第53話 幻想の境界(2)

 震えは歯を食いしばって耐えろ。

 今は、桜が泣いている方が、ずっと大事だろう。


 桜の頭の上に手をおく。


「問題ない。許可をしたのは俺だからな。桜は何も悪くない。むしろ、桜を守れて良かったと思っている。だから、そんなに自分を責めるな」

「おじちゃん……?」

「それに、言っただろう? 俺達は家族だって――。子供を守るのは大人の仕事だ。そして、桜を守るのは俺の仕事だ。だから、気にする必要はない。あとな……、桜が泣いている方が俺にとっては辛い」


 言葉にしながら俺は自分自身を振り返る。

 久しぶりに見た夢。

 誰も信じることもなく。

 誰も頼ることなく。

 ただ一人、人には無関心で興味も持たず誰とも接することもしない。

 それを信条に生きてきた。


 ――それが月山五郎という男の在り方。

 

 それが、今は誰かを気遣って――、それを悪くはないと思っている。

 つくづく自分と言うモノが分からない。


 でも――、それでも――、紡いでいる言葉は――、桜に語り掛けている言葉に嘘や偽りなどは含まれていないと断言できる。

 何故なら、語り掛けている言葉は、嘘ではないと言う事だけは分かるからだ。


 自分と言う存在が分からないのに、紡いでいる口説は諫言ではないと理解出来てしまう。

 本当に――、40年以上生きてきて未だに分からない事だらけだ。


「……」

「だから、そんなに泣くな。ほら、この通り手は動くからな」

「うん……」


 ようやく桜が泣きやんだ。


「ナイルさん、ここのところ寝ていないので少し一人にしてもらってもいいですか?」

「分かりました」

「桜はここにいるの……」


 まぁ、桜ならそう言うと思った。

 

「それでは、体の痺れが取れるまで一日ほど掛かると思いますので、御静養してください」


 ナイルさんが部屋から出ていったあと、桜が布団に入ってくる。


「おじちゃん、だいじょうぶ?」

「ああ、大丈夫だ。ちょっと睡眠不足だからな。桜も寝るか?」

「うん。桜も寝るの」


 そう呟くと泣き疲れていたのか、俺に抱き着いてきたまま桜はすぐに寝息を立てた。

 痺れる左手で腕時計を確認するが時刻は午前4時。

 子供は寝ている時間。


 スヤスヤと寝息を立てている桜を見ていると、疲れていたのか俺も眠くなってくる。

 何時頃、寝たのかは分からない。

 目を覚まして部屋の中でボンヤリと見渡せば窓越しに部屋に入ってくる日差しは赤い夕暮れ時を示していた。


「どのくらい寝ていたんだ……」


 腕時計で時間を確認する。

 時刻は午前6時。

 つまり異世界のこちらでは、時刻は午後6時と言ったところだろう。


「体は普通に動く――」


 ナイルさんの話だと、一日は掛かると言われたが思ったより早く回復したことに安堵する。


「……んっ」


 俺が目を覚まして身じろぎしたことに桜も目を覚ましたようだ。

 桜はボーッとした目で俺を見てきたあと、ギュッと抱き着いてくると目を閉じる。


「おじちゃん……、だいじょうぶ?」

「ああ、もうこの通り体は動く」


 右腕は、桜の腕枕をしていて動かせないので左腕を動かして見せる。


「よかったの」

「あんまり気にするな。ちょっといいか」

「うん」


 ベッドの上で桜がコロコロと転がり俺から離れていく。

 そんな様子を見ながら、ベッドから出て床の上に立ったあと体を動かす。


「特に違和感はないか」


 普通に体は動く。

 それどころか幾分か体が軽いと感じてしまう。

  

「おじちゃん……、髪の毛が……」

「髪の毛?」


 ジッと俺が体を動かす様子を見ていた桜が何かに気が付いたのか俺の頭皮に指を向けて唖然とした表情を浮かべている。


「――ま、まさか!? 髪の毛はあるよな……」


 手で確認するが髪の毛の感触が手のひらに伝わってくるので問題ない……、はずだ――。


「あれは……、鏡だよな?」


 地球にあるような鏡面ではないが金属を磨いて作った鏡が部屋の中にある。

 念のために鏡で自分の髪をチェックするが――。


「髪の面積が増えているというか……、少し若くなっているのか?」


 元々、老けた顔だと子供の頃から言われてはいたが――、彼女に裏切られてからは、もっと老けた。

 そのおかげで、苦労人だとも言われたことがあったのだが――。


「どう見ても30歳くらいにしか見えないよな」


 顔にいくつも存在していた皺が消えているのが大きい。

 それに、中年太りしていたお腹も幾分が凹んでいることから、体が軽いと思ったのかもしれない。


「回復魔法の影響か?」


 まさか若返っていると言う事は無いと思うが、中年太りが無くなったのは嬉しい誤算とも言える。

 それにしても回復魔法はすごいな。

 定期的に回復魔法を掛けてもらえば村の年配の人たちも現役復帰できるのでは?


