新釈お伽草子――その男、面倒につき

里内和也

第1話 昼行灯(ひるあんどん)の事情

 あたらしのごうにいつ頃からものぐさ太郎が住んでいるのか、ここで生まれ育ったぼくも知らない。

 この郷は信濃しなのの国の片隅の、小さな郷だ。みんな顔見知りで、日常的な行動も各家庭の内情も、おおよそ把握されている。それなのに、物ぐさ太郎に関してだけは謎だらけだ。

 なぜ、こんなことになっているのか。それはひとえに、この男がまったく何もしようとしないからだろう。少なくとも、この男が働いているのを僕は見たことがない。

 住んでいるのは、竹を四本立ててこもをかけただけの、小屋とすら呼びがたい所。その下で、来る日も来る日も寝ているだけなのだ。いや、この状態ははたして、「住んでいる」と言っていいものなのか。

 とにかく動こうとしないから、こちらからあいつの所へ行かない限り、出会う機会自体がない。存在すら忘れそうになるぐらい何もしないが、行けば必ず寝ている――それが物ぐさ太郎だった。

 ある日のこと。瓜の種をまくために畑を耕していたら、郷のおさである佐平さへいさんから、

「これからは必ず毎日、郷の者が物ぐさ太郎に飯と酒を与えてやることになった」

 と告げられた。

 僕は思わず、持っていたくわを取り落としそうになった。

「働きもせず寝ているだけの者に、なぜそんなことを」

 と、当然の疑問をぶつけたら、

忠助ただすけ。この地を治めておられる地頭じとう様からのお達しだ。毎日、飯を二度食わせ、酒を一度飲ませるようにと。それを守らなければ、この領内から追放される」

 という苦々しげな答えが返ってきて、すぐには意味が理解できなかった。飯と酒を毎日?

「なぜ地頭様はそんなお達しを?」

鷹狩たかがりからお帰りになる時に、たまたま物ぐさ太郎の所を通りかかられたらしい。あいつはよりによって、馬に乗っておられる地頭様に、『そこのもちを取ってくれ』と頼んだんだそうだ」

「餅?」

「人に恵んでもらった餅を、うっかり道のほうへ転がしてしまったようでな。それを取りに行くのを面倒くさがって、人が通りかかるのを待っていたんだと。三日間ずっと」

 動くぐらいなら空腹に耐えている方がましだ、とでもいうのか?

「で、地頭様は餅をお取りになったんですか?」

「そんなわけないだろ。無視して通り過ぎようとされたんだ。そうしたらあいつは、『物ぐさだなあ。馬から降りて餅を取るぐらい、簡単だろうに。ろくでもない奴がいるもんだ』と不満そうに言ったらしい」

 何様のつもりだ。

「それなら、地頭様はさぞかしお怒りでしょう」

 僕の予想に反して、佐平さんは首を横に振った。

「いや。地頭様はあいつのことを、うわさには聞いておられたようでな。興味を引かれなさったんだろう。『お前はいったい、どうやって暮らしを立てているんだ』とおたずねになったそうだ」

「あいつは何と?」

「ありのままに、『人が恵んでくれたらそれを食べ、恵んでもらえなければ、四日でも五日でも十日でもそのまま過ごしている』と答えたらしい」

「……よく今まで飢え死にせずに済んでますよね」

「まあそれで、地頭様はあいつを不憫ふびんに思われてな。これも何かの縁と、耕すための土地や、商売の元手にする金を与えてやろうとなさったそうだ」

 なんと慈悲じひ深い。

「ありがたい話ですねえ。あいつもさぞかし喜んだでしょう」

「いや。耕すのも商売も面倒だと言って、断ったらしい」

「……」

「で、これはしょうがない奴だと地頭様も思われたんだが、それでも何とか助けようとなさってな」

「飯と酒を与えよというお達し、ですか」

 佐平さんがうなずくのを見て、脱力を禁じえなかった。

 地頭様の裁量一つで、何も努力しなくても日々の食を安定的にまかなえるなんて。僕たち百姓は、額に汗して懸命に田畑を耕して、ようやく飯にありつけるのに。

 正確な年齢は知らないが、僕とそう変わらないぐらい若そうだから、おそらく二十歳前後だろう。働けないほど足腰が弱っているとは考えにくい。病にも見えない。それなのに、この差は何なんだ。

 出稼ぎに出ている父に代わってこの畑を守り、母や弟たちを支えねばと意気込んでいた心が、えそうになる。世の不条理さを感じずにはいられなかったが、お達しの撤回てっかいを求めたりしたら、こちらが処罰されかねない。

 佐平さんが他の百姓たちにこの件を知らせに行ってしまうと、僕は深く息をつき、再び鍬を振り上げた。

 嘆いても愚痴ぐちっても、それで何が変わるわけでもない。できること、するべきことをする以外にない。

 他のみんなも考えたことは同じだったようで、表立って反対する者は現れなかった。こうして物ぐさ太郎は、郷のみんなによって養われることになった。

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