第65話 アウティング(1)

 八尋は寒さで目を覚ました。

「う……」

 硬直した身体の痛みに呻きながら身動みじろぎすると、自分の上に何かが被さっているのに気づく。柔らかい布のようだが、辺りが暗くてよく見えない。八尋は自分がどこにいるかわからなかった。

「あっ」

 誰かの声がしてようやく、八尋は自分のそばに誰かいることに気づいた。小さな明かりが点いて、不意に現れた光に八尋は目を細めながらその人物を確かめた。

「よかった。このまま死んじゃったらどうしようかと……」

 八尋の傍らに膝をつき涙ぐんでいたのは風香だった。

 意識が急速にクリアになっていき、何があったかを思い出す。

 生きている。なぜだ。それにどうして風香がいる。

 風香のスマートフォンの明かりで、自分にかけられていたのが彼女のコートだと気づき、八尋は慌てて自分の身体から引き剥がした。汚れてしまってはいけないと思ったが手遅れだった。あちこち泥や八尋の血と思しき赤黒い染みがついてしまっている。

「すみません。これ……」

 八尋はうなだれながらコートを風香に差し出す。彼女はそれを受け取ると、八尋の肩にかけた。

「いいんです。身体、冷えちゃってますから。使ってください」

 彼女の優しさに八尋は胸が痛くなる。

「あの、秋月さんはどうしてここに」

「滝澤さんから連絡があったんです」

 はっとして八尋は風香の顔を見た。彼女は優しい眼差しを八尋に向けている。

「橘くんが死にかけてるからきてくれって言われました」

「そう、ですか」八尋は何を言えばいいかわからなかった。「迷惑をかけてすみません」

「迷惑なんかじゃないです」と風香は強く言った。「橘くんが生きててくれて、本当によかった。本当に死んじゃうんじゃないかって心配したんです」と声を震わせながら言った風香。心配をかけたことを八尋は申し訳なく思う。

 しかし、どうして自分は生きているのだろう。八尋は背中に手を回し、撃たれた辺りを触ってみる。乾いた血の感触はあるが、肉に穴が開いている様子はないし痛みも消えている。

「傷は治ってるみたいです」と風香が言ったことで、八尋は何があったのかを察した。

「見たんですね」

「……はい」躊躇うように答える風香。「滝澤さんに見るように言われて、見ました。説明もされました。皆さんのこと……ホルダーとか、ギフトのことを」

 花が風香を呼んだ意図を、八尋は理解した。あいつは、わざわざ回復させてでも、八尋を絶望させたかったのだろう。

 八尋の身体が普通ではないことを、風香に知られてしまった。

「滝澤さんはその後、夜空ちゃんを連れて消えてしまいました。文字通り、目の前から消えちゃったんです。……あれが、ギフトの力、なんですよね」

「……」

「……えっと、その、治ったと言ってもここは寒いですし、ひとまず移動しませんか」

 黙り込んでいた八尋に、風香が声をかける。

「ああ、すみません」

 八尋は努めて明るい声を出したが、かえってわざとらしいのが自分でもわかった。だがそんなことには構っていられない。

「俺はもう大丈夫ですから。秋月さんは先に帰ってください。ありがとうございました」

 八尋の言葉に風香が困惑したのがわかる。

「そんなこと、できませんよ」

「もう平気ですから」

「でも」

「独りになりたい気分なんです。お願いですから放っておいてください」

 語気を強めてしまい、風香が身を縮めて怯んだ。自分がやったことのくせに、自己嫌悪の怒りが湧いてくる。こんな姿を、これ以上彼女に見せたくなかった。

「……いいえ。帰りません」

 風香は意を決したような視線を八尋へ向けていた。八尋が何を言おうと、八尋が動かない限り自分もここを離れないぞとでも言うようにじっとこちらを見つめる彼女の身体が少し震えていることに気づく。八尋が倒れている間中、コートもないまま自分を看ていてくれた彼女のことに思い至る。

