第八話


 灰色な雲は夜中の強風で薄まったのか、ほとんど残っていない。駅に着くと宇津野くんと吾妻さんが先に来ていた。空木と栗城さんはまだみたいだ。

 二人とも大きなリュックを背負っていて、私だけ荷物がほとんどないのがちょっと申し訳なく感じる。


 少し遅れて空木と栗城さんが来た。

「よし、これで全員そろったね。じゃあ行こうか」

 宇津野くんが言って駅に入っていく。

 駅の前は検問のようになっていて、バリケードが張られていた。二人組の男が私たちの名前と住所を聞いて、住民だということを確認する。その後も、どこに行くのか、目的は何か、長々と尋問をされてようやくホームまでたどり着いた時には発車時間ギリギリだった。

 さすがに目的を素直に言うわけにはいかなくて、終着駅に新しくできた大型ショッピングモールに買い物と映画を見に行くと伝えた。電車に乗って街を出ると、遠ざかる街並みがまるで要塞のように見える。この街はどうなってしまうんだろうか。

「ねぇ、西堂さんって誕生日いつなの?」

 隣に座る栗城さんが話しかけてきた。


「八月三十一日だよ」

「え~、もうすぐじゃん! でも夏休みの誕生日だと、やっぱりあんまお誕生日会とかしたことない?」

「そうだね。私の場合は特に夏休み最終日だから、いつもみんな忙しくてお祝いとかしてもらったことないかな~」

 私は口だけで笑う。

「じゃあ今年はしようよ! 誕生日のお祝い!」

 私たち以外に乗客がいないからか、栗城さんはとてもテンションの高い声で叫ぶ。

「いやいや、いいよ~。たぶんめちゃくちゃ忙しいよ今年は。学校も通えるのか分からないし、栗城さんだって……」

 そこで栗城さんが言葉をかぶせてくる。

「じゃあ前倒しでやるのはどう? それなら忙しくないときにできるじゃん! せっかくこんな風にみんなで仲良くなったんだし、一回くらいやろうよ」

 仲良く、なれたんだろうか。テンションの高い声を聞きながら私は冷静にそう思う。きっと悪気はないんだろう。私はそう納得した。

「みんなもいいよね?」

 栗城さんの問いに、答え方はそれぞれだけど誰も拒絶はしない。

「じゃあ決まり! 日程調整しておくね」

 笑顔でそう言われて、私も笑顔を返す。

 その後も、栗城さんは終始楽しそうでテンションが高かった。


 終着駅に着くと空は暗澹としていて、じめじめとした風が吹いていた。

 駅を出るとひとまず海に向かう。

 大通りを抜けて砂浜が見えてくると、そこにバリケードや金網が置いてあるのがわかった。砂浜の奥、海があった場所に入れないようにしている。

「まるで映画の中の世界みたい」

 栗城さんが誰に向かってでもなく呟いた。

 砂浜の前まで行くとそのまま道沿いを境界線の壁に向かって歩く。大分遠くまで来たのに、壁はまだ先の方に見える。きっとこの辺りも壁の内側は規制が厳しくなっているんだろう。海岸沿いには閉まっているお店が多かった。


 なんとか営業しているお店を見つけて昼食休憩にすることにした。

 個人経営の小さな喫茶店のようだ。店内にはカウンターの端の席に茶髪の男が一人いるだけで、他に客はいなかった。それぞれパスタや焼きそばやハンバーグ、サンドウィッチなどを頼んだ。私はナポリタンを頼んだ。

