第10話 いつのの懐妊と、秘密。

「あぁ。これは、確定でデキてますね。いつの様。やっちゃったんですね……」


 両手で顔を覆ってもなお、耳まで真っ赤になったいつのは、改めて自分の体が自分一人だけじゃないということに気が付いて、恥ずかしくなってしまっていた。

 椅子に座り、下腹を抑えるいつのは、あの時のことを思い出すだけでも、顔が真っ赤になってしまうほどだった。


『わ、私のここに……』


 下腹を軽くなでると、少しポッコリとし膨らみ始めていた。そのことで、自分が妊娠したのだと、改めて再認識するいつの。

 愛し合った二人だから、当然できるとは思っていたいつのだったが、こうも早くできるとは思ってもみなかった。


「で、どうするんですか? いつのさま。」

「えっ? あ、そうね。それに関してはもう決めてるわ。」

「そうだったんですね。で、誰です? 後継者は……」


 妖狐の群れとして、長が懐妊してしまったことで、長は世代の交代を行わなければいけなくなる。執務の遂行はもちろんのこと、指揮を執るにもおなかが膨れては支障をきたす。

 そのため、いつのはもし、自分が妊娠した場合は、世代交代を行うつもりだった。そして、いつのが次代の長にしたのは……


「さゆりを呼んできておいて、引継ぎをするから。」

「えっ?! あの子ですか?」

「これからは、人との共存をより、密にしなければいけないわ。」

「ですが……」

「さゆりなら、彼とも親しいし、人に対して妙なわだかまりを持っていないからね」

「それはそうですが……」


 いつのにとって、人と妖狐との間が悪化するのは、是が非でも避けたかった。やよいを次代することもできたが、やよいは根っからの人嫌いという一面もある。それでは、これからの群れを率いていくには、いささか不安があった。

 そこで、いつのはまだ若い狐のさゆりに、群れの長を任せることにしたのだった。さゆりであれば、もともと人にも慣れていることや、いつのといつきをつないでくれた縁もある。それに……


『もし、私が……』

「いつの様?」

「えっ。いや、何でもないわ。ほら、準備して。」

「はい。」


 それから、つつがなく行われた世代交代は、滞りなく行われた。群れの長になることで、さゆりは次第に妖力が増え、いつののように執務を行えるようになる。一方、いつのはというと、長としての妖力の供給はなくなったものの、元よりの保有妖力があるため、そこまで心配はしていなかった……が。


「私は、彼に報告に行くね。それに、私の荷物は彼のところに……」

「いつの様。まさか……」


 世代が交代したのに、忠誠の強いやよいは、いまだにいつのを“様付け”で呼んでいた。


「ほら、やよい。これからは『様』をつける相手が違うでしょ?」

「うぐっ。わ、わかりましたよ。いつの。」

「よろしくね。私は、彼の元に嫁ぐから……」


 いつきの両親は出稼ぎで、めったにいつきの元へとはかえって来ないということもあり、完全に事後報告になっていたいつのといつきの関係。


『お孫さんができたって言ったら、喜ぶだろうなぁ~』


 数日間の身の回りの物を持ち、いつものように妖力を使い、山を下ろうとしてみるが……


「あれ? あれっ?」

「いつの。あなた、バカ?」


 普段から距離の近かった、いつのとやよい。そんな親しいやよいからの“バカ”発言に、驚いてしまったいつの……


「ば、バカ? バカって何よ。やよい……」

「バカだから、バカって言ったのよ。」

「なんでよ。いつものように妖力で……あ。」

「気が付いた? あなた一人の体じゃないでしょ。もう。」

「そ、そうでした……。」

「だから、人と同じように歩いていったら?」

「う、うん。」


 社の玄関先まで見送ってもらったいつのは、改めてやよいに別れを告げる。ここで別れたとしても、どこかで会えることもある。悲しくはないはずなのに、どうしても涙が出てしまう。


