第4話 妖狐と時々、月明かり
高校への通学途中、本来ならやよいと一緒に登校するいつのだったが、この日は違っていた。やよいの“待ってください。”という声と、新たに群れに入れたさゆりをやよいに任せ、いつのは先走っていた。
高く飛びあがったいつの。普段ならそんなことはしないいつのだったが、高いところから眺めた方が見通しが利く。どうしてそこまでするのかというと……
『どこかに……いつきがいる…のか?』
いつのが人の姿になる直前。妖力を纏い、風になっているときは、人に見られることはない。つまりこの状態で出くわしたとしても、正体がバレるということはない。そのことをいいことに、いつのは興味のまま、いつきを探しに出はじめていた。
この時は、いつきを見つけることができなかったいつのは、いつものように山の麓で、人の姿へと形を成す。そして、遅れてやよいとさゆりがやってくる。
「もう、お嬢様。急ぎ過ぎですよ。もう!」
「い、いつの様。早いです……」
「さゆりは、まだその姿に慣れていないのだから、ゆっくりでいいのよ。」
結果的に、見つけることができなかったいつのは、先ほどのはしゃぎぶりはどこへやら、いつも通りのおしとやかないつのへと戻っていた。
まだ人の姿に慣れていないさゆりを二人でサポートするように歩く。病弱な生徒のようにも見えるさゆりは、他の生徒からの心配されるほどだった。しかし、さゆりは人にそこまで慣れていないこともあり、他の生徒から話しかけられると、やよいやいつのの後ろに隠れてしまう。
その姿が、保護欲をそそられるため、かえってさゆりにファンが付いたほどだった。
「かわいい。」
「この子。田舎からできたばかりで、うちの家で預かってるの」
「へぇ~そうなんだね。いつのさんが保護者なら、安全だね~」
いつのの後ろに隠れ、こくりとうなずく姿は、小さい容姿と相まって、よりかわいさを増していた……
「まだ、この子も慣れてなくてね……」
いつのが他の生徒の相手をしている間、さゆりは後ろに隠れたまま、うなずいていた。そして、次の瞬間いつののうしろから出て、一目散に駆け出して行った。
「ちょっ?! さゆり?!」
一目散にさゆりが向かった先には、ひとりの男子生徒がいた。その生徒の腕にしがみつくと、さゆりは初めて人の体でその生徒にお礼を言った。
「いつき。いろいろありがとう。」
「えっ?!」
満面の笑みでお礼を言ったさゆりだったが、いつきにとっては初対面な上に、ここまで女子に接近されたことのなかったいつきは、ドギマギを通り越してどうしたらいいのかわからなくなっていた……
『えっ?! 誰? この子……』
困惑するいつきだったが、自分の手をとるその子をよく観察すると、手をケガしているのか、包帯を巻いていた。少しぼろくなっていたその包帯に、見覚えがあったいつきは、もしかして…と考えが浮かんでいた。
『この子、あの狐と同じ位置に包帯を巻いてる…。まさか……』
いつきがそんなことを思っていると、あとから来たいつのがようやく追いついた。妖狐の姿であれば、こんな距離はさほど苦労しなかったが、人の姿ということもありさすがに追いかけるのに苦労をしていた。
「さゆり……。みつけたわよ。もう、いきなり走り出すんだから……」
「あっ、ごめんなさい。いつの……」
「いつの? って、あの?!」
高校内でもいつのはお嬢様として有名で、知らない生徒はいないほどだった。それは、いつきも同様で知ってはいた。
ただ、いつきはそこまで目立ちたくなかったため、あまりかかわらないようにしていた。というのも、いつきは綺麗な人とは思ってはいたものの、あまりの人気に自分から身を引いていた。
一方のいつのは、さゆりが見つけてくれたことをうれしく思っていた。自分で見つけることができなかったというのもあったが、どんな人物なのか確かめてみたかった。
『この人間がいつきね……』
『ほかの人間と同じ気がするけど……』
しげしげと、いつのはいつきの姿を眺めていると、いつきはひざを折りしゃがむと、さゆりの包帯を巻きなおして見せた。
「ちょっと、あなた……なにを?」
「何をって、そばにいて気が付かなかったのか?」
「えっ?」
「この子の……、さゆりちゃん? の包帯がほどけかけてたし……」
いつのは前に取ろうとしたときにさゆりは、必死に否定していたが、いつきが包帯を巻きなおすときは、否定することはなくおとなしくしていた。それと同時に、さゆりの表情は、人の姿を手に入れたということもあったのか、オスを求めるメスのような表情になっていた。
