第6話 タマナの家

 ハッと目を覚ますと目の前には心配そうに覗き込むジーンの姿が見えた。


「オトハ!目が覚めたんだな!ああ、良かった……。このまま目を覚まさないんじゃないかって心配したんだ。」


 ジーンは心から安心した表情でオトハの手を両手で包み込んだ。

その手は小さくて軽いが節々は固く、じんわりとした温もりがあった。


 オトハは初めて出会った自分に対してどうしてこんなに親身になってくれるのだろうと思ったが、彼の手の温かさと真心に嬉しくなる。


「ごめんなさい、心配かけちゃった。ここは……?」


 清潔な木造りの部屋に温かい色のランプがいくつか点いている。

お香のいい香りがする。

オトハはベッドに寝かされており、サイドテーブルには水とタオルなど、看病をしてもらった形跡があった。


「ここは俺の家だ。」


 と茶を2つ持ったタマナが部屋に入って来ながら言った。


「あんた、2日間も寝てたんだ。マジで心配したぜ。ジーンなんか毎日来てあんたを看病したんだ、お礼を言うんだな。」


「ふ、2日間!?そんなに!?いえ、ごめん、ありがとうジーン。それにタマナさんも。」


「あー、俺にさん付けはいいよ。」


「でも年上は敬わないと。」


「俺はもう300歳以上になるんだ。年上として敬われたら世界中の人間からよそよそしいさん付けや敬語を受けることになる。そんなのはウンザリだぜ。だからさん付けも敬語も使わなくていい。」


「そういうことなら、遠慮なく……。ありがとうタマナ。」


「まあ、無事で良かったよ。俺はこの世界の人間の健康状態しかわからないからさ、柄にもなくすげえソワソワしたんだ。」


「感謝してもしきれないよ。何故二人は会ったばかりの私にそんなに良くしてくれるの?」


 オトハは上半身を起こすと少し目眩を覚えた。

タマナは茶を一つジーンに渡し、もう一つをオトハに渡した。


「無理すんなよ。まだ目が覚めたばかりなんだからよ。」


 そう言いながらタマナはオトハの背中を支えてくれた。


「何でかって、俺らがお人好しだからなんだが、まあ強いて言えば、ジーンは一目惚れしたからだ。」


 ジーンはタマナの突然の発言で啜っていた茶を吹き出してしまった。

耳まで赤くした彼はタマナを責め立てる。


「な、お前何言ってんだよ!!そういうのは言わない約束だろ!!!」


「え、え?」


 ジーンの反応からそれが本当のことであるのは明白だった。

オトハも見目麗しい美少年に好かれたのだから、困惑もあれど嫌な気分ではない。

タマナは二人のその様子を見て楽しんでいるようだった。


「まあそのへんの話はゆっくり二人でしてくれや。で、俺が良くする理由だけどよ、似てんだよな、昔の知り合いに。」


「昔の知り合い?それは、どういう。」


「どういうのかは言わねえけど300年以上前に離れ離れになってな。」


「離れ離れ……。でも何処にいるかは知ってるんでしょ?」


「この世界にいればな。」


「!私、デリカシーのないことを!ごめん!離れ離れ、そうだよね。そういうことだよね……。」


「まあ気にすんな。ともかく俺はそういう個人的な感情であんたに良くしたんだ。こんな理由で気分が悪くなけりゃ俺たちの好意を受け入れてくれ。」


 彼女らの様子、彼女らの言葉を聞いて、オトハのタマナやジーンに対するしこりのように残っていた疑いは霧散していた。


 彼女らの献身に心から感動して目をうるませているとタマナが思い出したように言った。


「そうだ、ちょっと健康状態を見たいから次排便するときは便を少し取らせてくれ。」


「え、便?は、恥ずかしいけれどわかった……。変なことに使わないでよ。」


 オトハはこの世界には検便の技術があるのかと感心した。

部屋の照明器具は電気ではなくランプを使っているので、技術レベル的には自分の世界のせいぜい1800年代程度のものだと勝手に想像していたが、医療技術に関してはそうでもないのかもしれない。


