記憶の旅
3-1節
「焦土の中を歩いていた。進むごとに足元から灰が舞い散り、降りつのる灰と混ざり合う。周囲の熱気は重く、ざらざらとしている。苦々しく焦げくさい匂いがしていて、
ムトの話を聞きながら、湊たちはかつてムトが歩んだ道のりを体験している。これまでにどのような星を巡ってきたのかという話題になり、並んで座る四人へムトの手が伸びてきたのだった。ムトの解説は難しい言葉が多く、特に吉男や十吾には難易度が合っていなかったが、実際にムトが見た視点をそのまま体感しているので、言葉がなくとも充分伝わる。息を呑む光景の連続であり、およそ人間がまともに立ち入ることなどできない環境だった。
その臨場感、緊張感たるや、凄まじいの一言では片付けられない。視覚だけではなく、ムトが聞いた音や感じた匂いまで追体験しているのだ。ムトの話が聞こえる程度に音量は抑えられているし、香気も微かなものだが、やはり迫力がまったく違っていた。以前、都会の空に居た時はほとんど視覚のみだったので、おそらくはムトが調節しているに違いなかった。
ムトは大抵の環境下で生きられる。どんな気候や悪天候でも生命活動に影響はない。寒暖や大気の差を感じる器官は備わっているが、それだけだ。身体が傷ついても、たちまち元の姿へ再生できる。それゆえに、どんな場所であろうと物怖じせずに進むことができるが、人間である湊たちにはとても刺激が強かった。そこらじゅうからマグマが噴出するような道を歩いたことなどあるはずもなし、胸の鼓動は早まるばかりだ。
しかし、不思議とさほど怖くはなかった。ムトが余りにも平気に進むものだから、錯覚しているのかもしれない。前回、早々に中断した吉男も、噴火のたびに身をびくつかせたりはするものの止めないところから、なんとか耐えられるつくりになっているのだろう。そんなことを考えながら、湊は話の続きに集中する。
「歩き続け、次第に噴煙の量が減ってくると、荒涼とした山肌に、凝固する溶岩柱の連なりが見えた。見渡せる範囲全てに多少の間隔を置きながら居並ぶその様は剣山のようでもあり、墓標のようでもある。壮観だがどこか物悲しい。遠くで
私はとうとう山頂に辿り着いた。星そのものとも言えるこの山の頂に立つまでの道程は、険しく長大だった。ここまでに生物は何もいない。石と土と炎だけだ。しかし私は山頂にて、まるで誂えたようにある、洞穴の入口を発見した。固まった火柱が根元から瓦解した跡かとも思ったが、伸ばした手を入れてみると、ずいぶん奥まで空間があるようだった。
そのままでは胴体が詰まりそうだったので、全体を細長く成形した私は、上向きに小さく歪な口を開けている穴へ、その身を進入させた。
長い長い落下が始まった。一片の光も届かない暗黒の穴の中を、生温い風を切りながらひたすら下る。落下の速度に形態変化が間に合わず、歪んだ壁に身を擦りながら、私は落ちていった。だがそれらは前半のみで、いつしか空気が冷たくなり、左右に広がりが生まれるようになっていった。登った分よりも下っているのでは、と感覚を確かめていると、突然、きらと輝くものがあった。光だ、と思った瞬間、私は水に沈んでいた。
激しく泡をまとわりつかせながらの沈下。ひどく冷たい水の中は底知れぬ深さがあるようだった。身を反転させ、微かに白む水面へ向かう。
顔を出すと、光の正体が一帯に広がっていた。悠久の時を経て生まれたであろうその美麗な水晶群は、窪みのような空間を埋め尽くしていた。それら一つ一つが放つ微光が水面に反射し、一帯を神秘に映し出している。
近くに陸地を認めた私は、そこへ上がって辺りを見回した。壁面から尖塔状に突き出しながら、鈍く輝くそれら一つずつの光はとても弱いものだ。だが幾万に重なることで、日の下にも匹敵する輝きを生む。もっとも太陽の眩しく暖かな光とは異なり、
ムトの話が終わっても、湊たちはいつまでも不思議な感覚にとらわれた。夢の中を覚醒状態で体験するような、はっきりとした幻は矛盾しているようで、しかし共存していた。洞穴の景色が消え、部屋のみの視界になっても浮き足立ち、皆が思い出したように呼吸をするのだった。見ているだけだったとはいえ、思いがけず消耗し、吉男などはその場にへたり込んだ。互いの様子を見る余裕もなかったが、大まかな気持ちは共有していた。
もっと見たい。
ゆかりでさえ、好奇心が沸き立っていた。だが、十吾がせがむと、それまで全員を見ていたムトは俯いた。
「いや……思っていたより負担が大きいようだったので、また今度にしよう。無理はしない方がいい」
初めてムトに断られ、はっとした。他人に指摘されると、余計に疲れを実感する。心配させてしまったようだ。しゅんとしながらも、ムトの気遣いを無駄にしないようにと先んじて湊が了解すると、ゆかりも吉男も同意した。我が身の興味を恥じながら、本来の職務に戻ったゆかりは、未だに文句を垂れる十吾を半ば強引に引き上げさせた。ちょうど、帰る時間になっていた。
帰路、その日のムトとの出来事を話すのが、いつの間にか通例になっていた。ましてや今日はとても消化しきれないほどの気持ちを抱えていたため、吐き出さずにはいられない。皆が別れる十字路の真ん中で談話がはじまった。