『えっ?! さゆり。あなた……。このオスのこと。好きなの?』
『確かに、オスがサポートしてくれるのも……、ありだけど……』
いつのの周りにも世話をしてくれるオスはいる。
群れの長として、それは当然のことで、普通のことだった。当たり前すぎて、そのことが特別なこととは思うことができなかったいつの……
さゆりの行動のひとつひとつが、いつのが知っていることとは違う意味合いを持っていた。
『あなたにとって、そんなにこのオスがいいのね……』
『興味が湧いたわ……』
いつきを見るいつのの表情が少し、ニヤッとしたのをさゆりは見逃さなかった。包帯を巻き終わったのを見計らって、いつきの後ろに隠れていつのを警戒する素振りを見せた。
「えっ? どうしたの?」
「あら、どうしたのかしら……」
おびえたさゆりの表情は、明らかに取られたくないメスの態度そのものだった。そしていつきの後ろに隠れながら、精いっぱいの声を振り絞っていた。
「いつきは、私の……」
「えぇっ。」
「あらら、嫌われちゃったわね……」
「あなた……。えっと、いつきさん?」
「はい。」
「教室まで一緒に行きましょ。」
「は、はい。」
教室にたどり着くまで、さゆりはいつきの後ろから離れようとはしなかった。よほど、いつのがニヤッとしたのが気になったらしい様子だった……
幸いか、いつのたちの教室は、いつきの教室のふたつ隣で、比較的に近かったことだった。
「ほら、いつのさんと同じクラスなんだろ。」
「うん。でも、あたしはいつきのそばがいい……」
「でも、クラス決まっちゃってるみたいだし。な。」
「うん。わかった……」
仕方なくいつきの腕を話したさゆりは、いつのの元へと戻っていった。
さゆりの人としての初登校は、波乱の幕開けとなった。
妖狐が人の姿になれるのには、数日かかることが多い。その中でも、さゆりは人一倍上達が早く、人の姿での行動に慣れていった。
人の言葉も、仕草も、普通の年頃の女の子そのものになっていった。
「姫様。いつきさんを取っちゃダメですからね……」
「はぁ、まだ言ってるの?」
「当たり前ですよ。姫様には、妖力ではかなわないですし、この体も姫様からもらったようなものですし……」
「あのね、さゆり……」
「なんですか? 姫様。」
「なんで“姫様”なの?」
さゆりが人の言葉になれたのはよかった。ただ、いつののことをさゆりは“姫様”と呼ぶようになっていた。
「当然ですよ。私たちの長なんですから……」
「やよい…。やっぱり、あなたの差し金ね……」
「そうですよ。ね。さゆり。」
「はい、姫様ですからね。」
「はぁ。」
あきれるいつのは、ふと思い立ったかのように、さゆりを呼んだ。
「さゆり。ちょっといい?」
「はい。何ですか……」
ごく自然について来ようとしていたやよいを、来ないようにして言ってから、いつのはさゆりと二人っきりになると、いつきのことについて聞いてみた。
「ねぇ。そんなにいつきさんが好きなの?」
「す、好き?! い、いや。す、好きとか、そういう感じでは。いいなぁ。とは思ってますが……」
人の姿に慣れていないこともあり、意思の疎通が万全ではなかったあの時のさゆりは、体で取られないようにしていた。しかし、今はしっかりと意思の疎通ができるようになったことで、想いを伝えれるようになっていた。
当然、好きというものがそういうものなのかも教えてもらったこともあり、好きという言葉を聞くだけで、恥ずかしく思ってしまうようになっていた。
「えぇっ。でも、人の姿であったとき、あなた。包帯を巻きなおしてもらってたわよね?」
「はい。」
「その時のあなたの表情。うっとりしてて、もう。恋をしてるメスの表情だったわよ?」
「ええっ?! そ、そんなになってました? うぅぅ…。恥ずかしい……」
「まぁ、わからなくもないけどね。あのオスの匂いは、独特っていうか。」
「ですよね。姫様もわかりますよね。うっとりしちゃうような。そんな匂い……」
妖狐や動物などは、相手の好意や敵意を匂いでかぎ分けることも多い。それは相手の感情も同様で、相手が自分に対して好意を持って接しているかも同様にかぎ分けることができる。
人の中には、好意や善意のほかに、包み込むような優しい香りを出す人もいる。いつきはまさにそのタイプで、最初こそ警戒するがその優しい感情と匂いに、心を開いてしまう魅力的な香りだった。
「でも、姫様だからって、ダメですからね。譲りませんよ。」
「分かってるわ。現に、先代が禁忌って決めてるからね……」
