第26話 ヒロインは舞台に上がった
緑色のバケモノとの鬼ごっこが続いてしばらく。息も切れて、もうこれ以上は走れないって思って……でも立ち止まるわけにはいかないから、がんばって足を動かす時間が続く。
運動音痴のわたしがこんなに長いこと動けるなんて思ってもみなかったけど、これはきっと火事場のバカ力とかそういうやつなんだろうなぁ……。
今わたしたちは、誰もいない真っ赤な街の中をあっちへこっちへ逃げている。どこに行っても緑のバケモノがいて、行こうと思ったほうに行けないことばっかりだ。だから本当に「あっちへこっちへ」で、上からわたしたちを見てたら、ものすごいジグザグに動いてたと思う。
この間、例の音や光はずっと続いていた。ひーちゃんの戦いは終わってないんだろう。
バケモノに追いかけられてる間に、いつの間にかそっちのほうに近づいてるみたいだけど大丈夫かな……。このままだと、魔法使いとバケモノの派手な戦いに巻き込まれることになると思うけど……。
なんて考えたときだった。
前のほうで例の黒い光が起きて、ほとんど同時に爆発みたいな音が何回も連続した。今までよりも大きな音だったから、思わず走りながら耳をふさいじゃったよ。
ところがそのすぐあとに、その前のほうから何かがものすごい勢いで吹き飛んできて、わたしたちのすぐ真後ろに墜落した!
「今度はなんだよ!?」
「うひゃーっ!?」
……いや、これはもう墜落っていうか着弾だよ。アスファルトが思いっきり砕けて、破片が大量に舞い上がったんだもん。
それにはびっくりしたけど、それよりもっと驚いたことがある。だって、今ここに突っ込んできたのが……。
「ひ、光さん?」
「え!? あ、ホントだひーちゃんだ!」
「トー子! 大丈夫か!?」
そう、アスファルトが吹き飛んで地面が見えてるそこに倒れていたのは、誰だろうひーちゃんだった。
なぜかケガは見当たらないけど、まさか死んじゃったんじゃ……? と思ったけど、はーちゃんの声に応じるようにしてすごい勢いで起き上がった。あの体勢から手も使わないで跳ね起きるって、体操の選手か何かみたいだ。
「なぜお主らがここにおる!?」
「お前がわかんなかったらあたしたちにわかるかよ!」
「……それもそうじゃな」
はーちゃんとのセリフに、なんだか気まずそうにほっぺをかくひーちゃん。
だけどすぐに顔を引き締めると、あの大きな黒い杖を構え直してわたしたちに背中を向けた。そう、わたしたちを追いかけてきていたバケモノに正面から向き合ったんだ。
「ショゴスどもか。なるほど……大体わかった」
「わ、わかっちゃったんだ?」
わたしの質問に答える前に、ひーちゃんが杖を横に振り払う。するとそこから、青いカッターみたいな光が飛び出してバケモノたちを真っ二つに切り飛ばしてしまった。すごい!
