第17話 悪魔と超人と怒髪天 3
歩く琴莉の視界に月光スポーツ館が見えてくる。琴莉の目を通して久那賀も見えている。
建物正面から裏手に回ると、小道がある。そこに異空間への入口がある。琴莉たち能力者には扉一つ分の空間が歪んで見えている。
『近づきすぎるなよ』
「うん。一度確認したあとに開いた形跡はないよね?」
『うむ、閉じたままだ。もう少し離れてから霊力を当ててみようか』
入口の変化を見るため琴莉は五メートルほど下がって、腰のスマートフォン入れに偽装したホルスターから札を取出し、霊力を込めて入口へと飛ばす。
真っ直ぐに飛んだ札は入口にぶつかると、淡い光を出して弾けて消えた。
「……変化は特にない、かな?」
『ゆらぐことも、消えることも、大きさの変化もない。多少の刺激では反応はなしか』
「効果ないと思うけど物理的な接触も試してみる?」
琴莉は言いながら道の端にある小石を拾い上げる。久那賀からやってみようと返事があり、琴莉は小石を投げた。
小石は投げられた勢いのまま歪んだ空間を通り過ぎて地面に落ちる。
空間に変化はみられなかった。
「これも変化なし。あとは反応符で力の質を確認して終わりだね」
琴莉はホルスターから札を取り出す。
反応符はリトマス紙のように札の反応から力の質を確認できるものだ。
悪魔が引き起こしているとわかっているが、妖怪も関わっている可能性もあるためこうして確認は必要だった。
琴莉は反応符を丸めて歪んだ空間に投げつける。すると反応符は紫の炎に燃やされて消し炭となった。妖怪が関わっていたら緑の炎、精霊が関わっていたら青の炎が現れていただろう。複数が関わっていれば、それらの色の炎が混じっていたはずだ。
「紫は悪魔だから、悪魔以外の存在が関わっている可能性は低いね」
『うむ。これで調査は終わりだ。あとは調べたことをメールで送れば仕事は終わりだ』
そうだねと答えた琴莉がその場を離れようとしたとき、どこぞから声が聞こえてきた。
『もう帰るのかい? もっと遊んでいきなよ』
男とも女ともとれる声に、琴莉と久那賀の警戒心が跳ね上がる。
『琴莉っ。逃げるぞ』
「うん」
久那賀に頷き、駆けだそうとした琴莉は足を動かす前に見えないなにか掴まれて、いっきに歪んだ空間の方へと引っ張られた。そして一瞬だけ視界が真っ暗になり、すぐに夕焼けの色の静かな町が視界に入ってくる。
「引きずり込まれたよね?」
『間違いない。連絡はとれるか?』
琴莉はスマートフォンを取り出し、陰陽寮へと連絡をいれようとしたが繋がることはなかった。ならばと連絡用の札を使ってみたが、これも駄目だった。
「無理」
『念のため救難用の札を使っておけ』
頷いた琴莉は緊急時に助けを呼ぶための札を取り出し破る。音なき音が周囲へと広がっていき、効果を発揮したことがわかる。
この札は今いる異空間からでも助けを求める旨を外に伝えることができることが確認されている。ただしどこまでも届くわけではなく、頑張って区内という範囲のため、その範囲内に能力者がいないと使っても無駄になる。
「さてと、どうしよう」
『悪魔討伐は我たちには無理だろう。できることといえば、さらわれた者たちの無事を確認するくらいではないか?』
「だね。探そうか」
琴莉は巻いていた布を外して久那賀を抜いて、右手に持ったまま歩き出す。
久那賀は黒鞘に入った長さ五十センチ弱の小太刀だ。刃文は直刃。きちんと手入れされているようで、刀身に曇りはなく、また欠けたところもない。
通常ならばすぐに通報されそうな恰好のまま、車のない道を警戒して歩く。
「広さはどれくらいだろう? とんでもなく広くするのは無理なんだっけ」
『一体の悪魔の仕業なら町一つもないだろう。そうさな……だいたいは学校の敷地内程度だ。ここらで一番大きな建物を中心にしている可能性があるな』
「大きな建物ってーと、あれだね」
琴莉はすぐ近くにある大型ショッピングセンターに視線を向けた。
『念のためあれから一度離れて端を確認しようか』
わかったと返し、琴莉は大型ショッピングセンターから離れる。二十メートルほど歩くと、見えない壁にぶつかった。
「斬れるかな」
『やってみればいい』
久那賀を軽く振る。当たった感触はあるものの、弾力のあるなにかの上を滑ったような感じで、斬れたとは思えなかった。
