第55話:答えは聞いてない!

 9月。それは明秀高校における二大学園行事の一つ、文化祭が行われる重要な月。


 夏休み明けという気だるさに苛まれるがそんなことはさせまいとする意図を感じるスケジュールには開いた口がふさがらないが、誰一人としてげんなりしている様子はない。むしろ普段大人しくしている生徒もここぞとばかりに張り切っている。


 俺と悠岐は幸いなことに同じ1年2組に所属している。出し物は何にするかは夏休み前に決められていて、ありきたりではあるが喫茶店をやることになっていた。その準備は張り切り組が休み中に行っていたとかいないとか。


「僕たちは練習で準備はろくに手伝えなさそうだよな。となると、きっと当日こき使われるんだろうか……」


「そんなことはないと思うけどな。その辺は当番制になるって委員長が言ってなかったか? そうじゃなきゃ、いくらなんでも不公平だろう?」


 始業式からすでに一週間。今日は朝練がなくのんびりと登校していた。すでに我がクラスは文化祭に向けて大いに盛り上がっている。むしろ夏休み前よりもさらに熱が上がっているように感じたのはきっと俺の気のせいではないはずだ。


 ―――フッフッフッ。騒ぐわ! 私の血が騒ぐ! 坂本君の健気な可愛さを世間にもっと知らしめろと言う私の血が!―――


 特に委員長の菅波すがなみさんは鼻から汽車のような煙が見えるほど興奮しており、なぜか名前を出された悠岐は俺の背中に隠れたほど。普段は口数の少ない寺崎さんも顔を真っ赤にしながらうんうんと頷いていたのも印象的だ。


「そんなことより。足は大丈夫なのか? ギプスが取れたとはいえ、すぐに投球練習とかはできないじゃないか? 秋季大会に間に合いそうなのか?」


「医者の話だと、まずは衰えた筋肉を元の状態に戻すことから始めたほうがいいってさ。体力も落ちているから、ここから先のリハビリは地獄だよ。だけど安心しろ。大会には間に合わせてみせるから。春こそ……優勝するぞ」


「あぁ。もちろんだ。これ以上友哉にばっかりいい思いさせてたまるか! これからは僕たちの時代だ!」


 悠岐と拳を合わせる。親友の顔には笑顔が戻って俺は内心ほっと胸を撫でおろした。


 二回戦終了後。俺は怪我をしたがノーヒットノーランを達成したので工藤監督や松葉先輩を始めたとしてみんなが祝福してくれたがただ一人、悠岐だけは泣きながら俺に謝ってきた。


 マウンドでも散々な顔をしていたのに、試合後はそれ以上に泣くものだから、俺達は勝ったのか負けたのかわからなくなったほどで、悠岐が泣き止むまで俺はずっと胸を貸していた。


 それからしばらく経っても悠岐の落ち込みは治らず―――さすがに試合中は切り替えてきたが―――会うたびに泣きそうになるものだから非常に困ったのは記憶に新しい。


「そうだな。そろそろ友哉の鼻っ柱をへし折ってやらないといけないな」


 だがこうしてまた元気になってくれたのなら何よりだ。こいつにはいつも堂々と自信満々に笑っている姿が何より似合う。


 他愛のない話をしながら校門をくぐり、教室に向かっていると羨望なのか嫉妬なのか様々な感情が込められた視線を向けられる。まるでテレビの向こうにいる有名人を見かけてテンションが上がっている野次馬と同じで、夏休み明けからずっとこの調子。最初は気分がいいものではなかったが慣れればどうということもない。つまり、気にならなくなった。


「おっはよう! 今宮君! 坂本君! 今日も……えへへ……仲良く登校だね!」


 若干気持ちの悪い―――女子には失礼だが―――笑顔を浮かべながら声をかけてきたのはこのクラスの委員長を務めている菅波香苗すがなみかなえさんだ。


 見た目は所謂ギャルという感じで校則スレスレの限りなく茶色に近い黒髪。化粧も濃いめにしているので高校一年生には見えない程大人びている。それに反して学業面は優秀で、テストの成績も学年でもトップクラスの秀才。このギャップが男子に受けて人気があるのだが、如何せん頭の中がお花畑だ。


「おはよう、菅波さん。まぁ悠岐との付き合いは長いし、同じ上京組だから一緒にいると落ち着くんだよ」


長いお付き合い・・・・・・・……一緒にいると落ち着く……はぁ……なんて尊いのかしら……控えめに言って最高……」


 こういう人のことをなんて呼ぶのか、里美さんに聞いてみたことがある。そしたら、


 ―――晴斗と坂本君の関係は……そうね、そっち界隈の人には大うけね。甘んじて彼女達の妄想の餌食になりなさい―――


 と言われた。


「お、おい晴斗。委員長、どうしたんだ……? 突然トリップしてないか? というか鼻息荒くて僕、怖いんだけど……」


 だが悠岐はオカズにされていることなど知らずにいつものようにまるで小動物のように俺の背中にさっと隠れる。それが彼女の妄想を捗らせているのだぞ我が親友よ。


「ハァッ! 怖くなって今宮君の背中にさっと隠れる坂本君……なんて可愛いのかしら……そんな彼を守る今宮君……素敵だわぁ」


 さすがの俺も擁護できなくなりそうなので一人で夢の世界に旅立ってしまった委員長を放置することにして俺達は席に着いた。


「お……おはよう。今宮君。きょ、今日も大変だね……」


 隣の席に座っている寺崎舞子てらさきまいこさんが顔半分を本で隠しながら小さな声で話しかけてきた。彼女は眼鏡をかけたボブカットの少女で、いつもおどおどしている。本が好きで気が付くと何かしらの文庫を読んでいる。その内容を聞いても教えてくれないが、彼女が時折エヘヘと崩れた笑みを浮かべているのを俺は知っている。彼女は違うと信じている。


「アァッ!! 言い忘れるところだった! 今宮君、今日の昼休み、坂本君を借りてもいいかな!? 答えは聞いてない!」


 トリップ夢の世界から帰還を果たした委員長が思い出したように大きな声で某特撮に出てくる声の可愛い紫怪人の台詞を言った。


「じゃあ聞くなよ……というか、それは俺じゃなくて悠岐に聞いてくれ」


 至極当たり前の返事をして、少し離れたところで荷物の整理をしている悠岐を指差した。ギロリと獲物を見つけた肉食獣が如く、両手を気持ち悪くワキワキと動かしながら親友に迫る委員長、いやもとい変態。ガタンと椅子を倒しながら後退る悠岐。固唾を飲んでそれを見守る俺と寺崎さん。


「ぼ……僕に何の用だ? というか……僕に何をさせる気だ?」


 震える声で尋ねる悠岐の視線は俺に向いている。心の声が聴こえた。


 ―――助けてくれよ、晴斗!―――


 申し訳ないが親友よ。それは無理だ。俺は心を鬼にして首を横に振った。絶望的な表情をする悠岐。そんな彼に変態委員長は満面の笑みでこう言った。


「坂本君……あなたには文化祭で女装してもらうことになったから! メイドの衣装を着て接客してもらうからね! 答えは聞いてない!」


 最後に確定事項だから、と笑顔で伝えると委員長は自分の席に着いた。


 あっけにとられる悠岐の絶叫が響き渡り、直後にやってきた担任に一喝された。悠岐にメイド服とか正気か委員長は、と思って寺崎さんを見ると、彼女は邪悪な笑みを浮かべていた。


 これは仕組まれたことなのだと俺は悟った。


 すまない、悠岐。俺ではお前の貞操を守ることはできなさそうだ。




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