「えぇっ。そうなんですか…」
「あたしは……」
ぶつぶつと独り言のように話すいつのは、うっすらと、心の中でいつきへの興味が日増しに増えていた。
そして、休日明けの授業終了後。いつのは姿を消した。それは、群れに衝撃を与えるほどで、おつきのやよいもさやかも立ち寄りそうな場所を、探していたが見つけることができずにいた。
「どこに行かれたんですか? いつの様~」
「姫様~どこですかぁ~」
「あなた、本当に探す気ある?」
「どこにいるかわかりませんよ?」
「いや、なぜゴミ箱の中にいると思ったのよ……。あなたは……」
そんな感じで捜索を続けていた二人だったが、もう一人、いなくなった人がいた……
『このにおい……たまらないわ……』
帰る支度をし、帰ろうとした直後。いつきは神隠しに会っていた。というのも、興味に突き動かされたいつのは、一瞬だけならと妖力を使い、いつきを連れ出していた。自分たちの縄張りにある綺麗な風景が見れる高台に連れ込んだいつのは、クンクンと鼻を鳴らし、いつきの匂いを嗅いでいた。その姿は、まさに獣のそれだった……
「こんなオス、いるんだ。」
匂いを嗅ぎながら、いつのは母のことを思い出していた。
いつのの母も、人を好きになり、禁忌を犯した。いつのはどうして禁忌を犯してまで人との好意を優先したのかがわからなかったが、こうして自分も人をさらってまで自分の物にしようとしている。
本能に働きかけるそれは、明らかに“好き”という感情を生み出していた。それでも、いつの中ではまだ、手を出してはダメという理性がしっかりと働いていた。
『す、少しだけ……。匂いを嗅ぐだけだから……』
触れてしまいそうの距離に近づくいつのの顔は、気絶させたいつきの顔へと近づく。
純粋な興味から始まった好意は、行動となりいつきを連れ出すという結果を導き出していた。
この場で襲ってしまえば、それまでだろうが、妖狐の長として禁忌を犯すわけにはいかなかった。
妖狐同士のキスと、人同士のキスは違い、人同士であれば口を重ねる行為だが、狐からすれば、鼻をくっつける行為がそれにあたる。いつのは、思わずそれをしようと顔の距離を近づけるが、唇を噛んで自分を律する。
『いつの。それはダメ!! これ以上進んだら、戻れなくなる!!』
必死に自分を律し、こらえていると、周囲はいつの間にか夜になっていた。その間もいつきはすやすやと眠っていた。
「まったく、こいつはいつまで寝てるの?」
「う~。」
「あ、ようやく起きたわね。」
「えっ? あ、いつのさん? ここは……。って、夜?!」
「全く、山に迷い込むなんて、どうかしてるわ……」
困惑するいつきをよそに、言い訳をいとも当たり前かのように語り、正論化する。それはいつきの記憶となり、現実のように感じるようになる。
いつものように、いつのは嘘を真実のように繕うことで、波風が立たないようにしていく。ただ、この時のいつのは、ちょっとタガが外れていた……
『今の状態なら……あるいは……』
月明かりに照らされ、幻想的な今の状態なら、少しだけ正体を明かしても、嘘のように聞こえる。もし打ち明けたとしても、いつきなら言いふらさないことが、わかっていたいつの。
「ねぇ。いつきさん。」
「えっ? はい、いつのさん……」
「実はね、私……」
いつのがいつきに対して、自分が妖狐であることをバラすその寸前。
「ここにいたんですか!? いつの様! 探しましたよ! どこへ行っていたんですか!!」
「や、やよい?!」
木の枝を飛ぶようにたどり着いたやよいは、いつのの横に立つと、周囲を確認した。すると、いつのが気にしていたオスがいるものだから、当然。
「あぁっ! こいつ。狐たらしのオス!!」
「ええっ。狐たらし?!」
「ほら、いつの様、行きますよ、こんなオスのところにいたら、どうなることか!!」
「ちょっ、やよい。何言ってるのよ、もう!!」
困惑するいつきをしり目に、目の前で指をパチンと鳴らすと、次の瞬間。いつきの体は、自分のベッドの上へと戻っていた……
「ええっ?! どうなってるんだ? 夢?」
その夢にしてはリアルすぎるいつきの体験は、しばらくいつきの記憶の中で悶々と考え込むことになったのだった……
『でも、パチンとされたとき、後ろに、包帯が見えたような気がしたんだけど。気の所為かな?』
そんな思いを抱きつつ、いつきはまさに狐につままれたような気持ちになったのだった……
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