第96話 道楽でカニを
竈で十分に熱してあるのだろう、鍋の中の汁はことことと揺れていて……その中で具材達がなんとも美味しそうな具合に仕上がっている。
そんな中でも特に美味しそうなのがカニ足で……朱色に染まったそれ目掛けて全員が一斉に箸を伸ばす。
一人一本、カニ足を掴んだなら折って割って……中身をずるりを引き出す。
しっかりとした味の汁でもって十分に煮込んでいるらしく、更なる味付けは不要、そのまま食べれば良いとのことで……俺達は垂れて揺れるカニ足の中身へと食らいつく。
まずはどかんとカニの風味がきて、次に強烈な身の甘さがきて、そして染み込んだつゆの味がじんわりときて……それらが口の中を支配して、誰もが無言でしゃべる余裕もなく口を動かし続ける。
噛んで噛んで味わってから飲み込んで、口の中が空になったら新たなカニの身を送り込んでまた噛んで噛んで味わって。
いくら美味いといってもそんな風にして連続で食っていると流石に飽きが来てしまうので、そうなったら他の具材へと箸を伸ばす。
豆腐は中に味と熱がたっぷりとこもっていて美味く、本当に上等なのだろう、しいたけは旨味の塊のようでいくらでも噛んでいられる。
葉物はしゃきしゃきと他にはない食感を与えてくれて……どれを食べても白米が進み、飯碗があっという間に空になってしまう。
いつもならばそんな風に焦って食べたりはしないのだが、鍋は温かいうちが勝負、冷めちまったら台無しだ。
一気に、勢いのままに、食欲のままに食べるのが常道……いや、カニや食材に対する礼儀ってもんだ。
少しでも美味く、無駄なく、感謝しながら食べて己の血肉として……そしてこのなんとも言えない満腹感と幸福感を味わう。
「っはぁー……たまんねぇなぁー……」
鍋と米びつを空にした所でようやく俺がそう声を上げると……腹をぷくりと膨らませたコボルト三人衆は、トタタンとほぼ同時に畳の上に仰向けとなる。
「ご、ごちそうさまでした……」
「おなかいっぱいです……」
「江戸のカニも中々どうして……」
小さな体のコボルトでありながら、俺達に負けない勢いで食ってしまって……流石に限界が来てしまったのだろう、三人はそう言ってから幸せそうに目を伏せて……鼻をぴすぴすと鳴らしながら眠り始める。
「本来なら行儀が悪いと叱るところなんだが……三人ともダンジョンで頑張ってくれたからなぁ。
今日は好きにさせてやるとしようか」
その様子を見て俺がそう言うと……椀なんかを運び出しやすいように部屋の隅の方へと片付けていたネイが声を上げてくる。
「……アンタ達、ダンジョンのこと……これからどうするの?」
「あん? これから?
鍋を食う前にも言ったが、なるようになるもんだと思って、これからも変わらずにダンジョンに挑むつもりだが……」
俺がそう声を返すとネイは、片付けを終えてからこちらに向き直り、居住まいを正して言葉を続けてくる。
「そうじゃなくて……。
次はどのダンジョンに挑むのかって話よ。あのダンジョン……第三ダンジョンはもう調べつくしちゃったんでしょ?
なんか他の連中は第三ダンジョンが進入禁止になったのを受けて、それ以上先には進もうとせず、稼ぐだけなら十分ってことで第一と第二ばかりに行ってるみたいだし……アンタ達はどうするのかなって思ったのよ」
「ああ、そういうことか。
……ま、確かに、食ってく分を稼ぐ程度なら第一と第二で十分なんだろうなぁ。
第三は正直クロコマの符術がなければ突破できなかったくらいには危険な場所だったしなぁ……更に厳しいダンジョンだと聞く第四なんかは、えらいことになってるんだろうしなぁ」
第一と第二でも様々なドロップアイテムを得ることが出来……その最奥にいる鬼や大アメムシをやれるのなら更なる稼ぎを得ることが出来る。
その稼ぎは俺達がこんな風に道楽をしても余る程のもので……ダンジョンがいつかは無くなるかもしれないという情報が出回り始めた現状、その稼ぎは更に大きなものとなる可能性がある。
十分に稼げて幕府にも貢献出来て覚えめでたいのにそれ以上の危険を……猪鬼以上の魔物に押しつぶされるかもしれない危険をおかす意味があるかっていうと……正直微妙なところだろう。
「……だがまぁ、俺達は……少なくとも俺は第四ダンジョンに挑みてぇなって考えてるよ。
吉宗様もそうすることをお望みなんだろうし……何より、今回本が手に入ったってのが大きい。
本に書かれたあちらの知識がもっと手に入れば、もっと詳しいことが書いてある本が手に入れば、あちらに行く方法が見つかるかも知れねぇしなぁ……。
俺もポチ達もあっちに行きたいなんてことは微塵も思っちゃいねぇが……長寿のエルフやドワーフの中には今でも故郷を想っている連中がいるって話だからなぁ。
ダンジョンが消えちまう前に、なんとかそいつらの希望になるような……そいつらが故郷に帰れるようになるような代物を手に入れてやりてぇ。
そんなことを言えば連中は余計なお世話だって言うんだろうがなぁ……故郷を想いながらいつまでも屋久島や佐渡島に引きこもってるってのは、なんとも哀れでなぁ」
今までは吉宗様とその夢と、道楽のための金のためにダンジョンに潜っていた訳だが……本を見つけてみて、ダンジョンが何であるかという知識に触れてみて、俺は改めてというか……今まで以上にそんなことを思うようになっていた。
それは本当に余計なお世話で、連中からしたら放っておけって話なんだろうが……俺が連中の身になったなら、この大江戸に帰りたいとどれだけ慟哭するだろうか……。
「……ま、そこら辺はポチ達と話し合ってのことになるんだろうがな。
他の連中が第三ダンジョンを突破してねぇ、出来ねぇってんなら尚更……俺がなんとかしてやりてぇなぁ。
行き来なんて出来なくても良い、たったの一度で良いからあちらへの扉を開ければそれで良いんだ……その程度ならきっとなんとかなるはずだ」
更に俺が言葉をそう続けると……ネイは目を伏せて「仕方ないわね」とでも言いたげな大きなため息を吐き出す。
それを見やった俺が、そうさ、俺は仕方ねぇやつなんだと、開き直りの笑みを浮かべていると……突然部屋の戸がばたんと開かれて、先程の店の主人によく似た、やたらと背の低い髭達磨といった風貌の一人のおっさんが姿を見せる。
「よう言った!!
それでこそ江戸の男よ!!」
がらがらの酒に焼けた喉でそう言ったおっさんは……『湯浴み茶屋ぐるむり』との文字が書かれた半纏を揺らしながら、がっはっはと大きな笑い声を上げるのだった。
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