〈金糸雀〉2
夜が二回明けた。つまり旅立ちの日だ!うきうきしながら荷物を詰め込む。元々持ってきているものも少ないし、準備は簡単だった。市場で買ってもらった着替えをいくつかと、サンドラさんが見つけてくれた僕の財布。それをナップザックに入れて背負う。クラリスさんにもらったコートと、これまた市場で買ってもらった手袋をナップザックの隣に置いて、部屋を出た。
僕の部屋のドアノブの丸いくぼみには赤く光る綺麗な玉が入っている。『雀の涙』に住んでいる精霊持ちは、まず無色透明な宝玉に霊力を込めるんだそうだ。込めた霊力によって宝玉の色が変わり、その宝玉をドアノブに取り付ける。これで、ここに人が住んでいますということが分かるだけでなく、部屋が霊力に守られて本人以外誰も部屋に入れなくなる。宝玉を取り付けると、数字の部分が不思議に光沢を帯びて輝く様になった。他の部屋を見ると本当にいろいろな色があって、綺麗だなぁと常々思う。
仕事を終えて朝ご飯を平らげ、出発だ。部屋からナップザックとコート、手袋を持ってきて身につける。
「行ってきます!」
そう言って四人で外に出た。〈眠り月〉が終わって、今は〈
三人とも旅慣れをしている感じで好奇心の目も向けずただひたすらに歩いて行く。もっとスタスタ行くイメージだったけど案外のんびりだ。イグナスさんは深い緑色のジャケットに白いマフラー。サンドラさんは黒いダウンに茶色い耳当て。エレンは・・・何だあれ。赤地に金の糸でなんかすごい刺繍がされたポンチョに、黄色の長い手袋だ。全体的にすごく高そう。きっとどこかいい家の生まれなんだろうな。
「何見てるの。」
僕の視線に気づいて、エレンが言った。
「い、いや、高そうな服だなと思って。どこで買ったの?」
「特注。」
え?特注だって?いやいや、いくら何でもそんな高いもの買えるわけないだろう。
「ごめん、もっかい言ってくれる?」
「耳が悪いのね。聞こえなかったかしら、特注よ。」
「えっでも特注って!千ドルくらいするやつじゃん、よく買えたね!」
「千ドルじゃないわ。もっとよ。この装飾は金を伸ばしたもので作ってあるの。そこに軽量の魔法をかけてあるわ。それからこの布を染めた染料も希少な
僕がエレンの家の裕福さに唸っていると、今まで何もなかった道に高い壁が現れた。
「もうすぐターナー領だ。はぐれないように気をつけろ。」
イグナスさんの言葉に気を引き締める。ターナー領はシモン・ターナー伯爵の領で、賑やかな街並みと糸を使った製品が特徴だ。イグナスさん達は何度か来たことがあるらしく、門番と二言三言話して、驚くほど早く領に入れてもらえた。領の中心には高くそびえる純白の屋敷が。あそこがターナー伯爵邸だろう。僕達はそこに向かって歩き出した。
「おやおやイグナス君。久しぶりだね、サンドラ君も。」
ターナー邸に入ると、伯爵直々のお出迎えがあった。伯爵は温厚そうに微笑みを浮かべてイグナスさんと握手を交わす。
「お久しぶりです伯爵。」
「その二人は?」
「エレンとジャック。『雀の涙』の新入りです。」
「よろしくお願いします!」
「・・・よろしく。」
伯爵にも敬語を使わないなんて本当になってないな!半ば呆れながら僕はエレンを見た。伯爵も少し怪訝な顔をしたが、すぐに元のような笑みを浮かべた顔に戻った。
「今日はどんな用かな。また布の買い出しかい?」
「ええ、まあ。前に買った172番の布をもう少し頂きたいんです。それから、25番を二巻くらい。」
「ああ構わんよ。他には?」
「いえ、それで十分ですわ。いつもありがとうございます。」
「いやいや。お礼を言うのはこちらの方さ。贔屓にしてもらっているからね。これからもよろしく頼むよ。」
「また利用させて頂きます。」
イグナスさんは執事らしき男性が持ってきた巻物と端切れを受け取った。
「それからイグナス君。クラリスは元気かい?迷惑をかけていないだろうか。」
「クロードが面倒見てますんで、大丈夫じゃないですかね。なあジャック。」
「えっ!ああ、はい。多分。」
突然話を振られて驚いた。それよりもなぜ今クラリスさんの名前が?僕はエレンと顔を見合わせた。彼女も分かっていないみたいだ。
「そうか、クロード君にも何かお礼しなくてはいけないな。おいハンス。前に彼女用に作っていたのがあったろう。あれを持ってこい。」
ハンスさんが持ってきたのは皮の袋で、少し持ってみたがずっしりと重かった。
「クロード君によろしく言っておいてくれ。」
「はい伯爵。また来ます。」
「ああ。待ってるよ。」
僕たちは伯爵邸を出て、ターナー領の出口に向けて歩みを進めた。
寮を出て、視界にはまた広い草原しか映らなくなった。イグナスさんが〈若草〉の風で布を運んでいる間、僕はサンドラさんに、なぜ伯爵家でクラリスさんの名が出てきたのかを聞いた。
「ああ、あのね。あの子、本名はクラリス・ターナーっていうの。伯爵家の令嬢よ。びっくりした?」
「え、貴族だったんですか!」
「見えないでしょ。」
僕は『雀の涙』で見たクラリスさんの姿を思い浮かべた。確かに見えない。着飾って曲に合わせて優雅にダンスを踊っているところも想像しようとしたが・・・だめだ。全く想像がつかない。
「あれでも貴族・・・。あんなんでも良いのかしら。」
エレンが呟いているのが聞こえた。おいおい!流石に「あんなん」は酷いだろ!
