1.ゲームをしましょう(その2)
旅の紳士は呆然として立ち尽くす。めまいを覚えたとしても不思議ではないだろう。
しかしカジノに出入りする者たちはそんな彼には目もくれず、トカゲのビルも、既に中の様子をしきりに気にし始めていた。
やがて件の紳士は唇を引き結ぶと、カジノを見つめて、ぽつりと呟いた。
「……なるほど……、これが……、今のワンダーランドだというのですね……、アリス……」
彼の言葉はビルにははっきりとは聞こえなかったが、紳士の悲痛な表情に気が付いて、ビルは声を掛けた。
「来るのは初めてって言ってたよな、旦那」
紳士はビルに苦笑いを向けて答える。
「……ええ。この国がどういう所なのかは、知っているつもりだったのですが……」
トカゲのビルも、同じような苦笑いをした。
「へっ……、ビックリだろうな。この国は変わったから……。『革命』でな」
紳士はその腫れぼったい目を丸くして驚く。
「革、命……! まさか、この
「そのまさかさ。王様や女王様は首を
紳士はその目を一層大きく見開き、再び建物の方を向いた。
「そう、カジノさ。この国の奴らは、もともとゲームとか大好きだ。みんなそれぞれの町にできたカジノに毎日通い詰めた。いや、『通い詰めた』ってのは『たまには帰ってる』って時に使う言葉だな。実際はみんな、仕事も生活もそっちのけでカジノに入り浸りさ。みんなあっと言う間に
と、その時だった。建物の入り口に立っていた、トランプ柄の制服を着た警備員らしきキツネが、彼らの方に向かって大きな声で呼ばわったのだ。
「よお、ビルじいさんじゃねえか! そんなとこで何してる! そっちの鞄の兄さんも! 中入って遊んでいきな! カードにダイスにルーレット! じいさん昼も言ってたじゃねえか、『次やれば勝てる、次は運が味方してくれる』って! ほらほら二名様どうぞ!」
薄ら笑いを浮かべながら大声を上げるキツネを、トカゲのビルは黙ってじっと睨みつけていた。が、次第に彼はそわそわと落ち着かなくなり、それから突然、ビルは敷地の外を、柵に沿うようにして走りだした。旅の紳士も慌ててその後を追う。
「っどうしたのですか? 大丈夫ですか、急に……」
ビルはカジノの敷地の終わる所で、ほとんどうずくまるようにして息を切らしていた。紳士がその顔を覗き込もうとすると、ビルは下を向いたまま、声を震わせて言った。
「グ……、ギャンブル中毒なんだっオイラはッ……! 今日だって昼間っ……、オイラぁ有り金全部賭けて負けたばっかりだ……! なのにちょっとでも金が入りゃ、すぐまた賭けに使いたくなっちまう……!」
彼は先ほど紳士に恵んでもらったコインを、両手でせわしなくいじくり回していた。
「もう一回、もう一回だけ、ってよ……。次は当たる、次は勝てる、次勝ったらやめる、いや、負けても次で絶対やめる、って。……けど、ダメなんだ……! 有り金全部スッても、生活犠牲にしてもやめられねえ……! 他の事なんにも手ぇ付けられなくなったって止まらねえ……! バカだと頭でいくら分かってても……! 変われねえんだッ! いつまで経っても……! 変われねえッ……。クズなんだよ、オイラはッ……! 救いようのない、クズ……! クズは、クズのまま……! きっと死ぬまで……、変わらねえんだッ!」
彼の足元の地面が、滴り落ちる涙で濡れ始めていた。嗚咽を漏らしているビルの脇で、例の紳士は黙ったままうつむき、顔を覆うように帽子に手を当てていた。
やがてビルは顔を上げると、擦り切れた服の袖で涙を拭きながら紳士に言った。
「……へっ……、すまねえな、みっともねえとこ見せて……。いや、そもそもこんなとこ連れてくんなって話だ。旦那、宿屋とか……」
「『腕のいいギャンブラー』は……」
旅の紳士が出し抜けに口を開いた。ビルは怪訝そうに彼の顔を見る。
「彼らは皆、『ネジ巻きをなくした時計』に似ています。即ち……」
紳士の口調と表情は真剣そのものだ。ビルの頭の中にクエスチョンマークがいくつも浮かぶ。ここで紳士は、急に声を明るくして言った。
「『まけません』ってね」
「……旦那、いったい何……」
ビルは戸惑うが、紳士はお構いなしでまくし立てた。
「ですからね、強いギャンブラーはなかなか負けませんよね? それとネジ巻きをなくしてしまったら時計が巻けないのでそれを掛けて……」
「畜生っ! もういいよッ!」
ビルはたまらず声を荒らげた。それから彼はがっくりとうなだれると、自嘲気味に呟いた。
「……へっ。なんだよ……。腕のいいギャンブラーとか言うからよ、
「……知ってますよ」
「なんだってッ?」
トカゲのビルが素早く顔を上げると、紳士はあっけらかんとして微笑んでいた。
「フフ……! 知ってますよ! ギャンブルの秘訣。やり方があるんです。絶対負けない方法が……!」
「ッ旦那、マジかッ! それは何ッ! カードかッ? ルーレットかッ? 教えてくれッ! いや、教えろッ!」
ビルは大声を上げて紳士に掴みかかろうとする。
「ちょっと……! シーッ! 静かに……!」
紳士は両手でステッキを持って、ビルを押し留めながら言った。
「教えるのは構いません。これも何かの縁ですから……。ただし、一つ条件があります。……私に、協力してほしいんです」
ビルは落ち着きを取り戻し、声をひそめるようにして紳士に言った。
「協力、する……! 何をすりゃあいい? 言ってくれ……!」
すると紳士はステッキの柄で、握りしめたままのビルの拳を小突き、続いてステッキの石突きの方で、鉄柵の向こうを示した。ビルは手を開いて、例の六ペンスコインと柵の向こうのカジノ、そして紳士の顔を代わる代わる見つめる。怪訝な表情をしているビルに向かって、紳士はウインクを一つして、次のように言った。
「二人でカジノに乗り込むんです。そして、その六ペンス
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