「なによ、泣いてんの? もう。懐妊の報告の次いでに嫁に行くんじゃないの?」

「そ、そうだけどさ……。なんかね……」

「まったく、いつのは、こういう時に締まりがないわよね。」

「もう。やよいったら……」

「ほら、彼が向こうで待ってるわよ? ほら。」

「うん。ありがとね。やよい、荷物。頼んだわ」

「うん。」


 社に背を向け、一歩一歩。長い階段を下りていくと、次代の長になったさゆりがひょっこりと顔を出す。


「いつの様。行っちゃうんですか?」

「あ、さゆり。様はいらないわよ。それに、私の方があなたを、さゆり様。って言わないとね。」

「そんなぁ。私にとっては、いつでも、いつの様ですよ。」

「ありがと。」


 妖力が少なかったさゆりは、長になったことで、次第に妖力が供給され始めていた。そのためか、少し容姿が大人っぽさが増していた。


「どう? 妖力が増える感じ。」

「まだ、実感はないですが……。ちょっと、むず痒い感じです。」

「そう。もう少しすると、私があなたに名付けしたときと、同じくらいの妖力になるわ。」

「そんなに?」

「えぇ。群れを頼むわね。」

「はい、任せてください。」

「心強いわ。」


 社から続く長い階段を並んで歩くいつのとさゆり。その間も、普段話せなかった分を、まとめて話すように、会話は途切れを知らなかった。


「でも、いいなぁ~」

「なに? 急に……」

「いつきさんと、その……。しちゃったんでしょ?」

「ぶっ!! だ、誰から聞いたの?」

「えっと、やよいさんから。デキちゃったことも……」

「やよい……。まったく口が軽いんだから。」


 階段を降り、一番下に着いた二人。横に並んださゆりは、いつのの下腹を興味津々に見ていた。懐妊したとはいえ、まだ初期の段階ということもあり、そこまでポッコリとはしていなかった。


「ふぅ~、歩くと意外と長いわね~」

「あの……」

「どうしたの? さゆり。」

「触ってみていいですか?」

「あぁ、ここ? いいわよ」

「ありがとうございます!!」


 興味津々のさゆりは、しゃがみ込むと、ゆっくりといつのの下腹を撫でる。とてもやさしく、あたたかな気持ちになるいつのとさゆり。


「ここに、ふたりの結晶が入ってるんですね。あっ、ちょっとポッコリしてる……」

「ね。私も、ようやく実感が出てきたわ。やっぱり一人の体じゃないんだなって。」

「ですよ。何なら、送って……」

「いや、それはいいわ。」

「なんで……」

「『なんで』って、あなたは長になりたてなんだから、早く戻りなさいよ。もう。」

「でも~」

「はい、ほら、行った。頼むわね。」

「は、はい。わかりました。」


 次代の長になったさゆりを送り出すと、軽快に妖力を使いこなし人並外れた速さで社へ戻っていくさゆり。


『なんだ、もう。だいぶ使いこなせてるじゃない。』


 そんなことを思っていると、さゆりは階段の中ほどで一度止まると振り返って一言……


「いつの様ぁ!! ご懐妊おめでとうございま~す!!」

「なっ!!」


 下にも届くようにと声を発したのか、盛大な大声で懐妊という言葉を送っていたさゆり。一方のいつのはというと、恥ずかしくて仕方がなかった。


『あ、あの子ったら。恥ずかしいから、やめなさい。もう。』


 恥ずかしがりながらも、軽く手を振ると、身の回りで数日間必要になるものを持ち、いつきの家へと向かい歩みを進めたいつの。

 いつのといつきの家は、かつて出会いの場となった学校を挟んで反対側になり、歩くとなると、それなりの距離だった。それでも、いつのにとっては、とても楽しくウキウキとしてしまうほどに、楽しい時間だった。