「すごかったね。なんというか、とにかくすごかった」
湊が感覚的に語るのは珍しいが、他の三人も同様であり、ムトの記憶に圧倒されていた。
「煤けた手の質感とか、噴火の勢いとかすごく鮮明で……ムトはあんなところを旅してきたんだね」
「考えられないよね。溶岩なんてじごくみたいな色してたもの」怖々としながら吉男が言う。「でも、水晶はきれいだったよね」
「そうね。あれは本当に美しかった」瞳の奥に水晶光を宿しながらゆかりが応える。「幻想的で」
「んなことよりよ、あの穴に落ちるのおもしろかったよな」ゆかりの話が終わりきらないうちに十吾が割り込む。「スリル満点だったぜ」
話を遮られたことに抗議しようとしたが、さっきは好奇心が膨らみすぎたせいでムトの気を煩わせてしまったのだと思い直し、自身への反省も込めてゆかりは嘆きの眼差しを送るに止めた。だが、危険性については言い含める必要があると思った。ところが機会を窺っていると、思いがけず湊が言った。
「でもあれは、ムトだから平気だったんだよ。とても人間が行けるような場所じゃないからね。同じふうに考えちゃいけないと思う」
確か以前にも絶妙なタイミングで湊が代弁してくれたことがあった。単なる偶然なのに、なぜ嬉しいのかゆかりはわからなかった。ただそれと相反する気持ちもまたあるのだ。
「ぼくはずっとびくびくしちゃったよ」情けない声で吉男が言った。「噴火のたびに、どれだけこわかったか」
「そりゃおめえがびびりなだけだぜ。どっかんどっかんして楽しかったじゃん」
「見てるだけだからよ。実際にあんな火山地帯を歩けば、あなただって怖いに違いないわ」
気を取り直し、緊張感を与えた声でゆかりが叱る。
「少しは危ないって感じなきゃだめよ。大体、その見てるだけでもあたしたち随分疲れてるんだから」
ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向く十吾。だが、体力自慢の十吾も疲労を覚えていた。あの映像を見終わってから、身体が少し重い。皆にどっと疲れが出ていた。いかに見ているだけだったとはいえ、その迫力たるや現実と見紛うほどであり、日常から瞬時に切り替えられるほどの耐性などあるはずもない。印象に残る場面はそれぞれ違えど、間違いなく心に残る体験であり、刺激的と言えば楽しげだが、行き過ぎると毒になる。あらためてムトの判断は賢明だと、ようやく冷静になって湊は思った。そして、前々から危惧していたことを口にした。
「ねえ、みんなはムトのことを人に話してないよね?」
湊の問いかけに三人が頷く。
「僕も言ってない。これから先も誰にも言わない方がいいと思うんだ」
その言葉で、吉男の頭は空白になった。なぜ。どうして。だって。そんなことしたら。ぼくは。
「ムトの映像を見ている間、ずっと思っていたんだ。あんなに大変な道のりを行ってまで何をするのかって。ムトにとっては苦ではないのかもしれないけれど、でも僕たちにとっては違うよね。人間が生きていける環境じゃないし、きっと何年も、何十年も登り続けたんだ。僕らにとってはやっぱり『そうまでして』って言えることだと思う。それほど、瞑想は大事なことなんだよ。前に都会の映像も見たよね。でもムトは今この町にいる。これは想像だけど、都会は騒がしすぎて、だから移動したんだと思う。僕たちが毎日ムトのところに行って話をしているのも、ムトは瞑想の一環と言ってくれるしそれは本当なのだろうけど、度を過ぎれば瞑想の邪魔にならないとも限らない。今より人が増えて妨げになれば、ムトはどこかに去ってしまうかもしれないよ。ムトの暮らしのためにも、これ以上は騒がしくしちゃいけないと思う」
アスファルトの道へ視線を彷徨わせながら、吉男は茫然と湊の話を聞いた。それはわかる。でも。だとしたら。ぼくはどう。どうしたら。
「おう、そうだな。たしかにさわがれちゃつまんないもんな」十吾がにやりと笑って腕組みした。「おれはだいたい楽しけりゃいいんだし」
「そうね。瞑想の助けになれる範囲で、ムトと関わるべきよ」
湊の意見に合わせているわけではなく、自分なりに考えて同意することを意識しながら、ゆかりが頷く。「あたしは、あなたたちが危険を冒さないかも見ないといけないし」
「ありがとう。そうだね、僕もムトのことを知りたいというだけで、別に世の中に発表したり、有名になることはどうでもいいからね」
いやよくない。だってそうしなきゃ。ぼくはどうしたら。次にあいつらが来たら。どう。
「よしおはどうなんだよ」
うなだれた吉男の心情には気付かず、十吾が何気なく問う。どうする。正直に。いや。言えばもう。ここにはもう。それだけは。
「ぼ……ぼくも湊くんと同じ」
嘘というわけではなかった。知識欲は持っているし、好奇心の疼きもある。だが、唯一すがりついていた希望を失った喪失感は大きく、湊の話への納得が、かえって失望を深めた。
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