「おおかたわしに対する人質として、こちらに引きずり込んだんじゃろう。わしの指輪の所有者というのは、わしにとって相応の価値があると言っておるようなもんじゃからな……目星を付けるのは今のあれには難しくなかろうて」
杖を肩に乗せて、ひーちゃんが言う。そして、はあ、とわりと深めのため息をついた。
「そうじゃろう?」
だけど彼女はすぐにキッと目を鋭くすると、わたしたちの後ろを睨みつけた。
何かと思ってわたしたちもそっちに顔を向けるけど……。
「何こいつ!?」
「うげっ、きっしょ!?」
「い、今までで一番気持ち悪いわ……!」
そこにいたのは、なんていうか、もう全然うまく言葉にできなき得体の知れない何かだった。
ぱっと見は、細長いサボテンみたいな感じの胴体? が最初に目に入ったんだけど。でも正確には細長いわけじゃなくって、真ん中の部分だけが太い。タルみたいな感じ、って言えばいいのかな。
色は緑じゃなくって、薄暗い。黒いじゃなくって、暗い。何言ってるかわたしもよくわかんないけど、そんな感じなんだもん。
上のほうには頭? みたいな感じでヒトデっぽいのがくっついてる。
かといってヒトデってわけでもない。だってそれぞれの尖ったところからは、うねうねした細長いものが出てるし、さらにその先には目みたいなのがあるし。
胴体からもうねうねしたものが伸びてて、えーっと、これも五本あるぞ。胴体の下からも同じくうねうねが伸びてて、これも五本。さらには翼みたいなのも生えてる。こっちも五本だ。
おまけにその足? っぽい場所のうねうねの周りには、キツネみたいな尻尾が九本揺れている。
なんか最後の尻尾だけ、なんか妙に普通っていうか……。いやなんか半透明だし、オーラみたいなのが出てるし、ぜんっぜん普通じゃないんだけど、他のパーツと比べるとわりと地球的っていうか。顔だの胴体だのうねうねだのは、どこからどう見ても地球の生き物には見えないんだけど。
とにかくあの緑色のバケモノと同じ……ううん、それ以上に、見てるだけでここから逃げたくなる不気味な気配がそいつにはあった。
「テケリ・リ! リ! テケリ・リリリ!」
おまけにそいつは、笛のような音を上げた。
……これ、もしかして鳴き声? 緑色のバケモノと音質は違うけど、発音はそっくりだ。見た目だけじゃなくて鳴き声まで気色悪いとか……。
でもひーちゃんは慣れてるのか、いつもの調子で鼻で笑った。
「ハッ、うまくやったつもりじゃろうが、詰めが甘いな。確かにここまでみなを誘導してきたことは誉めてやろう。じゃが……」
言いながら、彼女はぶんと杖を振る。すると彼女の足元に大きな魔法陣が現れた。
それはわたしたちがぽかんと見ている間にもぐんぐん大きくなって、遂には周りの建物すら呑み込んでしまった。
緑色のバケモノたちは、魔法陣の広がりに押し出される形であっという間に遠くへ行ってしまう。うねうねのバケモノも同じくだ。
「あの程度のショゴスどもで、わしをはめられると思うなよ」
「テケリ・リ! テケリ・リ!」
さらに言ったひーちゃんに、うねうねのバケモノが鳴き声を上げる。なんだか笑ってるようにも感じたけど……。
と思った瞬間、化け物がたくさんあるうねうねから一斉に黒い弾丸みたいなものをぶっ放してきた。
うわやば、と思ったけどどうにかできるはずもなく……だけど、黒い弾丸みたいなものは一発もここまで届かなかった。魔法陣の範囲に入った瞬間、ぶしゅう、って火が消えるときみたいな音と一緒に消えちゃったのだ。
逆にひーちゃんが発射した青い弾丸は、邪魔されることなくバケモノを攻撃する。バケモノも見た目よりもだいぶ機敏に動いて、ほとんど回避してたけど。
ただ、うねうねのバケモノはひーちゃんが出した魔法陣の中に入ってこれないのか、近づいてくる気配はない。
「テケリ・リ! リ!」
「……!」
でも相手も負けてないみたいで、今度は足元からビームみたいなものを発射してきた。
それはひーちゃんには向かわないで、地面に突き刺さる。ビームっぽい何かはそのまま地面のアスファルトを文字通り消しながら、わたしたちへじわじわと近づいてくる。壊れたり削れたりするわけでもないのに、ビームが当たったところが消滅するんだからものすごく怖い光景だった。
ひーちゃんが出した魔法陣もこれには対抗できないのか、まるで消しゴムで消されるみたいに魔法陣が一直線に消えていく。このままじゃこっちに攻撃が届いちゃう!
