3-3節
「手伝った方がよかったかな?」と、ビルの前まで来て湊は言った。
「ほっとけよ。見張りがいなくてせいせいするぜ」十吾は軽くなったと言わんばかりに肩を回す。「あー楽ちんだぜ」
「ぼくも、放っておけばいいと思う。男子に言われたって受け入れるわけないよ」
半ば投げやりに吉男が言う。吉男は今それどころではなかった。次に野呂兄弟が襲いかかってきた際の身の振り方がさっぱり思いつかない。どうやって身を守る? どうやって逃げる? そんなことばかり浮かんで、具体的な考えは何も出てこない。ゆかりの男子に対する厳しさなら多少は知るところなので、少しためらいながら湊も納得する。
「確かにそうだ。親切の押し売りも良くないものな」
ただ一つ気がかりがあった。今までエレベーターに乗った時は四人揃っていたが今日は違う。果たしてムトの住処まで行けるのか、と湊は思った。というのも、初日に辿り着いた時は数十回もの試行回数の上だったが、二日目以降は三回前後で安定はしているものの回数自体はまちまちなので、何か条件があるのかもしれないと考えたのだ。その条件に人数、もしくは総重量などが含まれていた場合、どうあっても行けないことになる。
そう思いながらエレベーターに乗り込み、不安になりはじめた五回目になって、ムトの住処へ着いた。いまいち規則がつかめない。まず、ムトを見つけた。
「こんにちは」
ムトがいつも通り眠そうな眼をしながら挨拶し、湊たちもそれぞれ返す。ムトの一族には挨拶という習慣が無いらしく、人間のその習わしを知った時からやってみたかったのだそうだ。今でも毎日やっている。
ゆかりが遅れると告げてから、湊が訊ねた。
「早速なんだけど、この部屋に着くまでのエレベーターの上下回数が日によって違うのはなぜだい?」
「人に見つかりにくくする為の、住処の仕掛けの一つだ。早く言えば、私の存在をどれだけ認識出来ているかで、回数が変動する」
「どういうことだい?」
「例えば君達が初めて来た日は、相当数を繰り返しただろう。それは私の存在を半信半疑、むしろほとんどない可能性に賭けるような状態だったからだ。ところが今は私がここにいることが分かっているので、ずっと少ない回数で来られる。もっと言えば、居るかもしれないという考えすら持たない人間がここに辿り着くことは絶対に無い」
「ははあ、よくできてるなあ」
感心しつつも、やはりムトは静かな生活を望んでいるらしいことを湊は再確認した。
「でもよ、あのエレベーターいつもあそこにあるけどよ、一階のやつがエレベーターよんだら下からエレベーター来るんだから、下があるのわかっちまうんじゃねえの?」
十吾が後ろを指差した。「だったらムトのことしってるとか関係ないよな」
「あ、それ面白そうだね」その発想はなかったとばかり、湊が身を乗り出す。「ちょうど上条さんが遅れて来るわけだし、二手に分かれて実験してみないかい?」
「いいぜ。でもおれが上に行くのはかんべんな。あいつとふたりっきりなんてぞっとする」
寒がる素振りをしながら、十吾は階上に行くことを拒否した。
「ぼくもやだな。あの人苦手だもの」
いつもならもう少し遠慮がちに言うところを、吉男は臆面もなく投げやりに言った。だが湊は、吉男が前にゆかりを怖がっていたことを思い出し、さして気には留めなかった。
「わかったよ。じゃあ僕が上に行ったら、吉男くんたちはエレベーターを呼んでみてほしい。まずその時にどうなるかを見てから、一階でエレベーターを呼んでみるよ。というわけでこれを渡しておくね」
そう言って湊はリュックからトランシーバーを出し、片方を十吾に渡した。「ここを押せば話せるから」
子供用の玩具であり、通話状態は良好とはいえないが、連絡を取り合うだけなら充分な代物だった。「とりあえず上条さんと合流したら知らせるね」
「おう。わかったぜ」
十吾と吉男に見送られ、湊はエレベーターに乗り込んだ。結果について知っているであろうムトは口出しをせず、成り行きを見守っていた。口頭で結論のみを教えるのではなく、きちんと実体験させるあたり三人の気持ちを汲んでおり、こちらがムトの気持ちを考えはじめたように、ムトもまた皆への理解をはじめていた。
一階に着き、前の道を覗くと、ちょうどゆかりが来るところだった。己の体たらくにやきもきしながらビルへ向かっていたゆかりは、件の湊が一人で立っていることにうろたえた。まさかあたしを待ってくれていた? などと考えてしまった自分を直ちに律し、半ば強制的に締め出した。
