第12話 環と神印の在処

 照彰と如月が聖桜の都についてしばらくした後。環も都を囲む柵の前に立っていた。


「はぁーついた。さて入るか」


環は懐に手を入れ、何かを探しながら門へと近づいていく。門番の男二人が環に気づくと、睨んで手に持つ槍を握りしめて警戒心を露わにする。環はそれを見てため息をつく。何のために俺がここに来たと思ってるんだ、と呆れてしまったのだ。


「そう睨むなよ。俺は依頼があったから来たんだ」

「依頼だと?」

「そーだ。ここからの依頼は初だがな」


 流星の名が記された依頼書を見せ、門番は驚いたような表情を見せたが、すぐに頭を下げた。


「失礼しました。春音様と桜貴様から聞いております。どうぞ」


 門番は門を開くと、環を中へ招き入れた。

 流星はこの都でもかなりの有名人だ。名前だけでこの影響力で、頭まで下げる門番に、環は手を振って中へと入る。

 桜の雨が環を出迎え、桜の香りが包み込むように漂ってくる。


「さて、依頼人を探すか」


 今回この都からの依頼人は「藤光」という名の男性だ。しかもこの男性はこの都の人間代表である春音の孫だったと環は記憶している。何故彼から依頼が来たのか。環の仕事は妖霊退治で、当然妖霊に攻撃したり、場合によっては殺したりもする。人と妖霊が共存するこの都で環はどちらかと言えば「敵」と言われても仕方ないはずなのだ。

 しかし、こうして藤光は環に依頼してきた。先程の門番だって、環を最初は警戒していたが、それは余所者だからだ。環が妖霊退治に来たと分かっても入れてくれた。そして門番の言葉。


『春音様と桜貴様から聞いております』


 つまり、この都の代表二人は環が来ることを知っていたことになる。単純に考えれば神印を集めるために来るということを門番に伝えているのだろうが、照彰と如月が先にこちらに来ているはずだ。


「何かひっかかるな…」


 環は顎に手を当てて、神社を離れる前のことを思い出していた。

 都から依頼が来たから行け、と流星に言われた時だ。彼女は依頼書を見ながら何やら微笑んでいた。そしてこう言ったのだ。


『助けてあげてくださいね』


 妖霊を退治しに来たのだから、誰かを助けることにはなるだろう。だが、そういう意味ではないような気がするのだ。流星は誰にも何も言わずに何かを企んでいることがよくある。


「俺、もしかしたらあいつらの手伝いさせられてるんじゃ…」


もし照彰の手伝いになるならやりたくないが、こうして依頼が来ているのだからやらないわけにはいかない。

 環は「はぁー」と盛大にため息を吐くと、頭をガシガシとかいて依頼人である藤光を探す。何故か今回の依頼書には普通は書かれている待ち合わせ場所がなかったのだ。藤光の特徴を知っているから苦労はしないだろうが、待ち合わせ場所があった方が時間がかからないのに、とまたため息を吐きたくなる。


「待ってー!」

「こっちこっちー!」


 畑や田んぼに囲まれた小道を走り回る子ども二人。一人は人間、片方は妖霊だった。髪の色が桃色で微かに妖気を感じる。特徴からして、おそらく聖桜の木の小枝の部分が人の姿をしているのだ。おそらく力をつければ立派な木になることもできるだろう。

 そんな二人を見つめながら歩いていると、ドテンと音を立てて妖霊の子どもが前へと転んだ。それを見た人間の子どもは慌てて駆け寄ると、手を差し出して起こす。そしてまた笑いながら走って行ってしまった。


「……」


 初めて見た人間が妖霊を助ける姿。環が知らない世界。桜の雨が降り注いで幻想的にも見えるその景色は、環のかつての黒い記憶を塗り替えていってくれるようだった。

 しかし、次に目に入ったものに、環は息を呑んだ。

 道端の草花の周りを舞う一匹の白い蝶。どこにでもいる、よく知っている蝶。だが、「蝶」という存在は、環にとっては憎いものの象徴であった。

 蘇る景色。暗い家の中。黒く焦げて倒れている両親。赤い血にまみれた幼い己。

 そして、両親を冷たく見下ろす紅く燃える蝶。それは美しい女の姿に変えると、後ろを振り返り、恐怖で動けなくなっていた環を見つめた。その瞳は、炎のように紅く光っていた。


