第四十四話 車騎将軍田管の出撃
梁の国は、中原の丁度中央に位置している。往時は西に普、南に
今の梁は、その時の情勢と似たような事態に陥っている。東からは魯の侵攻があり、西には南普、西普が北普を叩いている。北普が叩き潰されれば、梁の西辺が脅かされることは明白である。状況は、切迫していた。
田管は、成梁の宮中に造設された仮の御殿で、張石より拝命していた。
「車騎将軍田管、其方を魯軍鎮討の総大将として、二十万の軍を授ける」
「はっ」
張石より、直々に魯軍鎮討の命令が下されたのである。田管は二十万の軍で、西進する魯軍を迎撃することとなった。彼がこれまでの生涯で率いた軍の内では、呉子明と戦った時の普軍四万が最大であり、十万の単位の軍を率いるのはこれが初めてのことである。
本来であればもっと多くの兵で迎え撃つべきであるが、兵を一気に動員できないのは、梁の地理的な事情が関係している。先に述べたように、梁は中原の中央に位置している。その国境線は長く、それに沿って広く守備隊を配置しなければならない。故に、有事の際にすぐに動かせる兵はそれ程多くはないのだ。地方軍を召集しようにも、それには時間がかかってしまう。
田管の体を、緊張が走った。ここでもし、魯軍に負けるようなことがあれば、これまでの梁国復興のための戦いは、全て無駄なものとなってしまう。まさしく
その夜、田管は与えられた成梁の屋敷の中で一人寝をしていた。
やはり、一人寝は物寂しい。張舜に抱かれた時のことを思い出して、体が疼いてしまう。けれども、今は体をしっかり休めて、来たる戦に備えなければならない。張舜の方もそれを察してか、敢えて田管と顔を合わせることをしなかった。その気遣いを、自分の方から無下にする訳にもゆくまい。
田管には妻子もなく、両親ももうこの世の人ではない。今まで、自分には守るべきものなど、何もなかった。自らの仕えた普の帝室さえ、それに値するものではなかった。だが、今の田管には、守るべきものが二つある。一つは梁国であり、もう一つは張舜の御身である。この二つは、自分の身に代えてでも、守り通さねばならない。自分は、魯軍に勝たなければならない。勝って、この梁国と、張舜を守るのだ。
そういった思考を頭の中で巡らせつつも、その日は、すんなりと眠りに就くことができた。
田管率いる二十万の軍は、そのまま蔡に入国した。
馬上で、田管は考え事をしていた。指揮用の馬車はどうも性に合わず、田管は麾下の騎兵と同じように馬に跨っていた。乗り慣れない馬車よりは、勝手知ったる馬の背の方がしっくり来る。
魯に放っている密偵の曰く、「魯軍は弱兵ばかりであり、その軍紀は緩み切っている」とのことであった。だが、それでも五十万という数は脅威そのものであり、よしんば弱兵が言葉通りだとしても、数の有利によって自信をつけ、強気で向かってくるかも知れない。むやみやたらと怖がる必要はないにせよ、敵の精神力を過小評価するのは、危険極まりないことである。
蔡の王は、張石の弟の
張漢が本営を置く蔡の国都
そうして、田管は亭川に入城した。
「おお、中央軍の援軍か。ありがたい」
張漢は快くそれを迎えてくれた。田管とその背後の将卒は、拱手の礼を取った。
「田管将軍の活躍の程はこちらもよく存じている。心強い味方だ」
田管の姿を見た張漢の表情は晴れやかであったが、その顔には流石に疲労の色が濃く現れている。苦しい戦いを強いられているのだ。無理からぬことである。
「ええ、取り敢えず、今の状況を教えて頂きましょう」
亭川の本営で、田管と張漢、それから蔡軍と田管軍の幕僚たちは軍議を開いた。
蔡の北半分は、殆ど魯軍によって奪われていた。もう敵は、国都であるこの亭川の喉元に剣先を突きつける位置にいる。そして、亭川が敵に抜かれれば、その大軍は梁国内へなだれ込むであろう。だから、ここで食い止めねばならない。慎重に、本営では軍議が交わされた。
田管は蔡軍から、敵の指揮官の情報を得た。敵軍を率いる総大将は、何とあの呉同であった。田管とは、因縁浅からぬ相手だ。かつて、寿延で辱められたことへの怨念を、田管は忘れてなどいない。
そうして、田管軍は出発し、北上した。田管は副将の馮恭に全軍の半数に当たる十万を預け、二手に分かれ進軍した。蔡の領内には、南北を隔てるように西から東へと
田管軍は、この川の南岸に布陣した。弓弩の兵を配置し、投石機を並べて万全の構えを取っている。
「さあ来い。魯軍共」
敵将は、あの呉同だ。絶対に許さないし、逃がしもしない。のこのこと戦場に出てきたことを後悔させてやる。田管はそう念じて、自分を奮い立たせた。
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