 八尋は恥ずかしさで居たたまれなくなった。ここに至っても自分のことばかり考えていた己の身勝手さに呆れ果てた。

「ごめんなさい」なるべく穏やかな声で口にする。「一緒に帰りましょう」

 風香がほっと息を吐いた。もしかすると、彼女が震えていたのは寒さのせいだけではなかったのかもしれないと八尋は思った。

 相手に拒絶されたらどうしよう。八尋と同じように、彼女もそれが怖かったのかもしれなかった。


 降り続いている雨の中を風香の傘に身を寄せ合いながら歩き、セーフハウスに帰り着いた頃には時刻は午後八時を回っていた。ずいぶん長いこと意識を失っていたらしい。

「よかったら先にシャワー使ってください」

 八尋は用意したタオルを風香に渡してそう伝えた。

「そんな。橘くんがお先にどうぞ」

 風香はびっくりしたように首を振って断ったが、八尋は優しく笑って「俺はもう大丈夫です。今度は強がりじゃなくて、本当ですよ」と、彼女を安心させるように話した。

「俺はずっとコートをかけてもらってましたから。秋月さん、顔色が悪いです。先に温まってください」

 室内に入っても風香はまだ小さく震えている。身体が冷え切ってしまっているのだろう。少し困ったような顔をしてから、「お言葉に甘えます」と風香が折れてくれたので八尋はほっとする。

 風香の衣服も雨ですっかり濡れてしまっていた。八尋のルームウェアを彼女に貸し、脱衣室に入っていく風香を見送った後、彼女がシャワーを浴びている間に破れた服を着替えることにした。階段を上り二階の自室へと向かう。

 脱いだ上着の背中には確かに弾痕らしき穴がいくつも空いていた。姿見の前で身体を捻り、背中を見る。乾いた血がこびりついているが、傷は消えていた。強化は切れているが、ダメージは残っていないようだ。

 身体のダメージはな、と八尋は自嘲するように考える。

 パンツのポケットに入っていたスマートフォンは、液晶画面が割れてヒビだらけになっていた。あれだけやりあえば壊れるのも当然だと思ったが、一応電源はつくしタッチパネルも反応したのでずいぶん頑丈だなと驚き感心する。

 通知を確認したが特に連絡が入っている様子はない。当たり前だ。もはや、八尋に連絡してくるような人間はほとんど残っていない。

 着替えを終え、先ほど机の上に置いたスマートフォンをちらりと見る。念のためそれを手に取って、階段を下りる。

 一階に戻ると、ちょうど風香がシャワーを終えて出てきたところだった。顔色に血の気が戻ったようなので少し安心する。

「お先にいただきました。ありがとうございました」

 ふわっとした笑顔で言う風香。その表情に、八尋の心がわずかにほどけ、そして痛んだ。

 昨日までの日常はもう戻らないのだという実感で、胸を絞めつけられる。

「っ、それじゃあ俺もシャワー浴びてきますね」

 涙が出そうになったのをごまかすように、足早にバスルームへと向かう八尋。

「あっ、橘くん」

 そんな八尋を風香が呼び止める。

「お台所、お借りしてもいいですか。おなか、空いてません? 橘くんがお風呂使ってる間に何か簡単にでも準備できればなと思いまして」

「えっ。でもそんなの悪いですよ」

 八尋が恐縮して断ろうとすると、「……その、実は私がおなか空いちゃってまして」と風香が照れくさそうに言った。「だから、何か作らせてもらえるとありがたいんです」

 八尋に気を遣わせないための方便だろうとは思った。そこまで気を回してくれている相手を無下にするのも心苦しく、八尋は苦笑しながら「それなら、お言葉に甘えて。大したものはないと思いますけど、冷蔵庫や戸棚のものは自由に使ってください。よろしくお願いします」と好意を受け取ることにする。

 脱衣室で鏡を見た八尋は、我ながら酷い顔をしていると呆れた。薄汚れているだけじゃなく、生気がない。優しい風香が、こんな顔をしている人間を放って帰るわけがなかった。

 熱いシャワーを頭から浴びる。ほんの少しだけ、気持ちが和らぐような気がした。体温を奪われた身体に心地よい熱が染み込んでゆく。湯に打たれている間だけは、振り払っては浮かんできた嫌な感情も忘れることができた。

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