第4章【デッド・オア・キス】

第65話【ミニ浴衣先輩】

港祭り当日、時刻は早朝6時。

俺はまだうっすらと白んだ空の下で、商店街に向けて自転車を走らせていた。


「ふわあああぁぁ」


昨日は宮本の体調不良──もとい料理対決後のバタバタで、結局食材の仕込みができなかった。緋彩さんの判断で昨日は早々に解散し、その代わりに今日の集合が早くなったという訳だ。


「あれ……もう誰か来てるのか」


商店街の一角にある定食屋の前には、既に自転車が1台停められていた。

邪魔にならによう自分の自転車を寄せて停め、定食屋のドアに手を掛ける。


「おざーっす」

「ん? あれ、柏くん早いね~。どしたの?」


後ろ手でドアを閉めると、厨房からひょこっと顔を出した緋彩さんと目が合った。


「どしたのって……7時集合ですよね?」

「いやいや、仕込みは私がやるから9時でいいよって言ったじゃん」

「えっ……? そうでしたっけ?」


昨日の帰りがけに『明日は7時ね~』って言われた覚えがあるけど……あれ?


「柏くんってば、寝ぼけてるの?」

「そりゃこんな時間なんで寝ぼけてますけど……」


今の状態がどうにせよ、アラームをセットしたのは昨日の正常な俺だ。普通に時間を聞き間違えたのか? うーん、分からん。


腕を組んで立ち尽くしていると、緋彩さんがちょいちょいっと手招きした。


「まあ、ここまで来ちゃったなら手伝ってよ~。そんなとこに突っ立ってないで」

「あ、はい。行きます行きます」


9時集合ならあと2時間寝ていたかったってのが本音だけど、今更どうしようもない。手近な椅子に荷物を置き、カウンター席の横の通路から厨房へと入る。


「失礼します──って、うわっ!?」


まとわりつくような眠気は、緋彩さんを姿を見るなり一瞬で吹っ飛んだ。


「人の顔見て大声出すなんて、失礼な男だねキミは」

「い、いやいやいや……そりゃ声も出るでしょ。なんです、その格好……?」

「なにって、祭りの正装じゃないのさ」


包丁を調理台に置き、その場でクルっと一回転する緋彩さん。

それに合わせて揺れる布地に、思わず目を奪われそうになる。


「祭りと言ったら浴衣。常識じゃない?」

「それはそうかもしれないですけど……ずいぶん丈が短いですね」


緋彩さんが身に纏っているのは、濃い青を基調とした浴衣。

ただ、なんていう種類なのか分からないけど、裾の丈が膝上までしかない。真っ白な脚がむき出しで、意識して目線を上げないと吸い寄せられそうになる。


「色々作業するしさ。邪魔にならないように、ミニ浴衣にしてみたのさ」

「なるほど……ミニ浴衣」

「ちょっと子供っぽいかなって思ったんだけどね~。どう?」


両手で袖を握って、緋彩さんは首を小さく傾ける。

普段は横に流している髪を左右で結んでいることもあってか、たしかに、夏休み前に1度見た普通の長丈の浴衣に比べると、その姿は少なからず幼く見えた。


「あれですね、今なら年下って言われても納得できる気がします」

「あのねぇ、子供っぽいかどうかはどうでもいいの。似合ってるか可愛いか素敵かで言ったらどれなのよ?」

「選ばせる気ないじゃないですか。似合ってますよ」


年季の入った厨房と浴衣少女というギャップに驚きはしたけど、緋彩さん単体で見たら問題点なんてあるはずもない。


俺の回答に満足したのか、緋彩さんは頬を緩めると、再び包丁を手に取りキャベツを刻み始めた。


「ま、屋台に出るときはTシャツに着替えるけどね~」

「え?」

「ソース跳ねたら嫌だし」

「は、はあ」


なら最初からTシャツで良かったんじゃ……?


