第43話 偽彼氏、既に振り回される未来しか見えない

「……ふあ」


 ホームルームが終わって、喧騒を取り戻した教室の中、伸びをするとあくびが漏れた。


 体育、6時限目でよかったわ。5限目だったら多分6限目で夢の中だったことは間違いない。


「眠そうだね」


 くすくすと笑いながら、遥が近づいてきたので、俺は顔だけそっちに向けるようにする。


「まあな。そっちは余裕そうだよな」


「うん。いつも朝練とかしてるし、むしろいつもより体力余ってるくらいだよ」


「さっすが、やっぱ俺も定期的に運動しないと駄目だなー」


 ……いつもクラスメイトたちから逃げ回ってるだろ、なんてツッコミはやめてほしい。


 あれは運動じゃなくて身を守る為の必須行為なのだから。


「で、来てもらって悪いんだけど、今日は一緒に帰れない」


「だと思ってたよ、ちょっと話に来ただけ。峰月さんだよね?」


「ああ」


 俺はスマホを操作し、るなとの個人チャットを表示させ、遥に見せる。


 そこには『放課後デートがしたいですっ!』と彼女からの要望が入っていた。


「大変だね、理玖」


「まあ、可愛い彼女からのお願いだしな。仕方ない」


 苦笑する遥に肩を竦めながら返す。


 っと、そろそろ行かないとるなを待たせることになっちまう。


 俺が荷物を乱雑に鞄に詰め込み、立ち上がると、


「というかいい加減どういうことなのか、私にも聞かせてほしいんだけど!」


「だって、お前聞いてくるタイミング全部悪いし。昼もいなかったし」


 近寄って来た柏木に、俺はそう返す。


 るなには悪いけど、同棲のことを知っている人間には怪しまれるから説明させてくれともうあらかじめ許可は取ってあったりする。


 だから柏木に説明するのは別に問題はないんだけど、トイレに行こうとしてる時だったり、体育みたいな移動だったり、聞いてくるタイミングが全部悪いだけだ。


「今日はもう諦めろ。俺はもう行かないといけないんだから」


「このまま放置されたら気になって勉強どころじゃないじゃん! もし私が赤点取ったら理玖君のせいだからね!」


「それは元々お前の学力が低いだけだろ。……はあ。遥、頼めるか?」


「うん、任されました。柏木さん。ここじゃあれだから、帰りながら説明するよ」


「え、ほんと? やっぱ遥君は頼りになるー。あ、今のなるは鳴海のなるとかけてて……」


 なるなるなるうるせえな、こいつ。


 賑やかな柏木に対し、そんな雑な感想を抱きつつ、俺は2人の背中に付いていくように、教室をあとにした。



 



 案の定、るなはもう校門の所にいた。


 遥たちと話していたとはいえ、遅れないようにって考えてたんだけどな。


 近づいて行くと、るなはすぐにこっちを向いた。


 その大きくて丸い、愛らしい双眸に俺の顔を映した瞬間、パッと笑顔が咲いた。


 それから残りわずかだった距離をぱたぱたと小走りで埋めてくる。


 なんか子犬みたいだな。


「待たせて悪い」


「そんなに待ってません! それに、理玖先輩と行きたいところとかやりたいことを考えたらすぐでした!」


「お、おう、そうか。……お手柔らかに頼む」


 もはや息をするように腕に抱きついてくるな、この子は。……そこに関してはもう諦めたけども。


 そんなことをされたら勘違いする男が続出するからそういうのは好きな人にだけしてほし……この子俺のこと好きだったわ。


 有彩と陽菜と同棲し始めて、もっと刺激的なこともあったし、他の男よりは免疫がついているはずだ。


 それでも、やっぱり接触されるのは男子高校生的に色々とまずいわけで……。


 えへへー、と上機嫌で腕をぎゅっとしてくるるなの抗いがたい柔らかい感触とか温もりとか匂いだとかを努めて意識しないようにしながら、一緒にいた遥と柏木に顔だけ向ける。


「じゃあ、そういうわけだから。また明日な。遥、柏木」


 軽く手を振ると、2人からそれぞれ別れの言葉が返ってきた。


 背中を向けて、るなと一緒に歩き出すと、後ろからすぐに柏木の「で、結局どういうこと!?」という一段と大きな声と遥の「慌てなくてもちゃんと話すから」という穏やかな声が聞こえてくる。


