第305話 秋の大収穫(15)

「はい、雪音です。五郎さん、どうかしましたか?」


 とくに何時ものような落ち着いた声に、雪音さんの方は何もなかったと、俺は一瞬、心の中で安堵する。


「雪音さんは、いまはどちらに?」

「えっと……、いまはお婆ちゃんと一緒に車の所に居ます」

「そうですか。それでは、山に上がるのは今は止めておいてください」

「え? 何か、あったのですか?」

「熊が出ました」

「――え? く、熊ですか!? 五郎さんが、熊と出会ったのですか?」

「はい。ただ、何とかなりましたので――。ですから、そういうことを踏まえて、今は山には入らないでください。出来れば、車の中で待っていてください。妙子さんにも、そのように伝えてください」

「分かりました。それで、五郎さんは、これからどうするのですか?」

「桜たちを迎えに行きます。向こうも何かあったら困りますから。それに、もうすぐ日が暮れますから」

「それは、危険なのでは? ここは、猟友会の方に連絡を取った方が――」

「それだと間に合いません。桜たちは携帯電話を持っていないので、俺が直接伝えに行きます」

「……分かりました。無理はしないようにしてください」

「はい。それと、田口村長と連絡を取って猟友会への依頼をお願いします。お金は、自分が出しますので。予算は気にしないでください」

「分かりました」


 雪音さんとの通話を切り、山の裏手へと急ぐ。

 スマートフォンの時計を確認すれば、現時点の時刻は午後5時半を表示している。

 早くしなければ完全に日が落ちてしまう。

 山の裏手に到着したところで、まず目に入ったのは、収穫されたリンゴが入ったケースが100個以上積み重なっていた事ではなく――、俺を襲ってきた熊よりも一回り大きな熊と、メディーナさんが対峙している光景だった。


「サクラ様、少し離れていてください」

「うん!」


 熊とメディーナさんとの距離は10メートルほど。

 逃げる事は出来ないし、普通の人間なら、何もできないだろう。

 一瞬、声を上げようと思ったが、それだと熊を興奮させてしまう。

 そこで、俺は気が付く。

 メディーナさんが、俺の方を一瞬、横目で見てきたことに。

 つまり、俺が来たことに彼女は気が付いている。

 ただ、彼女も声を上げることは良くないと思っているのか――、それともターゲットが俺に代わってしまう事を憂慮しているのか、こちらに声をかけてくるような事はしてこない。

 メディーナさんは、桜を後ろに庇ったまま、熊と対峙し――、それどころかジリジリと距離を詰めていく。

 あきらかに自殺行為と言っていい。

 そして――、熊との距離が2メートルを切ったところで、熊は、太い右腕をメディーナさん目掛けて振り下ろした。

 その腕を、右腕で――、素手で受け止めるメディーナさん。


「え?」

「ハアッ!」


 さらにメディーナさんは、左拳を熊の顔へと放つが、それを野生の感で察したのか、熊は左腕でガードしようとするが、メディーナさんの拳は、熊のガードを破壊する。

 太い熊の左腕が跳ねあがると同時に、メディーナさんの拳は、熊の顔面を捉え――、200キロ以上はある熊は横に――、地面と垂直に吹き飛び、20メートルほど滞空したあと、地面の上を転がっていき、リンゴの木に激突して動きを止めた。


「他愛もないですね。オーガと比べたら雑魚中の雑魚と言ったところですね。サクラ様、ご無事ですか?」

「うん!」

「そうですか。あとは――、ゴロウ様」

「メディーナさん、大丈夫ですか?」


 俺は彼女の傍に駆け寄る。

 流石に生身の人間が熊の攻撃を素手で受け止めるという常軌を逸した行いに驚愕してしまっていたが、彼女の体の容態を怠るような真似はしない。


「はい。あの程度でしたら、魔物の遠征討伐で良くあることですので」

「そ、そうですか……」

 

 何と言うか異世界人は思っていたよりもヤバイな……。


「おじちゃん! 熊って大きいの!」

「怖くなかったか?」

「うん!」

「そうか……。本当に、心配したんだからな」

「そうなの?」

「当たり前だ。桜は、家族で、俺の娘だからな」


 俺は安堵から思わず溜息が出る。

 とりあえず、今は山から下りることが先決だな。

  

「メディーナさん。猟友会へ依頼をかけましたので、一度、山から下りるとしましょう。また熊が襲ってきたら危ないですから」

「え? それは、問題ないと思います。私を襲ってきたのは、逃げた一匹だと思いますから」

「どういう――」

「わんっ!」


 言いかけたところで、フーちゃんの吠える声が聞こえてくる。

 そちらへと視線を向けると、いつもは白いモフモフなフーちゃんの姿が、真っ赤な色に染まっていた。

 それを見て、俺は確信した。


「フーちゃん! 熊の血をつけて遊ぶのは良くないぞ?」

「ガルルルル」

「それにしても――」


 宮越さんが、殆どの熊を倒したってことか……。

 そうとしか考えられない。

 そして宮越さんが倒した熊の血をフーちゃんは遊び半分で体にこすりつけていたと。

 異世界の犬の習慣は良く分からないが、風呂に入れて綺麗にしないとな。

 その前に車の中が汚れるから、軽トラックの荷台に乗せてもらうしかないな。


 


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