『メンドクサイなぁ…ほんと、君は“何も知らない”くせに』

『なんだとっ』

『だってそうだろ?君は正確に“あの現場”を見たわけじゃないのに、何故そこにいただけの麗雅を恨む。人間ってそういうとこあるよねぇ』


 頭に響く夜楽の声。彼の言う通り、環は正確に見たわけじゃない。何故かあの時、環には意識が無かった。

 だが、なら何故あそこに麗雅がいたのか。あのことがあってから、環は流星の下で育ち、妖霊退治を仕事とした。そうすれば、自分の目的を果たせるだろうと。


「あのぉ〜…」

「あ?」


 後ろからかけられた声で現実に引き戻される。振り返ると、そこには薄紫の肩に届く髪に黒い瞳の青年。紺の着物を着ており、その手には黒の布を手にしている。

 青年は何やら不安そうな表情で、環の低い声に少々怖がっている。


「誰だ?お前」

「ええ!?僕です!藤光です!この都の代表の孫の!」

「ああ、お前が…ヤッベ忘れてた」


 ガーン、と分かりやすいほど落ち込んだ青年、藤光。確かに環が知る特徴と一致する。少々気弱そうなところまで。


「てことは依頼人だな。俺は環だ」

「はい、知ってます。刀の達人で、今までにも悪い妖霊をたくさん退治していると…」

「あ?まーな」


 どうやら自分も流星とまではいかないが、有名人らしいことに悪い気はしない。

 

「で、俺に何の依頼だ。もしかして、この都の人間だが、退治してほしい妖霊でもいるのか」

「それはありません!皆仲良く協力して生きてます!退治だなんてとんでもないです!!」

「じゃーなんで呼んだんだ…」


 退治じゃないと言われて環は額を抑えた。何のために来たのか、なら依頼は何だ、殴っても良いかとか、色々聞きたい。


「実は今、お祖母様と桜貴様からの試練の最中で…"これ"を守り切らないといけないんです…」

「試練?…ってコレっ!!」


 藤光が着物の袖の中から巾着を取り出し、中から出された物に環は心臓が飛び出しそうなほど驚いた。

 藤光の手にのっているのは、深紅に輝く四角の判子。上の面には「流」の文字が刻まれているそれは、紛れもない「神印」と呼ばれる物。照彰が今、ここに来て探している物だった。


「何でコレがここにあるんだよ!まさか盗んだのか!?いくら親族だからって…!」

「わー!声が大きいです!とりあえずこちらへ!!」

「おいどこ行くんだよ!」


 神印を見て動揺する環を、慌てて引っ張っていく藤光。周りで畑仕事をしていた人々が「藤光様だ」「もう一人は誰だ?」「まさか余所者か…?」という声が聞こえてくる。が、二人はそんなのお構いなしにずんずん進んでいく。環は進むというよりは引っ張られているが。


「あ、おかえりなさい藤光!」

「うん、ただいま魅桜」

「誰だよっ!」


 環が連れて行かれた場所は、暗く人気のない民家と民家の間の細い道だった。そんな場所にいたのは、桃色の長い髪の先を緩く結い、白地に桜柄の袴を着た美少女。顔立ちは桜貴とそっくりだが、彼女より幼さのある容姿だ。

 

「紹介します。彼女は桜貴様の娘で、僕の…こ、恋人さんです」

「藤光の恋人さんの魅桜です!」

「ははぁ〜ん、なぁるほどねぇ〜」


 恥ずかしそうな藤光と、嬉しそうに笑う魅桜。恋人だというこの二人と神印を見て環は全てを理解した。

 

「お前ら、結婚したいのか」

「そうなんです!」

「だから今、お母様と春音様の試練を受けてる最中なの!」


 二人は結婚したい。しかし、人と妖霊が共存していても、結婚は簡単なことではない。それも人間と妖霊の次期代表になる者同士。神印の後継に影響が出るだけでなく、寿命や暮らしの違いにより悩むこともあるだろう。それに、今までに人間と妖霊が結ばれ命を生み出した話はない。ただ確認できていないだけかもしれないが、今のところ前例がないのだ。


