第8話

「だーかーらー! 俺、ひとりで入れますってば。ちっちゃい子じゃないんだし。大体、こっちに居たとき、前もひとりで入ってたじゃないッスかあ!」

「それはそうだが」

「『それはそうだが』じゃないっつの!」

「またお前のことだからな。何もないところでつるりと転びはせぬかと心配で」

「しっ……失礼な!」


 例によって、俺は湯殿の入り口で陛下とぽんぽん言い合いをやらかしている。なんだか毎度毎度こんなことをやっている気もするんだけど。ほんとこの人、諦めが悪いよな。


「いや。だからそういうことではなくてな」

「そんじゃあ、どういうことだって言うんですか」

 俺たちの入浴の手伝いをするために湯殿づきの女官さんたちが何人か控えているけど、こういうやりとりを見慣れてしまっているせいなのか、ただにこにこと聞いているだけでちっとも助けてもらえない。

「まあ、心配するな」

 と、陛下がついと片手をあげた。俺は本能的に口をつぐむ。

「そなたが兄上殿にみさおだてをする理由は重々承知。あれこれ心配するなと言うのだ」

「だったら──」

 言いかけて、俺はハッと口を閉ざした。周囲の女官さんたちが、ぽかんと俺たちを見比べている。


(だ、だめだ!)


 だめだだめだだめだ。この人たちには、俺と佐竹がお付き合いをしてるだなんてわざわざ教えてあげる必要はない。断じてない。

 俺がそんなことを考えて口をぱくぱくさせ、赤くなったり青くなったりしているのを、陛下はにこにこと観察していた。

 そうして、さっき俺とつないでいた方の手をすいと差し出して見せた。


「ただ先刻、俺もつい不用意にお前に触れてしまったからな。入浴して少しでも毒を消さねば、大事なムネユキに触れられぬ。ムネユキばかりではない。この王宮にいるすべての大切な臣下の皆に大いに迷惑を掛けかねん。そうであろうが?」


 こらあ!

 いかにも誠実そうに、それっぽい理由を並べてもダメだかんな。

 にやあと口の端をひっぱりあげてるその顔が、台詞の全部を裏切ってるかんな!


「こっ……この──」 

 両手を握りしめて全身を震わせていたら、そのままぐいとシャツの肩を掴まれて引っ張り込まれた。

「うわっ……!」

 さすが、常に朝晩の鍛錬で剣をふるっているだけのことはある。凄い握力、それに膂力りょりょくだ。とても逃げられると思えない。そこはこの人、佐竹とほとんど変わらないから。

「まあ、諦めろ。手出しはせぬ。約束する」


 ほんとかよ。

 そう思って睨みつけたら、ちょっと不思議な目で見返された。

 な、なんだよ。急に真顔になられると、怖いんですけど。


「大事な兄上殿の想いびとだ。……さすがに王に二言はないわ」


 だから案ずるな、とまた笑って、陛下はまた俺の頭をぐしゃぐしゃにした。そうしてさっさと脱衣スペースに入ると、自分の衣服を脱ぎはじめた。





 結果から言うと、陛下はちゃんと約束を守った。

 一緒に湯舟に入っても常に三メートルは離れてくれていたし、体を洗う時にも手を出してくるようなことはなかった。

 俺は普通の三倍ぐらいは疲れたけどね。

 ああ、心臓に悪いんだよこの王様は!

 大体、どうかすると本当に佐竹にしか見えないことがあるから、余計に始末が悪い。


 湯殿から出ると、脱衣スペースの籐の籠に、以前俺がこっちの世界で着ていた若草色の長衣が準備されていた。日本の着物ともちょっと似ている、前袷まえあわせの装束だ。用いられている意匠も、草木や花鳥風月をあしらったものが多い。


「わ。これ、懐かしい……」


 思わず手にとって、手触りを確かめてしまう。

 そうそう、こんな服だったよ。基本的にいつも俺が着るものは萌黄色とか若草色が中心で、縁には派手に見えない程度に品のいい刺繍飾りがほどこされていて。

 これを着て、俺はこのノエリオール宮の文官として、こちらの国で算盤そろばんを作る仕事をしていたんだ。


「そうであろう? そちらの姿で会ったほうが、ムネユキも無駄に驚かずに済むであろうからな」

 背後から陛下が言った。自分の装束は、もうさっさと身に着け終わっている。

「あ、なるほど……」

 確かにそうかも。赤ん坊って、パパの髪型が変わっただけでもギャン泣きしたりするもんなあ。前にそれで親戚のおじさんが、女の子の赤ちゃんに大泣きされてしょげてたのを思い出す。


「そういえば、小ムネって今いくつなんですか? 何か月になってます?」

「そなたらがあちらに戻って、もう四季をひとめぐりしたからな。大体だが、一歳にはなっているだろう」


 陛下はさらりと答えたけど、訊いてしまっておきながら、俺はふと胸が痛むのを覚えた。

 だってムネユキの誕生日は、そのままこの人の奥さんがお亡くなりになった日だ。はっきりとしたその日付をこの男が教えてくれたことはなかったけど。


「では、そろそろ参ろう。昼時までに会っておいた方がよかろう」

「あ、はい」


 促されるまま、俺は脱衣スペースの外へ出た。

 そしてそのまま、ノエリオール宮の奥の宮へと連れていかれた。

 俺の足はだんだんと速くなる。

 

 ああ、ひさしぶり。

 久しぶりに、あの小ムネに会えるんだ……!


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