魔導士ザネマ
「
ラナクの上げた苦痛の声に、チャムニャンは「またか」と呆れたように言うと、「先ほどから何度同じことを繰り返しておるのだ。少しは学習せよ」と彼の右手の上で飛び跳ねながら叱責した。
ぶつけたばかりの額を空いている左手で押さえたラナクは、「仕方ないだろ。煌空石の結晶がデタラメに飛び出してるし、なんだかちょっとずつ天井も低くなってきてるみたいだし」とぼやき、「それに、おまえの光が微妙に邪魔っていうか」とチャムニャンから顔を背けつつ眩しそうに目を細めた。
「無礼な」
「全体じゃなくてさ、もっとこう、身体の前面だけを光らせることってできないわけ?」
「無茶を言うな。そのような器用なことができるわけなかろう」
わずかに直径が狭まった洞穴の奥に、ゆらゆらと左右に揺れながら歩く、チャムニャンの光に照らされた異形の案内人の後ろ姿が見える。その独特な歩き方のせいか異形の進みは遅く、たとえどれだけ遅れを取ろうとも、一本道である限りはどうやっても見失いそうにはない。
「イブツは目から光を出せるんだ」
「あやつは自動人形であろう。あのような下世話なものと私を一緒にするでない」
ラナクが「下世話って、あいつは珍しい存在なんじゃないのか?」と訊ねると、チャムニャンは「廃棄されずに現存しているという点ではな」と含みのある言い方をした。
「なんだよ。どういう意味だよ?」
「よいか。いくら存在自体が珍しかろうが尊かろうが、その存在理由が唾棄すべきものである以上、あやつは下世話な遺物に過ぎないと心せよ」
「いや、まぁ……魔光石で魔力を補充してからは……その、確かになんだか下世話っていうか。急に品性がなくなった気もするけど」
「そういった意味ではない」
頭ごなしに否定されたラナクが、「じゃあ、どういった意味で下世話なんだよ」とムッとしたような調子で再び問い返すや、チャムニャンが「殺戮人形という意味でだ」と乾いた声で言った。
「殺り、はぁッ⁉︎」
「もともとあの自動人形は兵器として作られたものだ」
兵器という単語でメイナの話を思い出したラナクは、「ちょっと待てよ。イブツは不具合が見つかって廃棄になった型なんだろ? だったらあいつも実戦には使われていないんじゃないのか?」と指摘した。
「そうだとしても根源は同じである」
「根源? その言い方はおかしいだろ。イブツは人に作られた人形なんだから、根源もなにも、もとはただの金属じゃないか。兵器だって言っても一つ一つが別な個体なんだろうし、それが実戦に使われていないのなら、なおさら殺戮とは関係ないだろ。下世話かどうかで言えば、それはイブツを兵器として作った人間のほうだ」
しばらく何の反応も示さなかったチャムニャンだったが、やがて「そうではないのだ」と独り言のようにポツリと言った。
「なんだって?」
少しずつ天井が低くなる洞穴を、腰をほとんど折り曲げた前屈みの姿勢で進んでいたラナクは、前方を歩く濃灰色の異形が唐突に動きを止めたのに合わせ、およそ六歩ぶんの間隔を空けて足を止めた。
「なん」
「さがれッ、ラナクルッ!」
チャムニャンが叫ぶが早いか、ラナクの足元に古代文字を有する円形の陣が淡青色に発光するように浮かび上がり、そこから膨れ上がった光が彼らの姿を一瞬にして飲み込んだ。
首都エレムネスの動力供給塔ダジレオの北側に広がる、数多くの木々や草花が生い繁った自然溢るる一画がデン教の総本山となっている。敷地内には街中の直線的な建物とは
周囲の木々から鳥たちの
ラナクたちと別れた直後とその翌日、総本山への訪問をすでに二度も果たしているゾノフだったが、ラトカルトの司教デシグリが名指ししたリバテラなる僧との謁見は、いずれも当人の留守を理由に未だ叶えられずにいた。
三度目の訪問となる今回、ゾノフは二日も無為に足止めを喰らっていることだけでなく、祈りの塔の統治者であるマナクワナに、直接謁見できない回り
複数の円形を組み合わせた幾何学模様の紋が描かれた、寺院と呼ぶにはあまりにも簡素で無機質な灰色の建物の前まで来たゾノフは、付近に生えているシークリーの大木の根元で座禅を組んでいる、頬の
僧は目を開けると、眼前に立ちはだかるゾノフの顔を見上げ、「こんにちは、お客人」と挨拶を口にし、「残念ながら、リバテラはまだ戻っておりません」とふわふわした調子で連日と同じ台詞を吐いた。
「それは昨日も聞いた」
「また日を改めてお立ち寄りください」
「それも昨日聞いた」
「では、数日あいだを置いて」
「リバテラはどこだ」
「ですから」
「外出先を訊いている」
しつこく食い下がるゾノフに根負けしたのか、僧は「わかりました」と言って静かに立ち上がると、「ついてきてください」と呟くなり先に立って歩き出した。
