その一 死体は眠らない ~バカな悪人だらけの狂詩曲~


 赤川次郎のキャラクターはみんな前向きである。

 当然ながらとても良い事のように見えるが、この前向きさが曲者だ。

 前向きであるという事は、自分の人生を好転させるのに熱心だ、と言い換えることができるだろう。

 それはつまり「自分の人生を良くするためなら手段は選ばない」「その中でもより効率が良くて結果が最上の物を選択する」という事で、そのためなら殺人もいとわないというのが、赤川次郎の作品に登場する犯罪者の大半を占めるのである。

 今回紹介する『死体は眠らない』の主人公などはその最たるものと言えるだろう。


 この本を最初に読んだのは子供の頃だったが、当時あまりの内容の強烈さに打ちのめされた。その初読から数十年読み返していないにも関わらず、再読した途端ラストが思い出せたくらいである。

 物語の主人公は池沢瞳。女性のような名前だがれっきとした男で、親から引き継いだ会社を経営する社長で今風に言えばセレブ。大邸宅に妻と二人で住んでいるが、そんな彼が妻を殺し終えたところから話は始まる。

 悪妻であったという妻を殺し、若い愛人の祐子と甘い生活を夢見たのもつかの間、なんと池沢の所に死んだはずの妻を誘拐したという脅迫状が届く。妻は自分が殺したからこれは偽物だなどと言えるはずもなく、池沢と祐子は謎の狂言誘拐に巻き込まれて行き、やがてそれは警察や周囲も巻き込んだ大事件へと発展していく。


 赤川次郎の数ある作品の中からなぜよりによって最初にこれなのか。

 それはこの長編、頭からつま先まで全身「頭がおかしい」「クレイジー」としか言いようのないのである。赤川次郎のもつ「おかしさ」を紹介するのにこれ以上的確な本は他に無いと筆者は確信している。

 この作品の何がおかしいのかというと、それはひとえに登場人物たちのモラルの欠如っぷりにつきる。物語は主人公の池沢の一人称で語られるのだが、自分の欲望のために妻を殺した彼は言うまでもなく極めて自分勝手な考えの持ち主であり、その彼を通して物事が語られるので、読者は池沢の一方的な決めつけや愛人の祐子への過剰な甘さや事件への勝手な展望を読まされるわけで、犯罪者が語り手の作品は数あれどこれほど同情したくない主人公もなかなかいない。

 では他のキャラクターはどうかというと、愛人の祐子から池沢の部下や隣人に事件に巻き込まれたチョイ役に至るまで誰一人まともな言動の人物は存在しない。みんな程度の差こそあれ自分の都合が最優先である。

 そんな中でも最も強烈な存在が、途中から登場する刑事の添田だろう。

 赤川次郎は何か警察に怨みでもあるのかというくらい、善人にせよ悪人にせよそうでないにせよ色んな作品におかしな刑事・警察官を多数だしているが、その中でも今作の添田は頂点に位置するキャラクターだ。

 無能なだけならまだしも、適当で食い意地が張っていてその上自己保身だけはいっちょ前にしようとして、事件を無駄にややこしくする。これで善人性も無いと来ているので、フィクションに出てくる刑事の中でも間違いなく底辺に位置する。主人公を食いかねないくらい目立ってしまっているので、赤川次郎も色んな意味でノってしまったのだろう。


 こういう感じでまともなキャラがほぼ登場せず、全員が自分の欲望のままに動き、その結果自滅したり他人を破滅させたり悲惨な目に遭い、あるいは合わせといった事を繰り返し、仮に助かっても一向に反省しないという事が主人公や脇役たちの間で延々繰り返されるのが今作である。

 これで人がそんなに死なないのだったら「ユーモア・ミステリ」という看板にも偽りないのだが、この作品凄まじい勢いで人死にが出る話でもある。

 ユーモアというにはあまりにも悲惨であり、かといって深刻ぶるには登場人物たちの無茶苦茶さに笑うしかない。喜劇性の中にちりばめられたどうしようもなさが、今作に奇妙なドライブ感を生み出している。

 海外ミステリファンならば、アントニー・バークリーの『ジャンピング・ジェニイ』を連想するかもしれない。あちらは死んだ女性が全く他人から同情されない人物だったが、こちらは被害者どころか加害者も関係者も全て同情されない人物という違いはあれど。

 この作品が歴史に残る名作だとか、全ミステリファン必読だとかそこまで大げさな事を言うつもりは無い。

 しかしこれほどおかしな話を当代一のベストセラー作家が書いているというのは、とても愉快な話ではないだろうか?


(この先今作のネタバレがあります)






 全編がプラクティカル・ジョークのような作品だが、では赤川次郎が連載作品なのでノリを重視して書いたのかと思うとそうではない。

 ラストを読めば分かるが、愛人の祐子に裏切られた池沢が彼女を殺そうと決意するきっかけになる小道具はかなり前半に登場していて、最初からラストを決定して書いていたのは間違いない。

 そしてそのラストは必見である。

 直前までと全く空気が変わり悲劇一色となり、にもかかわらずそんな中でも主人公の語り口が変わらないのがうすら寒さを感じさせるようになっている。これこそが赤川次郎の狙いだったのかもしれない。

 余談だが今作が連載されていたのは『バラエティ』という月刊誌である。当時のアイドルたちが特集される事も多かったというこの雑誌に、そのアイドルたちと同世代の祐子という悪女を出した赤川次郎に、一抹の悪意を感じるのは僕だけだろうか?


(ネタバレ終わり)



書誌データ

1984年2月カドカワ・ノベルズ

1985年8月角川文庫

1998年11月徳間文庫

2019年12月徳間文庫(新装版)

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