『無理だな。全力を出せば切れ込みを入れることは可能かもしれないが、脱出は無理だ』
「まあ予想はしてたね。じゃあ人探しにあそこに入ろうか」
久那賀が欠けていないかなどを確認してから琴莉は大型ショッピングセンターを目指す。
建物内部は電気が通っていないようで、電灯に明かりはついていない。だが外と同じく夕焼けの色と明るさであり、見通しが悪いということはなかった。
人気のない店内を歩く。今琴莉がいるところは靴売り場らしかった。だが棚にある靴は少なく、地面へと落ちているものがほとんどであり、その靴も発泡スチロールで作ったかのように本物とは異なっていた。
琴莉は落ちている靴を拾い上げてぎゅっと握る。それだけで靴らしきものは壊れた。
「これだと食べ物とかなさそうだね水不足食べ物不足で弱っている人がいるよね?」
『いるだろうな。弱っているところを悪魔にやられている可能性もある。琴莉、お前も覚悟せねばならんぞ。助けがくるまで手持ちの水と食料だけで過ごさなければならない』
「一食分もないしたりないよね」
バッグに入っているのは、中身が半分になったペットボトルとブロックタイプの栄養食だ。辛いだろうなと溜め息がでる。
そんな琴莉の耳になにかが倒れる音が聞こえてきた。
「行ってみる?」
『警戒してな』
できるだけ足音を立てないように音のした方向へと走る。
靴売り場や雑貨売り場を通り抜けて食品売り場に入った琴莉が見たのは、黒いマネキンのようななにかに襲われている二十代後半の男だった。
男はマネキンに応戦しつつ、下がっている。男の攻撃は効いているようだが、大ダメージにはなっていないように見えた。
「行くよ、久那賀!」
『応!』
マネキンの横手から琴莉は斬りかかる。ざんっとマネキンの腕を斬り落とした琴莉は、その脆さから悪魔が生み出した人形だろうかと思う。
腕を斬り落とされたマネキンは痛みなど感じていないようで、接近した琴莉を残った手で掴もうとする。
それを琴莉はしゃがんで避けて、逆手に持ち直した久那賀でマネキンの下腹部から喉へと斬り上げる。
大きく斬られたマネキンは、動きを止めていっきに崩れ去った。少しだけ黒い土のようなものが残り、すぐにそれも消えた。
「使い魔みたいなものかな?」
『それ以下だろう。人間をある程度攻撃できるだけの能力を持たせた人形だ』
「ど、どこから声が?」
助けられた男は琴莉に声をかけようとしたが、どこからどもなくもう一人男の声がして、そちらに気が向いた。
「あ、大丈夫?」
「あ、ああ。助けてくれたんだよな? ありがとう」
『早速誘拐された者をみつけることができたな。なにかしらの情報を得られるだろう』
「幻聴じゃないな。やはりどこからか男の声が」
男は不思議そうに周囲を見る。
『我はここだ。小太刀、久那賀という。お主の名は?』
「刀!? いやこんなわけのわからない状況なんだ、刀が喋ってもおかしくはないのか? 俺は榊大助。高校教師だ」
『教師か。立派な職業だ。我の主は静川琴莉という』
久那賀の紹介に琴莉はペコリと頭を下げた。
「はじめまして。陰陽寮所属の能力者です」
「陰陽寮? 大昔に暦とかを作っていたところだったか?」
日本史を思い出し大助は聞く。
「よく間違われるけど、そっちじゃない。陰陽師といった能力者を抱えている、超常現象に対応する組織。それが私の所属する陰陽寮」
「ここじゃないところで聞いたら、嘘吐いているとしか思えないんだが。こんなことになっているから、本当にそういったところがあるんだろうと思えてしまう」
『自己紹介は終えた。急かして悪いが、この中の状況で知っていることがあれば教えてほしい。ほかに生存者はいるのか? あの黒人形以外になにか見たか?』
「生存者はいる。元気な奴は少ないが。食べ物や飲み物がなくて、しかもあの黒人形が襲いかかってくるものだからろくに休めなくてな。生存者のほとんどは一ヶ所に集まってる。その中で元気な奴が水や食料を探してるって感じだ」
成果はまったくでていないと大助は溜息を吐いた。
「生存者は何人?」
「十五人。何人か一人で行動するって言ってどこかにいったよ」
「それだけいるなら私の持っているものだと足りない」
「食べ物を持っているのか」
見せようとした琴莉を大助は止める。見ると欲しくなるとわかっているのだ。