「上条さん。来たんだね」
こういう時に名前を言うのはやめてほしい。卑怯だ。と、理屈に合わないことをゆかりは思った。
「ちょうどよかった。今から実験をするんだ」
内容を聞かされ、ゆかりはがっかりしてしまった。実験のためか。そうか。だが、すぐさまその方が好都合であることを内心で主張し、そろそろだというエレベーターを注視した。
「十吾くん、聞こえるかい」
ざあざあと雑音混じりの声が返ってくる。
「あー、あー、こちら十吾隊員。ボタン押してもいいか」
くだらない。何になりきってるつもりかしら。心の中で強めに悪態をつくゆかり。
「うん。いいよ」
ところが湊が言うと、エレベーターは上へ行ってしまった。
「あれ、おかしいな。まさか上の階に人がいて、先に呼んだのかな? 十吾くん、そっちはどうなってる?」
「あー、あー、エレベーターこちらにとうちゃく。どうかしたのかよ」
「おや?」
エレベーターは上へ向かったはずだが、地下にいるはずの十吾はエレベーターが降りてきたという。動きが食い違っているのはあきらかだ。
ちょっと思案してから、湊は言った。「二人とも。今度は僕が一階で呼ぶから、エレベーターがどうなるか見ててくれないかい」
十吾の了解を聞いて、湊が呼び出しボタンを押した矢先、飛び上がるような声が黒い端末の奥から聞こえた。「わわあっ」
吉男の声だった。上からきたエレベーターを見ながら、すかさず湊がたずねる。「どうかしたのかい」
「あの、その」驚きの余りかすぐに言葉が出てこないようだった。「エレベーターが」
要領を得ないので直接聞いた方が良さそうだと判断し、いつもの手順で住処に戻ると吉男に告げ、湊はゆかりに向き直った。「じゃあ行こうか」
なんだか勝手だと思い、ゆかりは腹が立った。妙なことが起こっていて気になるのはわかるのだが、それにしたって一人で進めすぎているのではないだろうか。もう少しこちらに意見を求めては。そう感じながらも、いざ狭い箱内で二人きりになるとえもいわれぬ居心地の悪さがあり、文句を言ったとしても、事態が好転するようには思えなかったのでやめた。頭はそれなりに冷静なのに、どうにも胸がむかむかした。
住処に着いて顔を合わせてから吉男が続きを言った。
「き、消えたんだ」
「ほんとだぜ。いきなりなくなっちまった」十吾も横で身振りをまじえて大きく感嘆した。「たまげた」
二人の話では、突然エレベーターが消失し、がらんどうになったという。信じがたくも、湊はムトの言葉を思い出した。ムトは、仕掛けの一つと言ったのだ。これもまた先ほどの回数変動のような、住処の秘匿性を守るための措置なのだろう。いや、もはや装置と言った方が近いかもしれない。
湊が後ろで難しい顔をしているゆかりに回数の件を教えると、ゆかりはさらに険しい面持ちになった。そういう配慮はできるのに。なんでこう、もっと。ああ、もう。
しかし湊はゆかりの表情が、話の非現実性に向けられたものだと解釈した。まあ無理もないな、とも思った。自身はどうしても見たくなり、吉男にお願いした。
「僕もぜひ消えるところを見てみたいんだけど、上へ行って同じふうにエレベーターを呼んでみてもらえないかな」
遅ればせながらやってきた、いかんともし難い胸の高鳴りを抱えていた吉男は、元気よく引き受けた。
「いいよ。任せてよ」
一人エレベーターに駆け込み、上へ向かいながら、先の喜ばしい驚きをまだ噛み締めていた。現在の苦悩とは無関係の、どうしようもない心からの楽しさを感じていた。そして、ムトを世間に公表するなどという事は売りものにしている事と同じだと自覚し、利己を恥じた。また、もっとここに居たいと思った。
野呂兄弟のことは解決せず、相変わらず、どうすればという言葉だけが堂々巡りに不安を掻き立てていたが、以前より絶望感は和らいでいた。
吉男と同じく、湊もエレベーター消失を目撃し、その不思議なうれしさに魅せられた。仕組みを訊ねると、ムトは「そういうふうに出来ている」とだけ言った。原理や理屈などは通じず、やはりそういうものであるとしか言えないのだろう。だとしたら、先入観にとらわれず、目の前の事象のみを見つめていく方が良いのかもしれないと湊は思った。実際に起こってしまえばそれが現実なのだ。
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