グリフィスの吸血鬼

百目鬼笑太

第1話 ルイス


 グリフィスの地には吸血鬼が棲んでいる。


 今から二百年ほど前のことだ。グリフィスの地を領地として治める領主がいた。それまでグリフィスは善き領主のもとで善き領民たちが善き暮らしを営む平和な土地だった。

 しかし、あるグリフィス家の嫡男が領主を継いでから領内のあちこちで度々領民が姿を消すようになった。一人ずつ一人ずつ、老若男女の区別なく領民は姿を消した。

 人々の不安はたちまち積み重なり、やがて見つかった失踪者はすでに何も言えないようにされていた。奇妙であることに、見つかる亡骸のどれもに死以外の共通した特徴が残されていた。首筋に牙の跡を思わせる小さな穴が二つ。

 そんなことがあまりに続くものだから、領民たちは列をなして領主のもとへ赴いた。お偉い貴族様ならばこの事件もどうにか出来るに違いない。そうして館で見つけたのだそうだ。

 屋敷の中に領主の姿はなく、使用人も一人もいない。がらんとした屋敷の大広間には大きな大きな血の水たまりが広がっていたそう。

 そんなわけでグリフィスの地には吸血鬼がいるのだと伝説が出来上がった。伝説は今でもグリフィスの街に伝わっており、これまた噂であるが吸血鬼の正体は当時のグリフィス卿であったとも、伝説の真実は闇の中。



 この頃は街が随分と騒がしい。新聞を買いつつ、こそこそと話をしている周囲を見渡してルイスは舌打ちを飲みこむ。胸をざわつかせる不快感に眉をぎゅっと寄せた。購入したばかりの新聞を抱えて寮へと足早に戻った。


「おかえり」

「ああ、高良たから。いい香りだな」

「ベーコンエッグだぜ」


 寮の部屋に入ると、香ばしい香りが鼻をくすぐる。見ればルームメイトの高良瑞雪たからずいせつがエプロンを身につけ食卓に並べらえた皿にフライパンから料理を移すところだった。ほんの少し誇らしげな友人の様子にざわついていた心が静まっていくのが分かる。

 食卓に座ると新聞に目を通す。一面に載っていたのは街を騒がす吸血事件についての情報だった。そのゴシップともいえるレベルの低い内容にルイスは顔をしかめる。


「くだらない」


 一通りに目を通し、そう一蹴する。新聞を放り、目の前のベーコンエッグをナイフで切り分けて口に運ぶ。とろりとした半熟の黄身がカリカリのベーコンの塩気とよく合っていて美味だ。美味しい朝食に不快な朝が少しだけマシなものに変わった。


「うまい」

「お気に召したようでなによりだ」


 目の前に座り、千切ったパンを口に運ぼうとしていた高良はにっこりと笑みを浮かべる。ツンツンとした黒の短髪、左目の下を走る古傷が特徴の留学生の高良とは高校入学から共に過ごすルームメイトである。当初こそ高良の風変わりな様子に壁を作っていたルイスだが今ではもっとも親しい友人とまで思っている。


「それで、お前は事件の何が気に食わないんだ? うちの学生が襲われたっていう痛ましい事件だろう」

「事件についてじゃない。それをやれ吸血鬼の仕業だ、とか無責任に騒ぐ馬鹿が嫌なんだ! 吸血鬼なんているわけもないものにいつまでも……馬鹿らしい!」

「ほう?」


 高良の片眉が持ち上がる。

 吸血事件とは、つい先日に起きた通り魔事件だ。同じ学校の上級生がジョギング中に通り魔に襲われたらしい。幸いにも命は助かったそうだが、被害者が見つかったとき全身は血塗れで何よりも首には二つの穴が残っていたらしいのだ。まるで吸血鬼に襲われたような被害者の状況に古い吸血鬼伝説の伝わる我がグリフィスの街は多いにざわついた。

 もう伝説の事件からは二百年あまりが過ぎようとしているのに、グリフィスでは今でも吸血鬼を思わせる事柄に過敏に反応を示す者が多い。ルイスの祖母もその一人だった。


「そうだ、おばあさんの様子はどうだったんだ」

「ああ……心労だそうだ。……くそ、馬鹿な奴らが多いせいでいつまで僕らは!」


 そう憎々しげに呟くルイスの姓はグリフィスという。かつてグリフィスを治めていた貴族の末裔であり、吸血鬼とされたグリフィス卿の子孫である。グリフィスでは人が襲われるたび、少しでも吸血鬼の噂が立つたびにグリフィス卿の子孫は警戒をされてきた。

 今回も同じだった。いや、新聞が堂々と吸血事件と連日煽り立てるものだから、いつもよりもなお酷かった。


「大事がないならよかったよ。ほら飲め、食後の紅茶だ」


 笑う高良が紅茶を淹れて、ルイスへ差し出した。カップを受け取り、ルイスもゆるく微笑む。他所からやって来た高良はルイスの家系のことなど関係ないし気にしない。それはとても、貴重なことだった。


「しかし、吸血鬼がいないとは頂けねえな?」

「なんだって?」

「ないことを証明するのを悪魔の証明と言うんだぜ。もしかしたら今回の事件だって本当に犯人は吸血鬼かもしれないだろ?」


 違うか?と首を傾げる高良。悪魔の証明。悪魔、吸血鬼。高良の言葉から次々に空想上の生き物が脳裏に浮かんだ。それにルイスは。


「なら僕が証明してやる! この事件の犯人が吸血鬼なんかじゃないってことを!」


 こめかみの血管を痙攣させながらルイスは勢いよく椅子から立ち上がる。そう宣言したルイスに高良はただただきょとんと瞬きを繰り返した。


「犯人を捕まえれば、おばあさまの心労の元もなくなる! ついでに街の連中のあれそれもなくなる! 一石二鳥だ!」



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