 遥には面倒を押しつけてしまって悪いことをした。今度なにか奢ることにしよう。


「……理玖先輩の周りって可愛い人が多いですよねー」


 隣からやや不機嫌な声が聞こえてくる。


 視線を下に向ければ、俺の腕に抱きついたまま、ジトリとした目でこっちを見上げてくるるなが。

 

「まあ、そうだな」


 否定するところではないので素直に頷いておく。


「……そこは嘘でもるなが1番可愛いよって言ってほしかったです」


 るながため息を吐き、続ける。


「陽菜先輩に有彩先輩。それに今の柏木先輩に、遥先輩も」


「遥の名誉の為に言っておくけど、あいつ男だぞ」


「……さっきその男の人に求婚してたのはどこの誰でしたっけ?」


「おっと、なんか急に耳が遠くなってなにも聞こえなくなったぞー?」


 追求が痛すぎてあれれー、おかしいぞーと言ってる時の某少年探偵並の下手くそなとぼけ方をしてしまう。


 全ては遥が可愛すぎるのがいけない。つまり俺は悪くない。


 すっとぼけていると、るなが一瞬更にむすっとしたけど、瞬きを終えると、もう笑顔を浮かべていた。


 表情の切り替えがえぐい。


「でもでも、そんな可愛い人たちが周りにいる先輩の初デート相手っていう栄誉はるなだけのものですからっ! 今日は特別に許してあげちゃいます♪」


「うん? 俺別に初デートってわけじゃ——」


「——もしもし、今すぐに理玖先輩の初デート相手を探し出してください」


「ちょっと待て!? どこの誰に電話してんだよ!?」


 一切の抑揚もなく、淡々と用件だけ告げてるの怖すぎるんだけど!?


「だって昨日のチャットじゃ彼女いたことないって言ってたじゃないですか!」


 実はるなと連絡先を交換したあと、すぐにるなから質問ラッシュがあった。


 その時に彼女がいたことはないと答えたわけだ。


「嘘は言ってない! 彼女はいたことないけど、何故かデートの経験はあるってだけで!」


「先輩の浮気者ぉ!」


「いたっ、こらっ! ぽかぽか殴るな!」


 浮気者もなにもその時誰とも付き合ってなかったし!


「相手は一体どこの誰なんですかぁ! 人の男に手を出す泥棒猫めぇ!」


「だから俺を殴るなって! 有彩だよ! ちょっとした事情があったんだよ! 今と同じで!」


 殴られて痛くはないけど、周りからの痴話喧嘩か? みたいな視線はとても痛い。


 前に有彩とは小説の取材と称し、模擬デートをしたことがある。


 最初はデートだとは意識してなかったけど、有彩が言ってたしあれはデートに含めてもいいはずだ。


「うーっ……! うーっ……!」


 涙目で睨んでくるるなは、怖くないどころかむしろ可愛いんだけど、なんかすごい罪悪感がある。


「悪かったって、泣き止んでくれ」


「……ぎゅっとしてください」


「い、いや、それは……!」


「……」


「だぁーっ泣くなって! 分かったよ分かりましたよ!」


 大きな瞳がまた潤み始めたので、俺はそっとるなの小さな体を抱きしめた。


 付き合ったことがない男になんて無茶な注文を……!


「……頭なでなでしてください」


「あーはいはい」


 もうヤケクソだ。


 言われた通りにるなの柔らかくてふわふわな癖毛に軽く手を置いて、よしよしと撫でる。


「……キスしてください」


「ごめん流石にそれは無理」


「……ちぇっ」


「……今舌打ちしなかった?」


「してません」


 平然と嘘を吐かれた。というかもう泣き止んでんじゃねえか。


 なら俺はいつまでこうしてればいいんだ……?


 止め時が分からず、しばらくそのままでいると、


「うん、満足ですっ」


「さいですか」


 ようやくるなが自分から離れてくれた。


「では、気を取り直して、いざデートです♪」


 意気揚々と歩き出するなに、小さく苦笑を零しながら横に並ぶ。


「ところでさっきのって誰に電話を……」


「企業秘密ですっ」


 愛らしい笑みとウィンクが怖かったので、俺はそれ以上の追求をやめた。

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