「どこへ行く」
足を止めて振り返った僧は「少しお話ししませんか?」とゾノフを誘い、返事を待たずに正面を向くと再びゆっくりと歩きはじめた。
「待て。誰がおまえに付き合うと言った」
そう言って僧を引き止めたゾノフは、「そもそも用があるのはマナクワナだ。リバテラなどという僧にかかずらっている暇はない」と言うや「もっとも」と言葉を繋ぎ、懐から大型硬貨のような円形の金属板を取り出して「こいつがわかる奴なら誰でも構わないんだが」と右手を顔の辺りまで持ち上げてみせた。
わずかに目を細めた僧が「どちらでそれを?」と訊ねたのを、ゾノフが「質問をしているのは俺だ」と一蹴し「マナクワナに会わせろ」と迫った。
「あなたの望みはなんです? 世界の真実を暴いてまで、なにをなそうというのですか?」
「おまえには関係のないことだ」
「禁忌に触れれば世界が」
「崩壊するか? ぬかせ。本来あった世界が、とうの昔に荒廃しているのを知っていて言うか」
僧が目を
「おまえらのやり方は、もう限界を迎えている」
すると僧は「フッ」と鼻で笑い「限界ですか?」と口元を緩ませ、いかにも作り物めいた、あるいは人によっては慈悲深いとも取れるであろう
「なにがおかしい」
「周りの人々を見てご覧なさい。つらそうな顔や苦しそうな表情をしている者が一人でもいますか?」
「無数にある貧民街の連中はどうなる」
「彼ら彼女らがそういった表情をしていると?」
ゾノフが答えずにいると、僧は「どうやら誤解をされているようですね。彼ら彼女らの表情、あれは
「彼ら彼女らはすべてを受け入れているのです。つらい、苦しい、ひもじい、貧しい。そういった負の感情を超越して今あるものをすべてと考え、自分と他人を比べて悲観せず、生かされていることに感謝を捧げながら与えられたものを
「くだらん
「他の坊主にあたる」
「そのようなことをされても意味はありませんよ」
ゾノフは「試せばわかる」と言って取り合わず、歩みを止めずに遠ざかっていくその後ろ姿を眺めていた僧は、ついぞ我慢ができなくなったのか「お待ちください」と再び彼を呼び止め、どこか物悲しげな表情を浮かべながら「お見せしたいものがあります」と決意したように言った。
足を止めて振り返ったゾノフは、僧が喋り出すのを待っているかのように、フードの影となった顔を彼のほうへ向けたまま黙っている。
「他言は無用でお願いします」
そう言って先に立って歩きはじめた僧の後を、十分な距離を空けてゾノフが追う。二人の様子に注意を払っている者はいない。
曲線で構成された無機質な建物のそばをいつくか通り過ぎ、幹の太い巨木が両端に立ち並ぶ参道を抜けた
「趣味の悪い建物だ」
「こちらは本殿です」
「知ったことか。どこまで行く気だ」
「不安ですか?」
「馬鹿を言え」
本殿の脇を通って裏手の雑木林へ入ると人の姿がなくなり、先ほどまで騒がしかった鳥や虫たちも鳴りを潜め、急に辺りが水を打ったような静寂に包まれた。頭上を密に覆う木々の枝葉のせいで差し込む光も乏しい。
やがて奥の木立の
建物の前に立った僧は背後を振り返り、「どうぞ。こちらへ」と両開きの扉の片側を引き開けてゾノフに中へ入るよう促した。社は形だけでしかないようで、入ってすぐの床には地下へと続く階段が見える。
「なんだ、ここは」
「奥の院です」
「なにをする場所かと訊いている」
「ご覧になられたほうが早いでしょう」
しばしの沈黙が流れた後、ゾノフが唐突に「先に行け」と命じたのに対し、僧は「用心深い
人一人がやっと通れるほどの幅の階段を下り、続く蝋燭の明かりで照らされた暗く狭い通路を進んでいったゾノフは、金属でできた両開きの扉の前で
「おそらく、もうお察しなのでしょう」
言いながら僧は扉の片側を押し開いて、「真実の
視界を奪うほどの眩しい光が収束していき、瞼を通して明るさが弱まるのを感じたラナクは、目を開くなり周囲の景色に違和感を覚え、急いで立ち上がると反射的に身構えた。
眼前を塞いでいた壁と灰色の異形の姿は消え、低かった天井もラナクが直立できる高さとなり、狭い通路から横幅の広い部屋へと空間そのものが変じている。
壁面は煌空石の結晶のままだが、それらの各所からは淡い光が仄かに放たれているため、ぼんやりとではあるものの周囲の様子を窺い知ることができる。
「今のは一体」
「空間転移の魔法を仕掛けた陣であるな」
チャムニャンの声を聞きつけたラナクは、もう一度辺りを見回して「どこだ、チャムニャン?」と声を掛けた。刹那、「ここにおる」という声とともに、眼前に白い毛玉がふわりと舞い降りたのを目にするや否や、ラナクは咄嗟に両手で受け皿を作ると胸の辺りでそれを受け止めた。