「それは君のものだ。大事にしなさい。ほかの生存者も自分のものは自分のものとして管理している。それに君はこういった状況をどうにかできる人なのだろう? だったら分けてもらって消耗を早めさせるわけにはいかない」
むしろほかの者たちから水などを集めて、琴莉に体力を維持してもらう方がいいかもしれないと大助は考える。
大助の表情に希望が現れたのを見て、琴莉は申し訳なく思いつつ口を開く。
「どうにかはできないと思う」
「そ、そうなのか?」
「私はあなたたちが誘拐された事件を調査に来た人間なの。解決するだけの実力はまだなくて。ここにいるのも悪魔に引き込まれたからだし。私にできることといえば、黒人形からあなたたちを守ることくらい。一度くらいなら悪魔を退かせることもできるかも」
「悪魔? こんなことをしたのは悪魔なのか?」
「ええ、調べたかぎりでは悪魔以外の反応はなかったから」
本当に悪魔がいたのだなと大助は感心してしまう。そういった状況でないのはわかっているが、いろいろと情報があふれてやや現実逃避していた。
「悪魔はどうして俺たちをさらったんだろうか。目的とかわかるかな?」
『人間を愛でるためだな』
久那賀の言葉に大助は首を傾げた。愛でるということと、現状が上手く頭の中で一致しなかった。さらわれてから、驚きと恐怖と焦りといった感情しか生まれていないのだ。愛でるというなら、それを受ける側は喜びなどの正の感情が生まれるものだろうと思う。
混乱している様子を見て、久那賀が説明を続ける。
『悪魔は人間が好きでな。いろいろな感情や表情や行動を見てみたいのだ。人間が喜び嬉しがるために願いを叶えてみたり、怒り悲しむために悲劇を起こしてみたりと、様々なちょっかいをかける。その結果、自分が仕掛けたことを突破されても喜ぶ様子を見れば満足する。こういった異界で恨みながら死んでも、その様子を愛しく思う。自分が倒されたとしても、その勇気と行動を称えるだろう。どのような悪魔にもそれは共通する』
人間が愛しいから、そのすべてを見たいと思っているのが悪魔だ。
「……巻き込まれた側としては迷惑としか言いようがないんだが」
『そういった感情もまた悪魔にとって、良い見世物だ』
なにを思っても喜ばせるだけなのかと大助は重い溜息を吐く。
気持ちはわかると琴莉が頷く。
「そうだ、琴莉君と一緒に調査に来た人間とかはいないのかい? いなくなった君がさらわれたと判断して、陰陽寮に連絡を入れたりとか」
「久那賀とだけで調査に来たから」
「そうか」
「一応助けは呼んだ。それに気づいてくれたら一日かからずに救助がくるよ」
「正直なところ来ると思う?」
「救助はくる。でも日数はわからないかな」
調査結果が報告されていないと陰陽寮もおかしいと思うだろう。そう思うまでにどれくらい時間がかかるか。琴莉としては長くて三日とみている。その三日を今の手持ちで過ごすのは、気が滅入る。
「とりあえず生存者と合流しよう」
そう言う琴莉に大助はこっちだと歩き出そうとして止まる。
「どうしたの?」
「合流してもいいものかと思ったんだよ。合流しても君のことは話さないようにした方がいいのか」
なぜだかわからず琴莉はきょとんとしている。
『大きな期待がかかるか』
「ええ、そしてそのあとに失望して責めるという流れになるかもしれず」
現状をどうにかできないと琴莉が言ったとき、大助自身が気落ちした。皆も同じになる可能性がある。
それだけならまだ問題ないが、無理を押し付けたり、勝手に失望して貶したりすると、まだ子供といっていい琴莉の心を傷つけやしないかと思う。
この状況で専門家である琴莉の心配をできたのは、日頃から子供と接していてその心の在り方を理解しているからだろうか。
その気遣いを、久那賀はありがたく思う。
『榊殿、ありがとう。この子は人としても能力者としても、まだ未熟。向けられる悪意によって心は容易く傷つくだろう。それを避けられるのなら避けたい。合流しないで、生存者の近くで待機したいがいかがだろうか』
「馬鹿にされたくらいで泣く年でもないんだけど」
琴莉は少しだけ不服そうな様子を見せる。
『理不尽な言葉にさらされたことはないだろう? そうなるかもとわかっているなら避けるべきだ』
「そうだな。人は簡単に人を傷つけることができる」
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