前編 星空を見上げては

 俺たちを乗せた宇宙船スペースシップは、重力に引かれ落下していた。

 大気との摩擦によって外からはゴォゴォと不気味な音が聞こえる。逆噴射するための燃料なんて、長い航海のなかでとっくに使い果たしていた。


 警告アラームはずっと鳴りっぱなしで、騒音にキレたシロイが配線を盛大に引きちぎった。

 考え得る手段を片っ端から試してみたが、結局どれも徒労に終わった。

 あとはもう、祈るしかない。


 コックピットの向こうに、惑星が迫っていた。

 その地表の大部分が水で覆われているのが見て取れた。この惑星にも海があるのか、などと悠長なことを考える暇もなく、水面はぐんぐんと迫る。


 絨毯のように敷き詰められた海の中心に、大きくえぐられた爪痕のような深いくぼみが見えた。

 その部分だけが、呑まれそうなほど暗い色をしている。


 次の瞬間、激しい衝撃が宇宙船を襲った。

 機体全体に雷のような振動が走る。何かが押しつぶされたような轟音と、強烈な金属音が響く。

 この様子だと、機体に穴が開いて海水が侵入し始めたに違いない。


 どうにか動けるまでに揺れが収まると、俺はすぐさま立ち上がった。

 人間に模して造られた胴体と手足を素早くチェックし、破損や故障がないことを確認する。

 どうやら、優秀な安全ベルトに助けられたらしい。


「シロイ!」

 叫ぶように呼ぶと、操縦室の隅から声が聞こえた。

「タグチー。起こしてー」


 シロイのボディもベルトで固定していたはずだが、突起の少ないシンプルな形状をしているためか、着水の衝撃で飛び出してしまったらしい。

 声のしたほうに視線を向ければ、横転したボディと、そこから伸ばされた四本のアームがもがくようにじたばたと動いているのが見えた。


「待ってろ」

 素早く向かい、よいせっと起こしてやる。

「タグチ、ありがとー!」

「急げ急げ」


 シロイを急き立てながら、簡易ボートを組み立てる。

 今こうしているあいだにも宇宙船は海に呑まれていく。

 ハッチを開けてボートを浮かべ、シロイを乗せて俺も乗り込んだ途端、宇宙船は嘘のようにあっけなく沈んでいった。


 俺たちはただ波間に揺られながら、その様子を黙って見ていた。



   * * *



 広大な海の上で久々の重力を感じながら、俺たちはボートをぎ続けた。

 この惑星の海にも波はあるようだが、地球と比べて水面はずいぶん穏やかだ。

 頭上には青空が広がっている。

 鳥や魚のような生物がいるかと思って探したが、すぐには見つからなかった。


「宇宙船、沈んじゃったねー」

 水平線を眺めながら、シロイが哀しそうに言う。

「オンボロだったからなぁ」

 と俺は答えた。


 むしろ、460年にも及ぶ長い航海によく耐えてくれたとさえ思う。

 度重なるワープの衝撃にさらされ、隕石との衝突に幾度となく耐え、ときにはすれ違った惑星に推進力を奪われ、ときには恒星の重力に引きずり込まれそうになり、あわやと思うこともあった。


 何度も修理や補修を繰り返し、必要であれば部品の交換もした。それも足りなくなると、大丈夫そうな個所から部品を外してきて取り付けたりもした。

 ツギハギだらけの機体はとっくにボロボロで、この惑星に辿り着いただけでも奇跡のようだ。



   * * *



 数時間後。

 ボートが海岸に到着すると、ようやくほっとした。


「シロイ、どこも壊れていないか?」

 そう尋ねると、シロイはにょきっとアームを出現させ、小洒落こじゃれたゴミ箱を逆さにしたような胴体にぺたぺたと触れた。


「だいじょうぶー」

「そうか」


 本当を言うと、シロイの後頭部には着水時の衝撃が原因だと思われる大きなへこみができていたが、気付いていないのなら黙っているのが優しさだろうか。


「タグチはー?」

「ああ。俺も大丈夫だ」

「よかったー。【ノアの方舟】もあるよー」

「上出来だな」


 海岸にも、やはり生物の姿は見当たらない。

 しかし、この惑星のどこかに生物がいるはずだ。あるいは、かつて存在していたか。


 太古の昔、この惑星に巨大隕石が衝突したという。

 隕石は地表を大きく削り取り、そのまま遥か12.5光年も離れた地球へやってきた。そのときの隕石に付着していた微生物が、地球最初の生命となった――というのが、地球で信じられている説だった。