手際良く食材を刻む様子を横で眺めながら指示待ち人間に徹していると、顔を上げた緋彩さんが目をパチパチさせた。


「さっきからどしたの、そんなとこで突っ立って?」

「えっ……手伝ってくれって言いませんでした?」

「あれ、そうだっけ? まあいいや、こっちは私だけで大丈夫だから座って休んでなよ。どうせ昼間は立ちっぱなしになるんだし」


緋彩さんに軽く背中を押されて、入ったばかりの厨房から飲食スペースへとゴーバック。バイト代をもらう手前、緋彩さんに負担を押し付けたくはないけど……。まあ、俺があそこにいても邪魔になるだけだ。祭りが始まったら貢献しよう。


カウンター越しに顔だけ見える緋彩さんの様子を窺いながら、椅子に座って待つことしばし──


「いや~終わった終わった」


手のひらの上に皿を乗せ、緋彩さんが厨房から出てきた。

緋彩さんはそのまま俺の向かいの席に腰を下ろすと、箸を2膳用意。


「柏くん、お腹減ってるでしょ? 1枚焼いたから一緒に食べよ」

「え、いいんですか?」

「お昼は時間あるか分からないからね~。今のうちに食べとかないと倒れちゃうよ」

「なるほど……そういうことなら、遠慮なく」


手を合わせ、出来たてのお好み焼きを口に運ぶ。うん、美味い。


「私は家で食べてきたし、好きなだけ食べていいよ」

「あざっす!」

「この後の仕事で気まずくなられても困るし、今回はキスしろなんて言わないからさ」

「……次回も言わないでいただけると味に集中できるんですけど」

「う~ん、それはそのときの私の気分次第かな」

「は、はあ」


ほんっっとに、この人のことは分からん……。

夏休みに入ってから何回か言われてるけど、からかわれてるだけなのか本気なのか、それすらも判別できない。


気を取り直してお好み焼きを平らげ、冷えた麦茶を啜りながらたわいもない会話に興じていると──


「おはようございまーす」

「ございます」


宮本と姫乃が、そろって店内に入って来た。

いつの間にか、壁に掛かった時計の時刻は8時半を少し回っている。


「おはよ~唯、姫乃」

「…………姉さん、その格好はなんなんですか? 家を出るときは普通の服を着てましたよね?」

「なにって、可愛いでしょ? 姫乃的には何点ぐらい?」

「私的にはマイナス7万点ぐらいです。いいから、すぐ着替えてください」

「え~まだ時間あるじゃん。もうちょっとよくない?」

「いいから! 着替えてください!」

「え~」


渋る姉の背中を押して、厨房の奥へと消えていく橘妹。

宮本はその様子を「あ、あはは」と若干引きつった笑みで見届けている。


「もう体調は大丈夫なの?」

「え? あー、もう平気だよ。昨日はちょっと舌と胃が驚いちゃっただけで……」


口元を引きつらせたまま、宮本は片手で腹部をさすった。


「大変だったな……。まあ、治ったなら良かったよ」

「家を出る直前まで凄い胸焼けだったけどね。お水ガブ飲みしてなんとか来れたよ」

「ギリギリじゃねえか」

「同じもの食べたのに柏くんはよく平気だったね。ていうか、来るの早くない?」


椅子に腰かけて、宮本は小さく首を捻る。


「あーそれな。なんか時間ミスちゃってさ、7時に来ちゃったよ」

「7時? 緋彩さんのライン見なかったの?」

「え?」

「最初7時集合って言ってたけど、夜に9時でいいって連絡来たじゃん」

「ん……? いや、そんな連絡来てな──」

「唯先輩! このバカ姉脱がすの手伝ってください! 全然言うこと聞いてくれません!」


宮本に話を聞こうとすると、そのタイミングで厨房の方から姫乃の大声が飛んできた。


「ちょっ、なにしてるんですか緋彩さん!? こっち来ちゃダメです! 柏くんはあっち見ちゃダメ!」

「うがっ!?」


首根っこを掴まれ、頭を机に押し付けられる。


「いい? こっち来ちゃダメだからね?」

「……は、はい」


あっちこっち忙しい宮本に力ずくで諭され、そのまま頷く俺。


「緋彩さん暴れないでください! 見えちゃいますって!」

「っていうか、半裸で暴れる意味が分からないです……」


宮本に何か聞こうとしてた気がするけど、頭に受けた物理的な衝撃と半裸の緋彩さんという空想上の衝撃でそんなことは吹っ飛んでしまった。

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