二つ聞こえた。



 二人は未だ諦めず、食事をする俺達の後ろでブーブー文句を言っている。

 だが、俺の決意は固い……なぜなら家から出たくないからだ。


「もう始まってしまいますよ……」


 壁に立てかけられた時計を見て、雫は嘆息する。


 現在、午後六時四十五分。

 雫から聞いた集合時間が六時五十分だから、彼女は完全に遅刻だ。


 ここから、会場までは走ったとしても十五分は時間が掛かる。

 しょんぼりとしながら、スマホで何か打ち込んでいるのを見るに、優斗にでも遅刻の連絡をしているのだろう。


 綺羅坂も、心なしか不機嫌そうにコーヒーを飲んでいる。

 目が合うたびに、背筋が凍るほど冷たい視線を向けてくるので心臓に悪い。


 たぶんあれなら不良に絡まれても、逆に相手が逃げだすだろう。


 

 断固として動こうとしない俺に、雫が何か思いついたように顔を輝かせると、綺羅坂に何か耳打ちしている。


 それを聞いた綺羅坂も、ニヤリと口元を歪ませるとこちらに歩み寄る。


「なんだ?俺は何を言われたってどこも行く気はないぞ……そもそも、俺が行ったところで喜ぶ奴なんてクラスにいると思うか?」


「いいえ、そんなこと言えるのもここまでですよ」


 二人は俺の前で止まる……ことなく、さらに奥に座る楓の前で立ち止まる。


「え?私ですか?」


 驚く楓の耳元に二人して顔を近づけて何か話をしている光景は、なんとも奇妙な画だった。


 二人が何かを楓に伝え、それを聞いた楓が数回頷く。

 この行為を数回繰り返したところで「本当ですか!?」と声が聞こえたと思えば、秘密の会議が終了した三人は俺の前に立つ。


 コホンとわざとらしい咳を一つ雫がすると……


「整いました」


「なに……大喜利?」


 唐突に大喜利が開始されそうな言葉に、俺はおもわず反応してしまっていると、雫でも綺羅坂でもなく楓が前に出る。


「なんだお前ら、楓を仲間に入れたところで俺の意志は変わらないぞ」


「兄さん!」


 何か決意した顔で、楓はしっかりと俺の眼を見据えると、俺のとっては裏切りにも等しい言葉を口にした。


「お兄ちゃん……楓のために行ってきて……」


「よし行こう、今すぐに行こう」


 数秒前まで城壁のごとく固い意志は、一瞬でただの石ころへと変わった。


 俺は自室に駆け込むと、素早く外出用の服に着替える。

 そしてリビングに戻り、盛大に楓を褒めている二人を連れて目的の場所である打ち上げ会場へ向け歩き出した。


 

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