「お前ら分かってんだろーなぁ。人と妖霊の結婚なんて、簡単なことじゃないし、相応の覚悟が必要だ」

「それは勿論です!だけど、俺は魅桜と一緒にいて、魅桜を今よりも幸せにしたいのです!」

「私は藤光といられるだけで幸せだけれど、結婚は神に誓うこと…神に誓ってずっと一緒にいるって、とても素敵だもの!私は命ある限り、藤光といたい!」

「そのために今日一日、この神印を誰にも奪われずに守らないといけないんです!」

「あー…そう」


 二人の思いを聞いた環は、こういう時に何を言うべきなのか分からないため適当に返す。

 そこでふと「あれ?」と思い、もしやと気になることを聞いてみる。


「さっき誰にも奪われずにと言ったな。まさかとは思うが、俺への依頼って…」

「はい!僕達の幸せを邪魔する刺客から守ってくださいっ!!」

「断るっ!!!」


 即答した環に、二人はポカンという表情になる。しかし、二人は互いに顔を見合わせると、もう一度。


「守ってください!!」

「嫌だね」

「何でですか!!」


 二度聞かれ、環は心底嫌そうな顔だ。対して二人は断られると思っていなかったのか驚いている。


「あのなぁ、そもそも俺は妖霊退治を仕事にしてるんだ。お前らの依頼は俺の専門じゃない」

「で、でもっ…あなたしか頼れる人がいないの!」


 二人は必死に頼むが、環は首を縦には振らない。藤光は少し泣きそうになっており、魅桜は落ち込んだのかしょんぼりしている。


「てか、自分達の幸せなら自分達で守ったらどうだ?それができないなら、諦めることだな」

「…っ!」


 環の言う通り、他人に頼るべきでないことを、本当は分かっているのだろう。二人は黙り、藤光は拳を強く握りしめている。

 その二人の様子を見た環は、深くため息を吐き、もう自分には関係ないと、ここを去ろうと「じゃ」と二人に背を向ける。


「ま、待ってください!確かにあなたの言う通り、誰かに頼るなんて覚悟が足りないと思われても仕方ありません…でも!覚悟もあるし、神印の受け継ぎ先だってちゃんと考えてます!だからっ…!」

「お願いよ!正直言って腕の立つ者が刺客だったら私達は勝てる自信がないの…だけど、二人で一緒にいたい!」

「そうは言ってもなぁ…」


 藤光が環の腕を掴み、魅桜は前に立ち塞がって頭を下げる。困った環はうんざりといった表情だ。

 しかし、ふと環はこう思った。

 神印が今、藤光と魅桜が持っている。そして、照彰がこの都に神印を求めに来ている。当然、照彰は神印を探すだろう。もし、二人の護衛をすることにした場合、照彰の邪魔ができるのでは、と環は思い至った。

 環は照彰のことを手伝いたくない。人間と妖霊は分かり合えない。仲良くするなど有り得ない。この都はそうではないが、ここ以外の場所では敵同士。

 そう考えると、環のやることは決まったも同然だ。


「良いだろう。守ってやるよ」


 環は口元に笑みを浮かべてそう言った。


「本当ですか!?」

「ああ。お前達の結婚を応援するわけではないが、少々事情が変わった」

「ありがとうございます!!」

「冷たい方かと思ったけど、優しいのね!!ありがとうございます!!」

「おーい、魅桜さーん、それは余計だぞー」


 引き受けてくれた環に、藤光と魅桜は手を合わせて喜び合う。嬉しさのあまり、飛び跳ねて喜びを表している。


「ま、頑張るか」


 環は照彰の邪魔ができればそれで良かった。照彰の目的を果たしてなるものか。神印を渡しはしないし、心底悔しがれば良い。そんなことばかりを考え、自分自身を「嫌な奴」と思ったがそれで良かった。

 妖霊は許せない。両親を己から奪った存在など認めない。悲しみしか生まない妖霊と共存なんてできっこない。

 環は目の前で幸せそうに笑い合う藤光と魅桜を眺めながら、そう考えていた。今は幸せでも、いずれ互いの違いにより結婚したことを後悔するだろう、と。


『助けてあげてくださいね』

 

 そこで、流星が言っていたあの言葉。あれは、照彰のことを言っていたのか。それとも、もしや藤光と魅桜のことを言っていたのではないだろうか。


「いや、それはないか」


 流星は照彰の考えに賛成していた。流星が藤光や魅桜の助けを頼めば、環のようにそれは照彰の邪魔をするということになる。

 だが、流星は何を考えているか油断ならない人物であることは充分に理解している。もしかしたら、これすらも流星の予測通りという可能性はある。


「ま、考えても仕方ない…考えるのは嫌いだしな」


 考えるのは止めて、環は二人の神印が奪われないように全力を尽くすことにする。腰の刀をいつでも抜けるように手をのせ、周囲を警戒する。

 今いる場所は細い道で、民家の屋根の上から来る可能性だってある。どんな相手が来るか分からないが、気を抜くなんてことはしない。

 照彰の邪魔が目的で、刺客の方はおまけのようなものではあるが、やると言ったのだから自分にできることはするつもりだ。

 一応、二人にはしばらく動かずここにいようと言い、このまま見つからなければ良いと思いながら、大きな声で楽しそうに話す二人を注意する。


「はぁ…にしても、代表二人が試練を課すとはな」

「はは、まぁ厳しいですしね」

「厳しいのもあるけれど、ちょっと楽しんでるような気もするのよね」

「それは分かるよ」


 苦笑する二人に、環は「こいつらも大変なんだな」という感想が浮かんだ。

 