「ちっ」
対するひーちゃんは魔法陣が消え始めたのを見ると、すぐに動いた。小さく舌打ちをすると、一回のジャンプでわたしたちのすぐそばまで移動して、わたしたちを抱き抱える。
「おわっ!?」
「うひゃー!?」
「ちょ、ちょっとー!?」
気づいたときにはもう、わたしたちはひーちゃんに抱えられたまま空に舞い上がっていた。一気にビルの屋上まで連れてこられたところで、下ろされたけど。
と同時に、ひーちゃんがもう一度杖を振る。彼女の目の前に大きな魔法陣が現れて……そのすぐあと、そこにあのビームが突き刺さった。
ビームはやっぱり魔法陣を消し始めるけど、魔法陣を越えて飛んでくることはないみたい。そのスキに、ひーちゃんはまたさらに別の魔法陣を足元に展開する。
「一旦引くぞ!」
そしてわたしたちは返事する暇もなく、次の瞬間まったく違うところに移動していた。
「こ、ここは……」
「柊神社の奥境内じゃ。時期的に弱くなっておるが、妖怪の力を抑える力場がある。ないよりはマシじゃ」
ひーちゃんの言う通り、そこは神社の中だった。大きいのから小さいのまで、色んな古い建物が並んでる。それをたくさんの木が取り囲んでいた。初詣のときはここまで入れなかったけど、遠くから見た覚えがあるぞ。
まあ、そんなスピリチュアルな場所も今はどれもこれも真っ赤で、雰囲気も何もあったものじゃないけど。
「光さん! あれって……」
「古のもの。遥か昔、地球にやってきた惑星外の生命体じゃ。会話は通じん。いや会話はできるが、考え方がそもそも人間とは異なるゆえ分かり合えん、が正しいか」
「つ、強いのか?」
「あれ一体ならそうでもないんじゃがな……ここに封印されていた九尾の狐の力を取り込んでおるゆえ、やることなすこと桁違いになっておる」
「九尾の狐!? それって、あっちこっちに伝説のある大妖怪じゃ……」
「左様。戦国時代の初め頃、わしの先祖がそのうちの一体を倒し邪悪な力をここに封印したんじゃが……」
わたしたちの質問に次々答えながらも、ひーちゃんは何やら杖を振ったり、指で印を組んだり、空中に文字を書いたりして、魔法を使っているみたいだ。
何をしてるのかはわからないけど、少なくとも足元にどんどん魔法陣が……さっき見たのとは全然文字の密度が違う、一般人が見ても複雑だなってわかる魔法陣が広がってる。
「……今日、封印の期限に達して解放された。やつはそれを取り込んだんじゃよ。それを狙って、ここ半年ほど潜んでいたのじゃ。いくつも呼び寄せた怪異を隠れ蓑にしてな」
「ど、どうすんだよ? そんなのに勝てるのか?」
「勝つさ。そのためにわしはこの街に来たのじゃから」
にやっとひーちゃんが笑った。ああ、いつもの彼女だ。こうやって笑った彼女は、絶対にやってくれるんだ。この半年でそれはよくわかってる。
同じことをはーちゃんとふーちゃんも思ったんだろう。今までとは違って、ちょっとだけ表情が柔らかい。それはきっとわたしもだ。
だけど後ろのほうから「テケリ・リ!」って音が聞こえて、すぐに顔が強張った。恐る恐る振り返れば、そこにはあのうねうねのバケモノが、緑色のバケモノを従えて近づいてくるところだった。
「……ち、もう来おったか。先に対策を用意して正解じゃな」
わたしたちをかばうように、ひーちゃんが前に出る。出ながら、彼女は空いた左手の指をパチンと鳴らした。
するとわたしたちが身に着けていた青い指輪に、これまた青い光がどこからともなくふわっと宿って、そして消える。
「指輪を強化した。周辺に敷いた守りの陣も自信作じゃ。……連中がいかにおぞましくとも、ここを離れるでないぞ? どうかわしを信じてくれ、お主らに手出しは絶対にさせぬゆえ」
そして、顔だけを半分こちらに向けて……どことなく、お願いするような……頼み込むような、すがるような。そんな声で言ってきた。
だからわたしたちは……誰からともなくうんって頷いて、言うんだ。
「わかった……がんばってね、ひーちゃん応援してる!」
「負けんなよ。もし負けたらぶん殴ってやるからな」
「私たちのことは気にしないで。全力で行きなさいよね」
「おう。任せておけ」
すると彼女は、それまでとは正反対に、あのにやりとした勝気な笑みを浮かべると、ぐっと前を向いてバケモノに立ちはだかる。
「テケリ・リ! リ!」
バケモノは相変わらず、バカにするように鳴いているみたいだった。何を言ってるのかさっぱりわからないから、正しいかどうかはわかんないけど、ともかくそんな気がする。
だけどひーちゃんも、相変わらずだ。どうも相手の言うことがわかるらしい彼女は、鼻で笑って……そして、手にしていた杖を高く高く、空に向けて掲げた。
「今をおいてこうすべきときは他にあるまい――天地があわいに咲き誇れ!」
どことなく楽しそうな口ぶりだった。
だけど彼女がそう言った瞬間。杖の先にある、浮かんでいる青い宝石がまばゆい光を放って彼女の手を離れた。
もちろんそれは青い光で、だけどその光は周りを照らすと同時に杖自体を、さらにはひーちゃんの小さな身体を包み込んでいく。
光はそのままひーちゃんのリボンすら包み込んで、弾け飛ぶ。瞬間、彼女のポニーテールがほどけてきれいな黒い髪が一気にふわっと広がった。
そうして彼女の身体は光に包まれたまま空中にとどまって、緩やかに回転し始める。それはまるで、周りに見せつけているみたいで……。
だから、え、って思った。
まさか、とも思った。
だってその光、そういう感じの演出、わたし見たことある! 具体的にはそう、日曜日の朝に!