「弥美?」

 料理を食べ終わったころに、店員の女の子が栗城さんに話しかけてきた。

「弥美だよね? 久しぶり。覚えてるかな、中学同じだった礼深れいみ

「え? 礼深、久しぶり! もちろん覚えてるよ。そっかぁ、お母さんが喫茶店始めるって言ってたもんね。ここがそうだったんだ~」

 健康的な小麦色の肌をしたその子は、とても嬉しそうな笑顔を見せてくる。

「まさか最終日に弥美が来るとは思わなかったよ」

「最終日?」

「うん、今日で閉店なの。海があんなことになって、お客さん全然来なくなっちゃったから、これ以上は続けられないってなって」

「そうなんだ。でもギリギリ来られてよかったよ。料理もすごく美味しかった」

「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しい」

 丁寧に頭を下げると、サイドポニーテールの髪が小さく跳ねた。

「ところで弥美は今日こんなとこで何してるの? 今じゃこの辺り遊ぶとこもなんにもないでしょ?」

「うん、実はね」

 そこで栗城さんが宇津野くんと吾妻さんを見る。そして店内を見まわしてから一度咳払いをして、礼深さんに調査について話し始めた。

「そういうことなの」

 話し終わると栗城さんがそう言った。礼深さんは目をぱちくりさせている。

「まぁ、夏休みの思い出作りっていうのかな? なんかこういうの楽しいし!」

 栗城さんはもうお父さんの仕事のことは気にしていないのかな。どこか諦めのような笑顔を見せている。

「なんなら礼深も一緒にやる?」

 礼深さんは弥美らしいね、と言って笑った。

「一緒にやるのは遠慮しとくけど、なにか手掛かりが見つかったら連絡するよ」

「うん、ありがとう」

 そして会計をすることになり、みんな自分の分の代金を机に広げる。栗城さんが集めてレジに向かうと、それぞれ荷物を持って続く。名残惜しそうに話している栗城さんを横目に外に出ると、ムッとするような空気が広がっていた。


 二十分ほど歩くと壁はかなり近くに見えてきた。それに伴って警備は厳重になっている気がする。やはりあの壁には何かあるのかな。近くまで行けば何か手掛かりが見つかるんじゃないかと、焦るように歩く速度が上がっていく。

 そして壁のすく側まで来ると、幾重にもバリケードや金網が置かれていて、まるでここが国境のように感じた。街並みまでもが違って見えて、ここから先には活気が満ちている。振り返ると今にも泣きだしそうな空の下には抜け殻のような街があって、生物だけじゃなくて街にも生き死にがあるんだと私は理解した。

 不意に壁の向こうに行ってみたいという思いが芽生える。そのすぐ後に、向こうへ行ったらもう戻れないという気がした。ここは本当に国境なのかもしれない。

「かなり厳重だな。どうする?」

 空木が言った。

「まぁこのくらいは想定内だよ。とりあえず壁の断面が見えるラインで高い建物を探そう」

 そう言って宇津野くんは海岸から離れるように歩いて行く。


 夢ノ見山みたいな山があれば楽だけど、見渡す限り山はない。それでも少し遠くにビルが見えて、宇津野くんはそこに向かっているようだ。

 ビルはほとんどが空きテナントになっていて外階段を使って六階まで上る。限られた範囲ではあるけれど、どうにか海は見えた。

 狭い階段で望遠鏡を準備する宇津野くん。私は双眼鏡で海を眺めてみた。夢ノ見山からはほとんど見えなかった壁が、すぐ近くに見える。

 改めて見るとその壁は本当に不思議だった。そもそも透明な壁と言っているだけで、本当に壁のようなものが見えるわけではない。ただ、壁が存在しているようにキレイに海が切断されている。下にある砂浜から海水が漏れることも、波が高くなって上から超えることもない。壁の向こうは真っ暗で、次の瞬間には一気に海水が流れ込んでくるんじゃないかと不安になってくる。

 宇津野くんが望遠鏡をセットして観察を始めた。私は邪魔にならないように双眼鏡を外して一歩下がる。これ以上眺めていてもどうせ私には何も分からないだろう。

 宇津野くんと吾妻さんはその後も熱心に望遠鏡を覗き込んではノートに何かを書き込む。望遠鏡の角度を変えてはそれを繰り返している。私は海や街、空を眺めていた。空にはヘリが沢山飛んでいる。


 十五分ほどで二人は観察をやめた。

「あまり長くいると通報されるかもしれないから、そろそろ下りよう」

 望遠鏡をしまいながら宇津野くんが言う。

 ビルを出ると地図を確認して、近くの公園へ向かった。

 広い公園に入ると、寝ころんだら気持ちよさそうなフカフカの芝生の先に、木の机とベンチがある。自販機で飲み物を買ってみんなで座る。

 缶を開けた時の、プシュッという音の後には気鬱な沈黙が広がった。成果が乏しくないのは口に出さなくても伝わってくる。

「まぁ収穫がなかったわけではないよ」

 言葉とは裏腹に自信のなさそうな声が響いた。

 ジュースを飲み終えると誰ともなく帰ろうかという雰囲気になり、その場で現地解散となった。私はせっかくだから、新しくできた大型ショッピングモールに寄ってみることにした。

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