第28話:カレーと元相棒と穏やかな時間【女子大生:飯島早紀】

『さぁ、夏の甲子園大会四日目。本日の第三試合に春の選抜大会の優勝校、石川県代表の星蘭高校が登場です。相手は初出場の長野県立飯海高校はんうみこうこう。初出場の高校相手にどのような試合運びを見せるのか楽しみですね』


『そうですね。夏の大会二連覇をしていた大阪桐陽高校が昨日の初戦で敗退しましたから、俄然星蘭高校初の春夏連覇が現実味を帯びてきましたね』


 運ばれてきたカレーは店主自慢の一品ということもあり、評判以上の美味しさだった。玉ねぎを大量に煮込んだことで発揮される甘み、それに加えてにんじん、ジャガイモも煮込まれており、スパイスも各種使われているので野菜の旨味に加えてしっかりと辛さもあるので米が進む。大盛にして正解だった。


「へぇ、はふとくん。やっはりせーらんこーこうはふよいの?」


 俺はカレーを食べる手を一度止めて、目の前に座る年上美人にジト目を向けた。この日は本当に俺より四歳も年上の成人女性なのだろうか。


「……早紀さん、まずは口の中の物を飲み込んでから話してもらえますか? もしかして可愛いと思ってわざとやってます? ねぇ、わざとやってます?」


 まるでリスのように頬を膨らませながらもぐもぐと食べる姿は可愛いけれど、その状態で声を発しても言葉になっていない。ごくんと飲み込むのを確認してから、俺は質問に対する答えを述べた。


「強いですよ。投手力でみれば昨日の大阪桐陽よりも上・・・・・・・・です」


「へぇ……あの大阪桐陽の藤浪君よりも上なんだね、星蘭の二年生エースは」


 早紀さんが水を飲みながら画面を見た。ちょうどそこにはベンチの中で声を出してグラウンドの選手たちを鼓舞する男の姿が映し出されていた。


「星蘭の二年生投手、高梨恭伸。去年の夏、鮮烈な甲子園デビューを果たした来年のドラフト一位候補。あの桐陽の北條さんを春のセンバツでは一安打に抑えて、星蘭を優勝に導いた孤高のエース。そんな彼のピッチングに応えようとする打線は時として実力以上の力を発揮しますから、対戦する方としては厄介極まり無いですよ」


「そっか、そっか。私はまだ野球を見始めて日が浅いからそこまで詳しくはないんだけど、そんなにすごかったの?センバツの時の高梨君」


「……すごかったですよ。ほとんどの試合を一人で投げ切りましたからね。ただ、夏の星蘭は春より間違いなく強いですよ。出来ることなら決勝まで当たりたくないですね」


 画面の向こう側。マウンドに立つのは線番号1ではなく控え投手の11番。右のサイドハンドの三年生。コントロールにばらつきこそあるが、球速140キロのストレートと横手から放られるスライダーとシンカーが得意球。高梨さえいなければ十分1番を背負えるだけの力を持っている選手だ。


「確かに、あの11番のピッチャーは厄介そうだねぇ。二枚看板なら高梨君の体力も温存できるから確かに手ごわいかもね」


「いえ、そうじゃないですよ。一番厄介なのは、その二番手をエース級にまで引き上げるマスクを被っている男ですよ」


 カラン、と俺は食べ終わた皿に置いたスプーンが音を立てた。視線を早紀さんから外して半身になってプレイ開始のサイレンが鳴り響いたテレビに目を向けた。



『さぁ―――試合開始です! 星蘭のピッチャー青柳君をリードするのは一年生の阿部君です。悲願の夏の大会初優勝をかけたこの大舞台で、いったいどのようなリードをするのでしょうか。楽しみですね!』


『そうですね。春のセンバツでは正捕手だった梅野君からレギュラーを勝ち取るほどの期待の一年生だと大会前のインタビューで伊藤監督は話していましたね。決して経験を積ませるために先発起用したわけではないということですね』


『なるほど! 現役時代のポジションがキャッチャーで全国制覇の経験のある伊藤監督が見込んだ才能というわけですね。初出場の飯海高校打線を相手はこのバッテリーにどう挑むのか! 注目です!』



「へぇ……星蘭高校のキャッチャーは一年生なんだ。晴斗君と同学年なんだね。坂本君といい、期待の一年生が今年は多いんだね」


「…………」


 俺は早紀さんの言葉に反応せず、ただじっとテレビを睨みつける。俺とあいつが組めば悠岐を手玉にとれるが、俺と悠岐ではあいつに勝てたことはない。



『カウントは3ボール1ストライク。マウンド上の青柳君、ストレートは走っていますがコントロールにばらつきがみられますね。やはり緊張しているのでしょうか?』


『そうですね。いくらセンバツ優勝したと言っても青柳君は殆どマウンドに立っていませんからね。緊張もあると思います。それ以上に、ここまでの四球は全て違う球種です。今日の投球の軸となるボールを探しているようなリードをしていますね』


