霧散
鴉羽 都雨
《1/そっちに台所はありませんよ》
「幻の村?」
頬杖をつきながら向かい側に座っているロニは、にやにや笑いを顔に貼り付けたまま答えた。
「な、面白いだろ。B級ホラー小説みたいで」
「はあ」
僕にはいまいちその例えがわからないが、ロニは何が面白かったのか笑っていた。いや、彼がにやにやと笑っているのはいつものことか。
僕は再び手元の指令書に目を落とした。そこには次の任務に関することが簡潔に書かれている。現実的な言葉が並ぶ中、『幻の村』という単語だけが非現実じみていて浮いていた。
「周辺住民には、『ネーベル』とも呼ばれているらしい」
「ネーベル……。霧、ですか」
もう一度指令書に目を落としたが、その情報は特に記載されていなかった。僕はひとまず全て目を通す事にした。全てに目を通し終えて顔を上げるとロニは暇そうに、そして眠たそうに雨が降る窓の外を眺めていた。
「珈琲でも淹れてきましょうか?」
ロニは開いているのか開いていないのか分からない目で僕を見た。眠そうなのに口元は相変わらずにやけている。
「おいシム、嫌がらせか?」
僕はロニが珈琲が嫌いな事を思い出した。
「すみません。つい最近クドさんと仕事をしたもので」
「いや、謝るこたない。それで、読み終わったのか?」
「はい。読み終わりましたけど……」
「けど?」
ロニのにやけ顔にはいつのまにか眠気が消え失せている。
「正直よく分からないですね。ネーベルに関する説明が簡潔すぎるように思います。——一番の疑問はこの箇所ですね。村を出たら村に関する記憶が無くなるというのは、一体どういうことなのでしょうか?」
ロニは僕が疑問に思っているのが面白いとでもいうような顔をしていた。相変わらずのにやけ顔であるのだが、何年も一緒にいるため、微妙な差を僕は見分けることができるのである。
「聞いたことなかったか? そういう事例」
「いくつか小耳に挟んだことはありますけど……何分ハンターになってから日が浅いもので、よく知らないんですよ」
「そうか。結構あるんだぜ、そういう場所。そういやお前が関わった任務でなかったもんな。まああまりよく知らないのも無理はないさ。まそれに、記憶が失われるという特性上、なかなか存在が表面化しないもんでね」
「はあ。それで、村を出たら記憶がなくなるというのは、どういう仕組みなのでしょう?」
「仕組み? 面倒くさいやつだなあお前、いちいち物事一つ一つ仕組みとか考えてるわけ? 空は何で青いのー鳥は何で飛ぶのーってさ」
ロニは面倒そうに答えた。面倒な性格だ。前みたいな説明不足はお願いだからやめてくれ。そのせいで僕は危うく死にかけた。
「しかし、疑問はあらかじめ解消しておけと教えたのは他でもないロニではありませんか」
「そうだっけか。昔のことは忘れちまったよ。年なんでねえ」
とぼけるロニを無視して僕は言った。
「前提から確認させてくださいね。まず、」
前提を確認する事は大切だということもロニからかつて教わっていた。
「——ネーベルは吸血鬼の棲まう村であり、周辺住民に『悪魔の森』と恐れられている樹海の中にあります。今回の任務はその吸血鬼を殲滅することですよね?」
「ああ」
「村を出たら村に関する記憶が無くなるというような超常現象じみた能力、吸血鬼にありませんよね?」
ロニは芝居がかった動作で人差し指を立て、左右に振って「そんなの分からないだろ」と言った。
「吸血鬼に関して、僕ら人間にとって謎なことが多い。今知っていることが全てだと思っちゃいけないぜ? それは傲慢ってやつだ。何百年も生きるという時点で生物の常識から外れている。それこそ超常現象さ。僕は奴らがそんな能力を持っていてもなんら驚かないし、その現象が吸血鬼によるものではない、別の要因によるものでも驚かないつもりだ」
「はあ、そういうものでしょうか」
