同級生と思わぬ再会を果たしていたらしい
「あの、お姉さんの名前を教えてください!」
なぜか僕と違い、液体窒素さんは小学生からキラキラとした瞳を向けられていた。本当に何故だろう。
「あ、ちなみに僕の名前は」「あなたには聴いてないです」
ピシャリと言葉を遮られる。僕はただ自己紹介して少しでも距離を縮めようとしただけだというのに、この対応の差はなんなのだろうか。液体窒素さんが落ち込む僕の顔を見て、「ふっ」と鼻で笑った。
「星野澪だよ。君は?」
彼女はしゃがみこんで、僕を嘲笑したのと同じ顔から作られる表情とはとても思えない笑顔で小学生に聞き返した。……この対応の違いもなんなのだろうか。どうやらここに僕の味方はいないようだった。
まるで彼女たちの周囲には2人だけの朗らかな世界が展開されているようで、僕はとてつもない疎外感を味わうこととなった。路上の石にでもなった気分だ。
せいぜい彼女たちの世界を壊さないように隅っこでじっと気配を殺していよう。僕は石ころらしくそう決意した。
「私は橘恵美って言います! 大地のめぐみの恵に美しいと書いて恵美です!」
「今、なんて言った!?」
はずだったのだが、早くも決意が折れた。僕は思わず大声をあげ、速攻で彼女たちの世界に横槍を入れてしまったのだ。だって仕方がないだろう。何せ、耳に飛び込んで来た小学生の名前は、僕の未来の同級生と同姓同名だったんだから。
待て。マジか。
たしかに僕と同級生ということは、8年前は小学2年生。計算的には目の前の小学生が橘恵美という可能性は十分にある。むしろ同姓同名とか可能性がありまくる。
「急に何。この子、びっくりしちゃってるんだけど」
疑惑の小学生は眉をつり上げた液体窒素さんの後ろから、顔だけチラリとはみ出させてこちらを睨んでいた。
「いや、名前をね、ちゃんと聴けなかったなと思って。もう一度言って欲しいなー。ほら、うまい棒あげるから」
小学生は俊敏な動きで前に出てきて、僕が手からぷらんと垂れ下げたうまい棒を奪うと、また液体窒素さんの後ろに隠れた。
「あなたには言ってないから聞いてなくても良いです。私は給食の残りを、そしてあなたは水やりを。ビジネスライクで行きましょう。あと、お菓子で人を釣ろうとするのは人として最低な行為です。だから最低な行為をした罰としてうまい棒は貰っときます」
うまい棒は貰うのか。やっぱりまだ小学生ということもあって、お菓子は欲しかったらしい。
「あの、変な人から庇ってくれようとしてありがとうございます! その、私そろそろ帰らないといけなくて。……またこの公園に遊びにきてもいいですか?」
自覚があるから反論できないけどさぁ。本人の前で変な人とか言うのは勘弁して欲しい。いや本当に否定は出来ないんだけどさ。彼女達は再び2人だけの世界を作り出して、僕をはじき出した。
「え、う、うん。いいよ。私、あそこのアパートに住んでるから。いつでもおいで」
小学生の純粋無垢な笑顔は性格の悪い液体窒素さんには少し眩しすぎたのか、少しひるみながら、彼女はそう答えた。
「はい! ではさようなら!」
「うん。さようなら」
小学生はにこやかに液体窒素さんへと挨拶をした。公園を去ろうと僕たちに背を向けたが、少し静止した後、くるりと振り返る。
「……あなたにも一応、さようなら!」
「あ、さようならー」
てっきりガン無視されると思っていたので、不本意そうであれど、声をかけられたのは正直意外だった。
液体窒素さんは彼女が見えなくなってからもしばらく頰を緩めて、胸の前で手を振り続けていた。
「にやけた顔をしやがって。ロリコンか? この液体窒素さんめ」
「……にやけてないから。あとなにその呼び方」
僕が話しかけると、彼女はすぐにしかめっ面に戻った。というか、つい口が滑って彼女のことを液体窒素と心の中で呼んでいることがバレてしまった。
流石に「液体窒素みたいに態度が冷たいから」なんて正直に言えば流石にキレられそうだ。むしろ常時話しかけるたびにキレ気味の反応をされるのだからそんなことを言えばキレるに決まってる。だって金髪なんだぜ?
「その割には、にやけた顔って言われてから、猿の尻みたいに耳が赤くなったわけだけども」
ひとまず僕は彼女の真っ赤に染まった耳を指摘する事で、さっきの発言をうやむやにすることにした。攻撃は最大の防御だ。
「寒いからでしょ。あと例えがキモい」
そう悪態をつきながら、彼女は耳を手で覆って隠してしまった。僕は見えなくなった耳の代わりに赤く染まっていく頰を無言でじーっと見つめた。
「……んん。あんた、変質者みたいな行為もほどほどにしなよ。ベランダから、いつでも監視できるから。いざとなったら通報するから」
彼女はわざとらしい咳払いと共に、これまたわざとらしく話題を変えた。これでもう液体窒素呼びについては言及されることはないだろう。うん、それは良いのだ。……しかし変わった後の話題がよろしくない。
「いや、あの……通報だけは勘弁してください。うまい棒あげるんで」
まぁ、僕は土下座した。本当に通報だけは色々と詰むんで勘弁してください。本当に、僕はこの時間軸でどんな扱いになるんだろうか。
「要らないから。」
安っちい賄賂は無慈悲に却下された。
「……まぁ、しないであげるよ。あの子に水やりを頼まれてるみたいだし」
「ありがとうございやす!」
少しばかりの沈黙の後、盛大なため息と共に、僕に無罪放免の判決が言い渡された。いや、処分的にはベランダからの要監視なのか?
「……まぁ学校に行きたくない気持ちも、帰りたくない気持ちも分からなくはないし」
彼女は独り言のようにボソッと呟いた。いや、実際独り言だったのかもしれない。
悪態ばかりの彼女から溢れた弱音が意外で、僕は思わず顔を上げて彼女を見た。表情を確認する前に、彼女はくるりと僕に背を向ける。けれど僕にはその背中がどこか寂しげに見えて、何故だか僕は少し心がざわついた。
夜、毎度のごとく寒さに震えていると、なぜかまた液体窒素さんがやってきた。その手には実にもふもふとした毛布が抱えられている。
「これ、使えば」
「……また僕を騙そうとしているんじゃないだろうな」
僕は彼女に10円くれるくれる詐欺でパシられた件を未だに忘れてはいない。
「別に要らないんならそのまま帰るから」「貰わないとは言ってないですありがとう頂戴致します」
アパートに引き返そうとした彼女を僕は慌てて引き止めた。
「最初からそう言いなよ」
面倒くさそうに溜息をつく彼女から、僕は恐る恐る毛布を受け取った。
ゴキブリとか刃物とか仕込まれてないかなと毛布を広げて満遍なく調べるが、なんの変哲もなさそうだ。
単純な善意ということだろうか。彼女から受けた毒舌や仕打ちを考えると違和感しかなかった。デレか? ついにデレたか?
「えっと、ありがとう?」
一応混乱しつつもお礼をする。
「……私も死体の第一発見者になるのは嫌だし。あの子が水やりに来た時にあんたの死体見つけるのもかわいそうだし。ただ、それだけ。じゃあ」
彼女はそっぽを向いて、僕のお礼に言い訳でもするようにそんな事を言うや否や、早足で去っていった。
……夕方の弱音とも取れる独り言といい、今回の施しといい、やはりこれはデレたと考えていいのだろうか。よく分からなかったが、今夜はいつもより良く眠れそうだ。
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