「無事か? チャムニャン」
「無論だ。それよりもラナクルよ。これは少々
「やっぱり罠か?」
「いや、そうではない。問題はザネマなる魔導士にあるようだ。おそらく奴は」
「おーやおやおやおや? まーたまたまたまたべーつべつべつの、おー客様様かーなかなかなかなか?」
突然、チャムニャンの言葉を遮って
「おーいおいおいおい、おーまえはどーこどこどこどこを見ーて見て見て見てるんるんだ?」
声が反響しているだけでなく、声の主の独特な言い回しも相まって、相手の居場所を特定できない。
「なーんだなんだなんだなんだ、なんなんだ? もーしかしかしておーまえまえ、さーっきさっきさっきさっきさっき、
「そうだ! あんたがみんなを助けてくれたのか?」
「えっと、その、ありがとう!」
ラナクの放った感謝の言葉に声の主の反応はなく、薄暗い空間のあちこちにいくつもの
「なぁ、ザネマって魔導士はあんたか?」
「だーったらたらたらたら、なーんなんなんなんなんだ?」
「俺たち、あんたに頼みがあって来たんだ!」
「
未だ姿を捉えられずにいる相手に向かい、ラナクは「実は、知り合いの魔導士が魔法の代価のせいで苦しんでて」と簡潔に説明し、「それで、病気や怪我を治せるっていう、あんたならと思って助けを借りに来たんだ!」と言葉を変えてザネマへの依頼を繰り返した。
「おーいおいおいおい、こーりゃまたまたまた
「それは!」と大声を上げたラナクは、「それは、そんなつもりじゃなくて……」と尻窄まりに否定し、「まさか防壁とか結界とか、そういうのがあるのも知らなかったし」と語尾を濁した。
「なーるなるなるほーどほど。知ーらなかったからからから、
「ちょ、そこまで言ってないだろ!」
「おーやおやおやおや、
多くの指摘を受けたラナクは、己の言動を
「
「思った通り?」と顔を上げたラナクが、声の主を探して視線を
「そーのまんまんまんまんまの
しばらく黙していたチャムニャンが「訪客を値踏みするとは無礼な奴め」と口を開くなり、「おーやおやおやおや? おーまえまえの手ーに乗ーって乗って乗って乗ーっていーるいるいるのは、ひょーっとひょっとひょっとしてしてしてしてゴーッサマーかかかかか?」と興味深そうに訊ねる声が響いた。
「チャムニャンである」
「こーれはこれはこれは
「言ったそばからまた値踏みとは、なんと下劣な」
「いーやいやいやいやいやいやはやはやはや、やーっぱりぱりぱりぱり
ラナクは視線を右から左へゆっくりと移動させながら、「俺はラナクル。祈りの塔から来た。知らなかったとはいえ、無断で敷地に入って悪かった。それから今までの態度も……すまない」と謝り、「だから、姿を現して話だけでも聞いてくれないか?」と懇願するように言った。
「この者は筋を通しておる。礼儀知らずと
チャムニャンが口を添えると、「そーれそれそれそれそれは
その言葉を耳にしたラナクが「どこだ?」と声を上げてキョロキョロと周囲を見回し、「見えるか?」と己の手のひらに乗るチャムニャンに訊ねた。
「いや。だが、気配は感じておる」
「こーれはこれはこれはこれは
ラナクが「隠匿魔法?」と口にするや、顔の正面付近の空間がうねるように
「なッ? はぁッ⁉︎」と
「おーいおいおいおい、
「人様って人じゃないじゃないか」
「だーからからから、
「今のは別に真似したわけじゃ」
「うーるうるうるうるうるせぇ!
ザネマの姿に驚きつつも、マージュに一刻の猶予もないことを思い出して意を決したラナクは、音を立てて唾を飲み込むなり、その紫色の瞳をまっすぐ見つめ返しながら「俺の命を救ってくれた人を、あんたの魔法で助けてもらいたいんだ」と言い「頼む。力を貸してくれないか」と頭を下げた。
「なーるなるなるなるほーどほど。おーまえの
「それじゃあ俺たちと一緒にエレ」
「待ーて待て待て待て待て待ーて待てッ!
「えッ⁉︎ だって今、話はわかったって」
「わーかったっただけだけだ」
ザネマのはぐらかすような言い方に、ラナクは「そん……」と出かかった悲嘆の言葉を飲み込み、「そうだッ! さっきあんた、助けるのは当たり前だって言ってただろ? だったら」と早口で捲し立てた。
「そーんなことこと言ーっちゃちゃちゃちゃ、ちゃちゃちゃちゃ、いねぇねぇねぇねぇ! そーれそれそれそれそれが
「でも確かに言って」
「そーもそもそもそもそもだ、
眉間に皺を寄せたラナクが「なん……どういうことだよ、それ」と呟き、「墜落した奴の仲間かって訊いただろ? だから、それで、みんなを助けてくれたんじゃないのか?」と訊ねると、ザネマは「
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