いまいちぴんときていない僕を見て、「そういうものさ」とロニは返した。
「わかりました。そこに関してはもう何も聞きません。まだ疑問はあります」
「まだあんのか。シムは相変わらず真面目なやつだ」
ロニは欠伸をした。ロニは相変わらず不真面目なやつだ。
「村を出たら記憶が消えてしまうということを、どうやって知ったのでしょうか」
「数ヶ月ほど前の話だ」
彼はそう切り出した。
「『悪魔の森を出入りする人物を見た』という情報が村人から寄せられた。そこで、アルとセラの二人が調査のため派遣されたんだ。悪魔の森を出入りする人間なんているはずないからな。だが調査を終えて村を出た二人は、何も覚えていなかった」
「何も覚えていなかった……」
何も覚えていない、か……。
僕は珈琲を一口飲んだ。考え込む僕をロニはにやにやとした面で眺め、話を続ける。
「もちろん、その時二人は何が起きたのかさっぱり分からなかっただろうな。村に入ろうとしたと思ったら、村に背を向けて立っていたわけだから。しかも、周囲の明るさは村に入ろうとした時とも違う。二人はひとまず状況を把握するために、身の周りのものを確認した。二人は調査した情報を手帳にまとめていた。それを見た二人は、そりゃあそりゃあ驚いたらしいぜ」
「でしょうね」
珈琲はだいぶぬるくなっていてあまり美味しくなかった。
「二人は最初信じられなかったが、最終的に信じるしかなかった。手帳には三日間ネーベルの住人に見付からないよう潜伏して得た情報が、つまびらかに書かれていたわけだからね」
一応僕は納得したので、「なるほど」と呟いた。
僕はまた指令書に目を落とした。今回の任務を再確認するためである。
「僕らの任務はネーベルの殲滅……」
「ああ」
「メンバーは……」
指令書には十人分の名前が書かれていた。いくつか見知った名前もある。
「なるほど。これならば心強いですね」
「だろ? 何しろ僕がいる」
ロニは出会った時から今この瞬間に至るまで謙虚という言葉を一切知らない。しかし彼は自信過剰というわけでもない。実際ロニは実力があるからメンバーに入っているのはありがたい。僕は「そうですね」と適当にあしらっておいた。
「しかし、村を出たら記憶が消えてしまうなら、任務が遂行できたかどうか分からないではありませんか」
「僕らが無事に村を出ていれば即ち、任務が遂行できたという事になるだろ?」
「はあ。ですがそれでは、上に報告できないでしょう」
どうやって報告書を書けというのだろう。下っ端の僕が報告書を書くことが多いから、それでは困る。
「まあ、何ていうかこれは仮説なんだが」
ロニはそう前置きして話し出した。
「僕が人間と吸血鬼の混血だってのはお前も知ってるだろ」
僕は首肯した。
「ネーベルから出ると記憶が消えるというのは、人間だけなんじゃないかと上は考えてるらしい」
「何故ですか?」
僕の質問に、簡単なことだよとロニは言った。
「——さっき僕は『悪魔の森を出入りする人物を見た』という情報が寄せられたと言ったよな? 『悪魔の森を出入りする人間なんているはずない』とも」
ああ、なるほど。何となく話が見えてきた。
「つまりだ。人間と吸血鬼が半々の僕なら、記憶を失わない可能性もあるのではないかってことさ」
「理解しました。つまり今回はロニが報告書を書いてくれるというわけですね?」
期待の眼差しを向けると、ロニはそれを避けるように、「さて、珈琲でも淹れてくるかな」と席を立った。「貴方は珈琲飲めないでしょう」と、彼の背中に声をかけたが、ロニは無視して部屋を出て行ってしまった。
僕も席を立つと、すっかり覚めてしまった珈琲を無理やり喉の奥に流し込んだ。
廊下に出る。別の部屋に入っていくロニの姿が見えた。そっちに台所はありませんよ。
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