 シロイに言わせれば、それは天文的な確率だという。

 一枚の葉っぱが大海原へ出て太平洋を横断するようなものらしい。


 しかし、やはりその説は正しかったのかもしれない。

 海中に見えたあの『爪痕』がその証拠だ。


 この惑星に飛来した巨大隕石は、まるでサンプルでも採取するかのように星の表面をえぐり、生命の種を地球へと運んだのだ。



   * * *



 俺たちは海を背にして歩き始めた。

 空にはふたつの恒星が輝き、そのひとつが小高い山の向こうへ沈んだかと思うと、もうひとつも後を追うように沈んでいった。

 見渡すかぎりの景色が、ほんのりと薔薇色に染まる。


 しかし、いつまで経っても夜はやって来なかった。

 水平線からみっつめの恒星が昇ってきたからだ。

 薔薇色に染まった空は、またゆっくり青に戻っていった。


「ここ、夜がないねー」

 シロイがぽつりと言う。

「そうだなあ」

 俺もぽかんと空を見上げた。


 この惑星の大きさと自転速度、そして、恒星との距離から計算すると、どの時間でも最低ひとつは恒星が顔を出すことになるらしい。

 つまり、地球でいうなら太陽が三個あって順番に地上を照らしているようなものだ。

 シロイの言う通り、ここは『夜がない惑星』ということになる。

 人類が闇を恐れる理由が、少しわかった気がした。


 夜がないということは、星空も見えないということだ。

 460年も宇宙の星々を眺めながら飛んできた身としては、どこか不思議な気がした。

 地球人は、星空を見上げて遠い故郷へ思いを馳せていたのだろうか。

 たとえ故郷の星がどれかはわからなくなっても、記憶のどこかに刻みつけられていたのだろうか。

 そして、それが彼らに望郷の念を抱かせたのだろうか。



   * * *



 内陸へ進むと、砂と岩で覆われた大地が広がっていた。

 空気はカラッとして爽やかだ。

 カゼクサに似た植物が茂り、穂先がそよそよと風に揺れている。

 人工物や背の高い樹木、生物の姿などは見当たらない。


「あっ」

 そう言ってシロイはその場で停止した。

「どうした?」

「ぐぅーっ。動けないー」


 見れば、胴体の下についているタイヤがキュルキュルと空回りしていた。石が詰まったようだ。

 本来、シロイも俺も探査用ロボットではない。

 岩や砂だらけの地面を進むには無理がある。


「タグチー。動けないよー。なんでー?」

「こりゃ足場が悪いな」


 いくらシロイが器用でも、アームが届かない位置までは対処の仕様がない。

 俺はひとつひとつタイヤを点検し、丁寧に石を取り除いてやった。


 長い航海のあいだ、俺は何度もシロイのメンテナンスをしてきた。

 動きが鈍くなれば機械油を差し、ねじが緩めば締め直し、パーツが劣化すれば新しいものと交換した。

 シロイのメンテナンスなら、お手の物だ。


 すっかり石を取り除き終え、俺は提案をした。

「このあたりでいいか。ノアの方舟を埋めよう」

「えー? 海にぽっちゃんするのー」


 俺は耳を疑った。


「海? 海って言ったのか?」

「うん。海ー」

「却下だ。そんなことしたらノアの方舟がどこにいったかわからなくなるだろ」

「海がいいのーっ!」

「山のほうが景色いいだろ」

「うーみー!」

「どう考えても山の方が……って、いたっ! 待てコラ、暴れんな!」


 そして俺たちはケンカになり、シロイはメデューサと化した。

 俺は一方的にボコられ、膝を抱えてぽつんと座った。



   * * *



 青空を見上げながら、俺はこれまでのことを思い出していた。


 人類はもうずいぶん前から破滅への道を歩み始めていた。

 彼らは自分たちの住む星を汚染し、破壊し続けていた。

 そして、巻き添えになった多くの生物たちが消えて行った。


 それでも飽き足りなかった人類は、次に宇宙へと進出した。

 来る日も来る日も、宇宙戦争で撃破された戦闘機の残骸が空から降ってきた。

 波間に浮かんだ破片は墓標のようで、その墓標さえもゆっくり波間に沈んでいった。


 そんなことばかりを繰り返し、やがて人類は疲れ切ってしまった。

 もう再生への道を選べないほど疲弊していた。


 ちょうどその頃、何世紀にも渡る研究にひとつの結論が出た。

 地球上の生物の祖先となる原生物は、もともと隕石に乗ってやってきたのだということ。

 そして、それは12.5光年離れたある惑星からだということ。


 そのニュースが伝えられた瞬間、彼らの胸には等しく『郷愁』の思いがあふれたという。

 長い争いと破壊で疲れ切っていた人類が最後に望んだのは、『故郷の星で穏やかに暮らすこと』ではなく、『故郷の星で穏やかに眠ること』だった。

 もう明日を生きる気力さえ失っていたんだ。

 なんとも皮肉な話じゃないか。


 彼らは、地球に残されたなけなしの人員と資源、技術と英知、そして時間と労力を費やして、本物の故郷へ向けて宇宙船を送り出すことにした。


 問題は、誰が行くかということだった。

 航海には400年から500年ほどかかると推測された。人類の寿命はせいぜい50年か60年ほど。

 そこで選ばれたのが、俺とシロイだった。


 もともとシロイは宇宙船の操縦用ロボットではなく、軍事用に開発されたロボットだった。そして俺は、宇宙戦争が始まって出番を失い倉庫で眠っていた会話用ロボットだった。

 でも、地球人にはもう今さら新しい物を造り出す余力なんて残されていなかった。ありあわせのもので間に合わせるしかなかったんだ。

 そんな事情から、俺たちは出会うことになった。


 TGC-307-77ラッキー・タグチ

 開発者たちは俺のことをそんなふうに呼んだ。

 安っぽい幸運ジンクスに懸けるしかないほど人類は疲れ切っていた。

 でも、俺たちがこの惑星へ辿り着くことができたのは、案外その安っぽいジンクスのおかげなのかもしれない。


 【ノアの方舟】をこの惑星に送り届けること。

 それが、俺たちに課せられた最大のミッションであり、人類最後の悲願でもあった。


「シロイを迎えに行かないとな」

 そんな独り言を呟き、俺は立ち上がる。

 やはり、空には星が見えなかった。

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