 ――コンコン


「はい」

「ナイルです。お食事をお持ちしました」


 部屋の扉が開きナイルさんが部屋に入ってくるが俺を見るなり眼を大きく開く。


「ゴ、ゴロウ様!? もう立ち上がって大丈夫なのですか? それよりも、もうお体は……、体調は回復なされたのですか?」

「ええ、まあ……」


 体調が回復したどころか、すごく体が軽い。

 

「ゴロウ様、ベッドにお座りください。すぐにアロイス様とノーマン様を呼んでまいりますので――」

 

 慌てた様子で、食事が載せてあるトレイを部屋に置いたまま、ナイルさんが部屋から出ていく。

 それからしばらくして、ナイルさんと共にアロイスさんとノーマン辺境伯が部屋に訪れた。


「すいません。何か問題が起きたみたいで」

「よい。それよりもアロイス」

「はっ――。ゴロウ様、今からお体の状態を確認いたしますので失礼します」


 アロイスさんが何かをブツブツと呟き始める。


「ノーマン様」

「どうだ?」

「はい。お体は、完治されているようです」


 アロイスさんの言葉に、ノーマン辺境伯が安堵の溜息をつく。


「今のは?」


 いまいち事情が呑み込めないので、一応確認の意味を込めてノーマン辺境伯の方へと視線を向ける。


「うむ。いまのは肉体の状態異常――、つまり負傷している状態を確認する魔法になる」

「なるほど……」


 頷きながらも俺は首を傾げる。


「そんな便利な魔法があるのなら、ノーマン辺境伯様のご病気を調べることが出来たのでは?」

「アロイス」

「はっ! ゴロウ様、我々が使用できる肉体を調べる魔法はあくまでも対外的外傷に限られるのです。内面的外傷に至っては、体の構造を熟知している者にしか使えず、使えるのは医療に携わっている者に限られます」

「――なら、医療に携わっている人間なら調べることが出来るということですか?」

「はい。――ですが、内面的外傷には知識の有無が左右されるため、万能とは言えないのです」

「そうですか……」


 つまり、地球の医学知識があれば内面的外傷――、つまり内科に通ずる魔法は相当な発展を見ることが出来ると……。


「――さて」


 俺とアロイスさんの話が一段落したところで、両手を軽く叩く音と共にノーマン辺境伯が部屋の中を見渡した。


「ゴロウの体も復調したことが分かったことであるし――、……どうかのう? 曾孫が訪ねてきてくれた祝いも兼ねて歓迎会などでも開くというのは?」


 ノーマン辺境伯が、笑みを浮かべて俺と桜を見てくるが――、そこでハッ! と、俺は重要な事に気が付く。

 それは、時間の問題。

 慌てて腕時計を見るが、時刻はすでに午前6時半を過ぎている。

 店のリフォームをしてくれている踝さんが朝8時頃に来て作業をしている事を考えると、歓待を受けている時間は無い。


「ノーマン辺境伯様」

「どうかしたのか?」

「はい。じつは――、いま向こうの世界で店を出すために改装工事をしているのですが、頼んでいる業者があと少しで来てしまうので歓待を受ける時間がないのです」

「今からか? もうすぐ日も暮れるのだが……」


 ああ――、そういえば時間のズレを一度も説明したことが無かった。

 

「実は、異世界と此方の世界では時間のズレが12時間あるのです」

「12時間とな?」

「えっと……、たしか1日が12の鐘だったはずなので6の鐘のズレが生じています」

「なるほど、そうなるとゴロウ達が住まう異世界は、もうすぐ朝となるわけか?」

「はい」

「ふむ……、それなら致し方ないか……。また、今度こちらに来るときに歓迎会を開くとしよう」

「ありがとうございます」

「ナイル、すぐに馬車の用意を――」

「ハッ!」

「アロイスは、例の物の用意を」

「分かりました」


 部屋から出ていく二人の後ろ姿を見送ったあと、ノーマン辺境伯が俺の方へと歩み寄ってくる。


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