「そういえば、流星様ってどんな方なの?」

「あ、それは僕も気になります」

「あ?何で流星のことが気になるんだ?」


 流星は環のように妖霊退治を仕事にする巫女だ。かつて、妖霊の長というべき存在と大きな戦いを繰り広げたこともあり、有名である。しかし、人間と妖霊が共存するこの都では流星を良く思わない者もいる。だから、二人が興味を持っていることが意外だった。


「だって…違う世界から来た現人なのよね?そっちの世界の方が気になるっていうか…」

「ああ、そういうことか」


 流星は、神流で現世と呼ばれる世界から来た者。それはもう大昔のことで、こちらでの年齢は環を遥かに超えている。

 そんな流星に興味を抱くのは珍しいことではない。環も同じように気になって聞いたことがある。


『現世ってどんな所なんだ?』

『…醜く穢れた世界ですよ』


 あんな言葉が出てくるとは思わなくて、環は当時のことをはっきりと覚えている。かなり印象的で、そしてあんなに怒ったような表情の流星を見たことがなかった。

 故郷のはずのその世界を「醜く穢れた」と話す流星は、一体そこでどんな経験をしたのか。環には想像がつかなかった。

 だが、如月の話によれば、流星は現世に帰るかを問われた際、迷わず「残る」ことを選んだらしい。帰りたくないと思うほどの何かがあったということなのだろうか。

 時間の流れが違う神流で、少ししか時間が経たないとしてもすぐに帰りたがった照彰は、流星のように「帰りたくない」と思うような経験をしてはいないのだろう。

 照彰は何の苦労もしてない「頭お花畑野郎」なのだ。環は勝手に照彰をそう評した。


「このあだ名なんか良くないか?」

「どうしたんですか?」

「ああ、いや…何でも」


 素直な感想が漏れてしまい、慌てて何でもないと返す。余計なことを考えず、今は二人の神印を守ることに集中だ。


「あ、聞いてくださいよ環様!僕と魅桜の出逢いを!!」

「話すのー!?恥ずかしいよ藤光!」

「良いだろう?どうせすることなくて暇なんだから」

「うーんそれもそうね!」

「お前ら浮かれ過ぎだ」


 環が協力してくれるからか、二人は既に心配することなどないというようにはしゃぎまくり、勝手に話を始め、環は嫌そうな表情をしたまま一切話には耳を傾けなかった。

 

「それでね、藤光ったら私のために桜茶を淹れてくれてね!」

「聖桜の桜を使ったお茶は絶品だしね。疲労回復にも役立つし、何より美味しい!!」

「あー、そうかよ」


 適当に二人の話を聞き、「お茶飲みたい」と環は思った。現在環は何もしていないのに、二人の相手をするのは何故だか疲れる。とりあえず煩いのだ。これで見つかっても知らないぞと、環のやる気はどんどん無くなってくる。照彰の嫌がらせのためなのに自分が損してどうするのだ。

 

「もう刺客でも良いから来てくれ…暴れたい…」


 人間相手に刀を振りたくはないが、何が相手でも良いから思いっきり体を動かしたくなった環。

 すると、ふと藤光達の方向に視線を向けて目に入った光景に、環は固まった。


「あ、いた」


 藤光と魅桜の後ろ側に、指を指して突っ立っている照彰を見つけたからだ。


「斬らせろおおおおおおおおお!!!!!」

「ぎゃあああああああああああ!!!!!」


 突如、環が刀を抜いて鬼の形相で斬りかかってきた。照彰は大きな悲鳴を上げて全力で避ける。そしてそのまま近くにいた如月の背後に隠れてブルブル震える。


「た、たた助けて如月!なんかっ、た、環にそっくりな鬼が俺にっ…!か、かかか刀をっ!!」

「あー鬼にそっくりな環ですね」

「黙れえええこの疫病神!頭花畑野郎おお!!」

「変なあだ名つけられてるううう!!てかまた来たよおおお!!この突進馬鹿あああああ!!!」


 二人の追いかけっこは、如月が照彰と環を背負い投げして止めるまで続いた。


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