「ああ、それと、もし食欲があるならメシもあるから持ってきてやろうか。異世界人の口に合うかはわからねえけれどな。」


 タマナの料理は美味しかった。


 オトハは食事を摂ると動けるようになったので、タマナの案内で風呂に入った。

風呂場は薪で炊くタイプのものだったが、やはり清潔で、石鹸や乳液、香料などが充実していた。

これらはタマナの作ったもので、都に卸して商売をしているのだと言う話だ。

高級品で普通の家では使えないらしい。

香りも非常によく、ゼラニウムのような匂いがする。


 湯を頭からかぶると茶色い水が足元へ流れた。

舗装されていない道でかぶった砂埃がまだ残っていたのだろう。


「そう言えば昔カンボジアに旅行に行ったときも、ホテルのシャワーを浴びたら流れるお湯が真っ茶色になったっけ。」


 取り留めもないことを思い出すと、オトハは自分が異世界にいて元の世界にどう戻るかもわからない現実をありありと感じた。


 初日は混乱と疲れ、そしてさっきまでは気を失って目が覚めたばかりのぼうとした頭だったからそのことの実感が薄かった。

だが、風呂に浸かって冷静になってくるとこの事実について考える余裕が生まれてきた。


「兎に角、この世界が異世界であることは間違いなくて、私は何かしらの理由で帰路の途中ここに飛ばされてしまったっぽい。どうやら夢でもないらしいし。実は電車が事故に遭って異世界"転生"をした、ってことではないことを願うばかりだけれど。」


 顔の半分を湯に沈めて難しい顔をしていたが、やがて息苦しくなって顔を上げる。


「何か目的があって召喚されたとかだったら帰る方法も見つかるかもしれないけれど、ジーンやタマナが私を呼んだような感じはしないしなぁ。もし目的も何もなくここに飛ばされてしまったのだとしたら、この世界で私が何をすべきなのかもわからないし、あまりにも取っ掛かりのない話になってしまう……。帰れるのか不安になって来た。私は何の為にこの世界に来たんだろう……。」


 不安を振り払うように風呂から出ると、タマナが用意してくれたこの世界風の服が置かれていた。

それに着替えると居間のような部屋に戻る。


 広々とした部屋にローテーブルと座椅子が置かれたリラックススペースのようなものが部屋の端にあり、そこには種々様々な形のシーシャがいくつも置かれていた。

壁に沿って並んだ棚には色々な瓶が並んでおり、それはタバコやシーシャに使う葉であったり、茶葉、調合された香料、様々な薬草などタマナの商売に関わる商品だった。


「おう、あがったか。」


 とタバコを喫みながらタマナが言う。14歳の少女の見た目でタバコを吸う姿は違和感を覚えるが、その所作は長い喫煙歴を思わせ、一挙一動が板に付いていた。

紫煙が彼女の白い髪を撫でて、まるで羽衣のようだった。


「もう夜も更けてきたしジーンは帰したぜ。毎日看病に来ては夜遅くまで面倒を見てたんだ、まったく、あいつもあいつでちっとは休んだ方がいいのさ。」


「ありがとう、ジーンも、タマナも。あなた達がいなかったらきっと私は迷った挙げ句、あの澱人に殺されてたよ。何度も言うけれど、本当に感謝してる。」


 そう言うとオトハは深々と頭を下げた。


「あー、もういいって、俺らがあんたを見つけたのはたまたまのラッキーだったが、助けたのは俺らの勝手な好意だ。それが迷惑じゃなかったってだけでいいのさ。」


 ふうと煙を吐くと、一拍置いてからタマナが質問をする。


「ところで今澱人って言ったよな。その名前、多分俺らは教えてないはずだが、いつ知った?」


 それでオトハは深淵にいた事、サリィの案内でそこから出たことをざっと説明した。


「なるほどな、深淵に。よく戻って来れたもんだ。そもそも澱人に関わっても深淵に行くことはかなりレアケースだし、あんなところ行って戻って来れるやつなんかそうそう居ねえ。よっぽど運が良かったな、そのサリィってやつに会えたのも含めてよ。」


「やっぱりヤバいところだったんだね……。本当に生きて出られて良かったよ。そうだ、サリィちゃんにお礼も言わずに戻ってきちゃった。ちゃんとこっちの世界で会ってありがとうって言いたいな。この村の子かしら?」


「いや、そういう子はこの村には居ねえ。まあそのサリィってやつが何者なのかわかったけど、会うのは不可能だろうな。」


「それは遠いところに住んでるからとかそういうこと?」


「そういうことだ。」


「そっか、でも、いつか会えるといいな。」


「そうだな。だが、あんたは先ず自分が元の世界に帰る方法を探すのが先じゃないか?残念ながら俺にはわからねえが、協力くらいはしてやれる。例えばこの家は部屋が余っててな。あんた一人を住まわせることくらいはできる。帰れるまで好きなだけいてくれて構わない。そのかわり俺の仕事の手伝いはしてもらうけどな。」


 思いもよらない提案にオトハは喜んだ。

帰る方法を探すにしても不案内なこの世界で、金もなく、宿もない状態で不安しかなかった彼女だったが、生活の拠点を提供してくれるというタマナの提案は渡りに船だった。


「本当にいいの!?凄くありがたい。不安だったんだ、体調が戻ったら放り出されるんじゃないかって。私はこの世界のことわからないし、何処に行っていいかもわからないから。」


「気にすんな、仕事の手が増えて助かるってもんだ。それじゃ、よろしくなオトハ。」


「ありがとう、タマナ。よろしくお願いします。」

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