デッド・オア・キス

プロローグ

「謝罪を要求します」


梅雨が明け日差しの勢いが一気に増した夏の日の午後、生徒会室は気温の急上昇による気だるさとは別種の空気の重さに包まれていた。


私──橘緋彩はスマホを操作しながら、その重苦しい空気の発信源にチラッと視線を配る。私から少し離れた席には、薄い表情ながらも分かり易く不機嫌な妹──姫乃の姿があった。


「そんなプリプリ怒ってどうしたのさ?」


姫乃が不機嫌な理由は見当がついているが、ひとまずとぼけてみる。

怒ってる人にその理由を聞くなんてデリカシーがないにも程があるけど、その怒りを収める方法がない以上、こうするより仕方がないのだ。無視する訳にもいかないし。


そんな私の心中を知ってか知らずか、姫乃は一つ溜め息をつくと、声を荒げるでもなく静かに言葉を続けた。


「姉さん、唯先輩、なんで私の邪魔をしたんですか」

「あー、その話ね」


まあ、そうだよね。それしかないよね。

姫乃が言っているのは、先週末に行われた夏祭りのことで間違いないだろう。

生徒会の紅一点……いや、男だから蒼一点なのかな?


ともかく、柏くんと姫乃が夏祭りデートするという情報を嗅ぎつけた私は、唯を誘って夏祭り当日に堂々と二人をストーキングした。最終的にはどこからともなく現れた男子たちに柏くんが追いかけ回されて、邪魔した私が言うのもなんだけど、デートとは程遠いものに仕上がっていた。


「なんでって、好きな男子が自分以外の女子とデートするって分かったら気になるじゃん。ねえ、唯?」

「えっ!?」


姫乃と机を挟んで気まずそうに座っていた唯は、私が同意を求めるとギョっと目を丸くした。


「えっ、わ、私はそんなんじゃないですよ! 緋彩さんがどうしても行くって聞かないから、仕方なく付いていっただけで……」


髪を指先で弄りながら、ポショポショと呟く唯。

徐々に小さくなる声と反比例するように、顔はどんどん赤みが差している。

目は口ほどにものを言うなんて言うけど、たった一言カマをかけただけで視線が泳ぎまくっていた。あーもう、可愛いなぁ。


「まあ、理由はこの際どうでもいいです」


思わず微笑んでしまった私とは違い、姫乃は相変わらずしかめっ面のまま口をへの字に曲げている。こっちもこっちで可愛いなぁ。


私が人知れずほっこりしていると、姫乃はそんな私と赤面したままの唯を交互に指差した。


「とにかく、柏先輩は私のなので、これ以上ちょっかい出さないでください」

「私のって、二人は付き合っているのかい?」


唯のように好意を隠すこともしない姫乃に、ノータイムで質問を返す。

可愛い妹を無駄に怒らせるつもりはないけど、引いてばかりじゃ話にならない。


「こんな短期間で柏くんが告白するとは思えないけどな~。それとも、自分からしちゃった?」

「告白してもされてもいません。でも、そうですね……き、キスはされました」


そう言うと、姫乃は初めて少し照れたように顔を赤らめた。

その様子を見たら嘘を吐いていないことは明らかだし、現に柏くんと姫乃がプールサイドでキスをしていたというのは、少し前に学校中で噂になったことだ。


ただ、私はそれが人工呼吸のためであったことを知っている。

柏くん本人を問い詰めたから間違いない。


「き、キスなら私もされそうになったけど……」


姫乃の主張する優位性をどう崩そうか考えていると、意外なことに唯が自分から斬り込んできた。ちなみに、私は柏くんが図書館でやらかしたキス未遂の話も知っているので驚きはない。


「む、むぅ……」


ただ、姫乃はそうではなかったようだ。

半信半疑といった様子だが、先ほどまでの苛立ちとは別に戸惑いの色が見て取れる。


「ほらね、キスぐらいなんてことはないんだよ。柏くんにとっては挨拶なのかも」


そんなこと無いのは百も承知で、僅かに見えた隙にメスを入れる。

柏くんの性格を考えたら軽い気持ちでキスしたりしないのは分かってるんだけど、ここはチャラ男になってもらおう。ゴメン。


「挨拶って……まさか、姉さんもキスされたんですか?」

「えっ? あー……、まあ、そんな感じかな?」


キスと呼べることはなかったけど、私が顔を近づけたときも柏くんの心臓はバックバクだった。仮に私からキスしていたら、デートまでは漕ぎつけられていたと思う。

そういう意味じゃ、やっぱり私も姫乃も唯もイーブンなのだ。うん。


「まだ何も決着はついてないよ」

「むぅ……」

「だから、私はそういうのじゃ……」


私の宣言を聞いて、小さく俯く姫乃と唯。

イジめたい訳でも怒らせたい訳でもないけど、まあ、今日のところはこれでいいかな。


「んん~、それにしても良い天気だね~」


話に区切りを付けた私は、席を立って大きく伸びをする。

そのまま身体を反転させると、全身が窓から注ぐ強烈な日光に包まれた。


「今年も暑くなりそうだ」


目を細めて真っ青な空を見上げると、ふと、この夏が高校生活最後の夏になるということを思い出した。

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