『た、確かに……初球はストレート、次いでスライダー、シンカーにチェンジアップと持ち球全部投げていますね―――第五球、投げました! おぉっと、バッターひっかけてサードゴロ。落ち着いて捕球して……アウト! 最後に投げたボールは、シンカーですか?』


『真ん中から右バッターの内角に曲がりながら落ちるシンカーですね。中々キレのある良い変化をしていますね。これは右バッターだけでなく左バッターも苦戦するでしょうね。見極められるかが勝負のカギになりそうです』



「いい変化球投げるのね、あの青柳ってピッチャー。確かに苦戦しそうだね。って、晴斗君? 顔怖いよ?」


「……あっ、あぁすいません。ただ、相変わらずだなって思いまして。あいつの悪い癖ですよ。あのリードは」


「っえ、もしかして晴斗君、あの一年生キャッチャーのこと知ってるの!?」


「……阿部友哉あべともや。右投げ右打ち。広角に強い打球を打てる強肩強打、人の心を見透かしたような悪魔的なリードとランナーを射殺すような強肩、全てを兼ねそろえた俺達の世代では最強の捕手。それがあいつです」


 頬杖をつきながら思わず称賛の言葉を口にしてしまった。


「初回の先頭打者に全球種を投げさせるのも、まぁ解説が話していた通りです。あの野郎、試合前の投球練習でどんなにいい球投げても試合開始したら忘れたみたいに全部投げろってサイン出してくるんですよ? 性格悪いと思いません!?」


「それは……性格が悪いっていうのかな? むしろ、晴斗君に最大限の力を発揮してもらうための儀式のようなものなんじゃ……?」


「まぁあいつのサイン通りに投げて打たれることは少なかったですし、打たれた場合はたいてい俺のコントロールミスか打者が化け物だった時くらい。間違っていないのがまた腹立たしい……」


「フフッ。晴斗君はあの阿部ってキャッチャーのこと、信頼しているんだね?」


 早紀さんもまた片肘をついてニコっと微笑んで優しい声で俺に問いかけてきた。その表情に、俺は彼女に全て見透かされているように感じて頬を掻いてその恥ずかしさをごまかしながら、


「……えぇ。キャッチャーとしてなら俺は誰よりも……あいつを信頼していますよ」


「フフッ。なら、野球以外も含めてなら、誰を一番信頼しているのかな、晴斗君は? お姉さんに教えてほしいなぁ―?」


「―――んん!? な、なんですか、いきなり!?」


「えぇー教えてくれないの?」


 笑顔で首をゆらゆらと左右に振りながら答えを煽ってくる早紀さん。まったく、この人は大人と子供の精神が融合しているからこういう仕草もいちいち可愛く見えて仕方ない。


「……少なくとも、一番信頼している人じゃないと貴重な午後のオフを一緒に食事に出かけたりはしませんよ。言わせないでください」


 俺はフン、と拗ねながら鼻を鳴らして顔をそむけた。頬が紅くなっているのを早紀さんに見られたくなくてテレビに改めて集中した。


「そ、そう……なんだ。もう、晴斗君の……バカ」


 見ていないけれど、早紀さんが口を尖らせながら呟いたのが聞こえたが、それを聞こえないふりをして試合に集中した。


「あ、あの、すいませ―――ん! 食後のコーヒーお願いします!」


「は―――い。少々お待ちくださ―――い」


 早紀さんが照れるのを隠すために頼んでいたコーヒーを持って来てもうらために声をかけると、間延びした返事が返ってきた。



『青柳君、三番バッターを簡単に追い込んで―――空振り三振! 最後は左バッターに対して外に沈みながら逃げていく得意のシンカー!』


『ん―これは本当に素晴らしいボールですね』



 友哉はこの試合の軸となるボールをシンカーと定めたようだ。ストレートとその他の変化球は見せ球にして追い込んだらシンカーを内外角に要求、青柳投手もそれに応えて投げ切ることが出来ている。


 その結果、1回の表の攻防は星蘭バッテリーが三者凡退に相手打線を完璧に抑えて終わった。


 その裏の攻撃。俊足の一番、技巧の二番、そして三番に控えるのはそのキャッチャー。悠岐と同等の打撃技術を持つ天才に初回から打順が回ってくる。


「早紀さんのせいで集中ができない……」


 暑いねぇと手団扇で扇ぐ年上美人をしり目に、俺は元相棒に打席が回ってくるのを待った。


「……楽しいから、いいか」


 誰かと一緒にのんびりと野球を見るのも悪くないな、と思った。

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