「ダメよエレン。あなたは家柄的にそんな風にできないでしょ。」
「でも、憧れるなぁ。わたし、サンドラ達に連れ出してもらえて本当に嬉しかったの!ゴテゴテしたドレスも着なくて良いし、堅苦しい礼儀もなし!自由って素晴らしいわ!」
何事にも無関心そうに見えていたエレンの顔が輝いたのを見て、僕はクラリスさんが貴族だと聞いたときよりも驚いた。こんなに感情を表に出すことがあるのか、とまた見つめてしまう。すると彼女は僕を睨み、
「何見てんのよ。」
と元の無愛想な表情に戻ってしまった。なんか少しだけ残念だ。
「行くぞ。」
イグナスさんが進み出して、僕たちは慌てて後を追った。なんだか見覚えのあるところに来たけれど、気のせいだと思いたい。だがそんな僕の期待とは裏腹に、イグナスさんから次の行き先が告げられた。
「次はアーヴィング領だ。最近怪しい動きがあるらしい。街で一泊して、明日からは偵察をメインに動こうと思う。」
絶望した。二週間前にようやく抜け出せたと思ったのに、また戻るなんて。
「どうしたジャック。何かあったか?」
「あの、買い物、しても良いですか。」
「ああ、そのくらいなら。土産でも買うのか?」
「いえ、そういう訳じゃ。ただ、変装しようと思っただけで。」
「変装?見つかったら困るのか?指名手配とか?」
「まさか!アーヴィング領は一応僕の故郷で、父と兄に見つかったら困るんですよ。」
そう言って、僕は僕が『雀の涙』に来た理由を話した。
「だから、せめて顔が隠せれば良いと思って。」
「なるほどね。ならイグナス。あれ、まだ無かった?あの、11番のすっごく薄い布。」
「そういえば余ってたな。えっと・・・あっこれだ。ジャックこの布を目の周りに巻いてみろ。」
「こうですか?」
言われた通りに巻いてみる。目隠しをしている気分だ。ただ目隠しと違うのは周りの景色がぼんやりと見えること。本当に薄い布なんだと実感した。
「目元が隠れたわね、完璧。ちゃんと見えてる?今から移動するから、目で追ってみて。」
サンドラさんの黒い影が僕の周りを動く。しっかりと目で追えたのを見て、彼女が頷いたように見えた。
「全然大丈夫みたい!良かった〜。じゃ、行こっか、イグナス、エレン。」
「ああ。」
僕は一番見やすいサンドラさんを追いかけるようにして、恐る恐る門へ向かった。
「許可証は?」
門番が言った。
「そんなものは無い。」
イグナスさんが言うと、門番は鼻を鳴らしてシッシッと手で払うような仕草をする。
「ここでは中に入るのに許可証が必要なんですよ。それを持ってないならお引き取りください。」
「ここに領主の子息がいるのにか?」
「そんな嘘で通ろうとしてもダメですよ。そもそも領主様のご子息はアレキサンダー様とスーザン様しか居ないんですから。私はお二人のことを毎日のように見てますがね、そんなちびっ子じゃないですよ。」
「う、嘘じゃない!僕はジャック・アーヴィング、エドモンド・アーヴィングの次男だ!」
存在を否定されたように感じ、僕は門番に怒鳴った。しかし門番の態度は相変わらずだ。
「ハンッ、ご冗談を。エドモンド様にお子様は二人。次男だなんて聞いたこともないですね。許可証を提示できないんなら力づくで放り出しますよ?」
僕はショックのあまり固まってしまった。まさか・・・十五年間僕の存在は民に知らされていなかったというのか!門番は僕が固まったのを敗北を認めたためと思ったらしく、ニヤニヤ笑っている。
「ジャック、ちょっと退いて。」
後ろで声がした。振り替えると、今まで黙って立っていたエレンが、門番の方へスタスタと歩いて行こうとしていた。
「ちょっとあなた、誰の連れに向かってその口を聞いたのか分かっているでしょうね?」
「エレン!?」
彼女は腕組みをして門番の前に立ちはだかった。
「なんですかお嬢ちゃん。まさか君もアーヴィング家の子息だっていうんじゃ」
「違うわ。」
即座に否定されて、門番は顔をしかめる。
「私はエレン・サザーランド。王位継承権第一位の王女よ。」
ええええええっ!王女!?いやいや流石に無理があるだろう。門番もまた勝ち誇ったようなニヤケ顔に戻っている。
「さっきのより無理がありますよお嬢さん。もっとマシな嘘を考えた方が」
「証拠。」
そう言って彼女は右の手袋を脱いだ。その腕には純金に赤い宝石がはめ込まれた腕輪が光っていた。
「ここ、よく見て。」
門番は覗き込むと、急に青ざめた顔になって敬礼した。いい気味だ。
「し、失礼しました!エレン王女とそのお連れ様、ですね。どうぞお入りください!」
僕達はエレンの後について、白い目で門番を眺めてアーヴィング領に入った。
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