 学校を過ぎると、そこからは、かつていつきが学校に通うために通ったであろう通学路で、『ここをいつきが通った』と考えるだけでも、彼と一緒にいるような気分になる。


「ここをいつきが通ったのね……」


 学校に通学中も、付き合い始めてからは、途中まで一緒に帰ることはあったが、自宅まで行くことはなかった。ある意味では、報告で初めて彼の家に行くという状況になっていた。

 一歩。また一歩と、いつきの家に近づくにつれ、いつのの鼻にはいつきの匂いが伝わってくる。とても親しみやすい匂いと、それでいてしっかりとオスの匂いもあるいつきの匂いは、数キロ先でも嗅ぎ分けられるほど、いつのは夢中だった。

 その匂いを感じるたびに、いつのの胸はキュンと締め付けられる。そのたびに、いつきがそばに居てほしいと思うほどだった。


「こ、ここが、いつきの家……」


 住所こそ知っていたものの、実際に来たのは初めてないつのは、玄関先であっけに取られていた。

 豪邸というほどではなかったものの、いつのの目の前には、立派な一軒家が立っていた。少し塀の中をのぞくと、こあがりがしつらえられた縁側があり、居心地のよさそうな居間があった。


「いつの? いつのじゃないのか?」

「えっ? あっ、いつき。」


 いつのが振り返ると、ちょっぴり大人になったいつきの姿があり、大人っぽさの中にちょっぴりと幼さが残り、あの頃の面影を残していた。


「久しぶりだね。いつの。今日はどうした。群れの長は?」

「長なら、さゆりに引き継いだの。」

「そうなんだ。親もまだしばらくは帰ってこないし……。入る?」

「うん。」


 いつきに導かれるようにして、初めていつきの家へと入るいつの。掃除も行き届いていていて、男手ひとりで掃除までしてるというマメな一部も見れて、惚れ直したいつの。

 居間に通される形で、いつのが座ると、いつきは麦茶を用意してくれた。時期は夏に入る少し前だったが、歩いてきたいつのにとっては、ちょうどよかった。


「それで、今日はどうした?」

「えっ。う、うん。えっとね。」

「うん。」

「あ、あのさ。」

「うん。」

「私たち、しちゃったでしょ?」

「しちゃった? あっ、あれ? う、うん。盛り上がったね。結構……」

「も、盛り上がった……う、うん。そうね。」


 いざ、報告するとなると、告白以上にどきどきするものだと思った、いつのは真っ赤になりながらもひとつずつ説明する。


「でね。あのさ、来てないのよ。」

「来てないって……あ、あれ。」

「う、うん。アレ。それでね。調べたら……」

「調べたら?」

「で、で。」

「で?」


 単純な報告でも、これほど一言二言が出ないものとは、思ってもみなかったが続けて……


「デキちゃった。三か月……」

「ほ、ほんとに? ほんと?」

「う、うん。ここに、宿ってる。」

「やったぁ!!」

『こ、声が大きいよぉ~』


 ひとしきり喜んだいつきは、うれしそうに喜んでいた。そして、まさかの一言を言い始めた……


「まぁ……」

「えっ?」

「あんなに、出しちゃったら。デキちゃうか……」

「なっ!?」


 意外過ぎる答えに、いつのは思わす、顔から火が出るほど恥ずかしかった。それに、実際。その通りだったから、言い返せなかったいつのだった。


『もう、いつきったら……』

「なので……」

「えっ。」


 いつのは、三つ指を突いて。習わし通りにいつきに告げる。それは、嫁ぐ乙女としてのいつのがやるべきことだった……


「よろしくお願いします。いつき」

「うん。」


 そばに駆け寄ったいつきは、いつのを腕に抱き、幸せな表情になる。それは、いつのも同じだったが、いつのは素直に喜べずにいた。それは、自分の妖力の減少を感じ取ったからだった……


『うん。大丈夫よね。』


 そんな思いを抱きつつ、いつのといつきの幸せな日常が始まっていった……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る