「……おい。おい、あいつまさか」
「これ、もしかしてそういう……」
はーちゃんとふーちゃんも同じことを思ったんだろう。そりゃ、わたしと一緒に遊んでるとこういうの見る機会も増えるし、当たり前だよね。
だけど二人は、わたしと違ってどことなく呆れたような、そんな感じも混じってる。わたしなんか、今絶対期待全開って顔してる自信しかないのに!
「
ひーちゃんの声が響く。同時に、彼女の身体を包んでいた青い光が順番に弾けていく。
弾けたところはその瞬間、元々とは全然違う衣装に変わっていて。それが彼女の身体で一つずつ続くんだ。
まずは右手。注目しろって言うみたいに横へ伸ばした手がひらりと回ると、手首で光が弾けて、フリルのついたかわいいシュシュが現れる。同じように、今度は左手も。
次に光が弾けたのは胸元。一度くるりと身体が一回転したあと、青がベースのかわいらしい服に変わった。スカートがそれに続く。フリルがたくさんついたそれは、一度ふわりと大きく膨らんでひーちゃんになじんだ。
今度は空中で、ひーちゃんが小さく跳びはねる。やっぱり空中に着地した瞬間、いつも彼女がはいていたはずの靴は光とともにストラップシューズになって。
おまけに弾けた光が粉みたいに散りながら、くるくると彼女の両脚の周りを駆け上がれば、純白のオーバーニーソックスが現れていく。もちろん、絶対領域はバッチリ確保だ!
さらに、今までの変化で周りに飛び散っていた青い光が集まって、ひーちゃんの頭上に移動する。同時に何もないのに髪がひとりでにまとまって、ポニーテールの形になって……そこをまとめた光は、やっぱり弾けてリボンになった。いつものリボンよりも大きくて、ふんわりしていて、とっても見栄えがいい。
その光は胸元にも飛んでいた。頭のリボンが出来上がった直後にこっちのも弾けて、やっぱりふんわりした大きなリボンになってひーちゃんの胸元を飾りつける。
最後に、ずっと青い光に包まれたままだった杖も変わり始めた。先のほう、あの浮いた青い宝石を囲むみたいに三日月っぽく曲がっている部分から光が伸びる。
それが弾けたあとに現れたのは、小さな花がいくつも連なった飾り。ぱっと見は、神主さんとかが持ってる棒についた白い紙の束みたいだけど……よく見ると薄い青色をしていて。ひーちゃんの名前にある、藤の花みたいだった。
さらに、そのすぐ近くにあった青い宝石からも光が弾ける。最後まで残ってた光が消えたところにあったのは、青い宝石じゃなくて……地球だった。そう、宇宙の中に浮かんでる地球、そのもの。少なくともわたしには、そんな風に見えた。
そうして黒い杖が、ひーちゃんの目の前にすうっと降りてくる。彼女は一瞬だけ間を取って、杖を勢いよく手でつかんだ。そのままチアバトンのように周りで数回振り回すと、
「――天使が愛でる青き藤! ピュエラマギカ・ブルーアース、ここに見参!」
最後にびしっと構えて、大きな声で宣言したのだ……!
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