第9話

 私たちはついに魔界へ足を踏み入れました。

 ポータル一つを隔てただけなはずなのに、なんだか濃い瘴気が靄のように漂っているようで息が詰まる気がします。

 それになんだか暗いし。


 ……。


 ……まあ、もう日も暮れてるし、当然かな。


 ……。


 魔王の突っ込みがないのはちょっと寂しい……。




 ポータルの向こう側と同じようにポータルを抜けたすぐ足元に、石のタイルが敷き詰められた呪物が組んであります。


「魔王の軍勢はいないみたいですね」


「ああ、魔王のやつ、うまくやってくれたみたいだ」


 マリアさんとゴルガスさんは辺りを見回して警戒しています。


 ポータルのそばには篝火が焚かれて明るくなっていますが、その光が届くのはごく狭い範囲で、その外側は暗闇に包まれ、何にも見えません。


 背後には外と同じようにあの次元断層の白い霧のようなもやもやな壁が、でも今度は逆に魔界を包むように湾曲して続いています。

 暗いのは夜だからというわけでもないようです。

 見上げると、あの壁は魔界の空も覆っています。

 上は光が届かないので真っ暗ですが、壁が遮っているのか月も星も雲も見えません。


 それはそれとして私たちは魔界観光に来たのではないのでいつまでも景色を眺めているわけにはいきません。

 みんなでさっそく手分けして呪物に組み込まれた赤いクリスタルを探しはじめました。



「ゆうしゃさまー、みつけましたー」


 ほどなくエルマちゃんが赤いクリスタルを発見しました。

 みんながエルマちゃんの周りに集まります。


 足元には呪物に組み込まれた赤いクリスタルが確かにあります。


「これを壊せばあとは脱出して終わりなんですね……」


 長かったようで短かったようでやっぱり長かった冒険もこれで終わり。

 これまでのいろいろな出来事が頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消えして……。


戸希乃ときの、なにぼーっとしてんだ?」


 ……浸ってるんです、ゴルガスさん。


「わかりました、じゃあ壊しますよ」


 私は聖剣を鞘から抜くとクリスタルに突き立てて、力を籠めました。

 聖剣の切っ先が当たった個所から赤いクリスタルの表面に亀裂が走り、そして砕け散ります。


「これで……」


 その時お腹の底に響くような、思わず驚いてジャンプしてしまいそうな、外のクリスタルを壊したときにも感じたあの波紋が私の中を一瞬で走り抜けたのを感じました。


「なんなの、これ?」


 その時、ゴルガスさんが声をあげます。


戸希乃ときの、みんなも!あれを見ろ!」


 ゴルガスさんは背後のポータル……じゃなくてその上を、白いもやもやの霧の壁を指差しています。


 その壁は……みるみるうちに、まさに霧が晴れるように薄まって消えていったのです。


「これは一体……?」


 アルマさんがつぶやくように驚きの声をあげました。



 消え去った壁を呆然と見上げる私たちの背後で奇妙に甲高い声が聞こえます。

 それが聞こえた瞬間、ゴルガスさんは剣を抜いて振り返り一閃。

 切り捨てられた何者かの死体が転がります。


「え?」


「ゴブリン共の襲撃だ!戸希乃ときの!剣を抜け!」


 ゴルガスさんが叫びます。

 振り返るとそこには今まで見たことのない数のゴブリンの群れが……暗闇の中から次々と現れてきました!

 いえ、ゴブリンだけじゃありません。

 今まで壁に遮られていた月明かりが差し込んで周囲がほの明るくなると、そこには無数の様々な大きさの見たこともない生き物がうごめいているのが見えます!


「な、なんで!?」


「詮索は後だ!とにかくこいつらを寄せ付けるな!」


 ゴルガスさんが剣を振るたびに、ゴブリンたちは一人二人と倒れていきます。

 私も必死で剣を振るけど押しとどめるので精一杯です。


「仕方ない、テレポートさせるぞ!時間を稼いでおくれ!まずはマリア殿、こっちへ!」


「はい、ではお先に行かせていただきます。お茶の準備をしておきますねー」


 アルマさんが杖を振り上げ、30秒くらい念を込め振り降ろしてマリアさんを指すと、マリアさんは一瞬光に包まれ、次の瞬間には姿を消していました。


 その間に私たちは剣を振り続け、エルマちゃんは杖を振って雷を放ち続けます。


「次は誰じゃ!?」


戸希乃ときの、先に行け!」


 え、でも!


 その瞬間、闇の中から地響きとともに、サイのような巨大な四つ足の生き物が走り寄ってきました。


 その生き物はまっすぐ私に向かって……。


戸希乃ときの!」


 ゴルガスさんが叫んだかと思ったら私を突き飛ばし、私は地面に転がります。

 すごく痛いです!猛烈に抗議したいです!


 起き上がってゴルガスさんを振り返ると……なんで?ゴルガスさんが地面に倒れています。


「エルマ!盾の魔法じゃ!」


「はいっ!ええいっ!」


 エルマちゃんの魔法か、まるで見えない壁に押されるようにゴブリンたちとサイのような生き物は押し下げられていきます。


「勇者殿!ゴルガス殿を連れてくるんじゃ。エルマでもあの魔法は長くは続けられん!」


 アルマさんもゴルガスさんに走り寄ります。

 私もゴルガスさんのそばまで行って担ぎ上げようとして……ゴルガスさん、重すぎ!!


 私が二、三歩よろよろとゴルガスさんを引きずって動かしている間に、アルマさんがやってきました。


 アルマさんの前でゴルガスさんを降ろすと、アルマさんがゴルガスさんを調べ始めます。


 「出血、全身の打撲……骨折もあるようじゃな……とりあえず傷口だけ塞ぐ。そのあと勇者よ、おまえさんと一緒にテレポートさせるぞ」


「はい」


 アルマさんがゴルガスさんに魔法を使い始めると、出血がみるみるうちに止まっていきます。


「向こうにはマリア殿がおるから、ゴルガス殿の状況を伝えるんじゃ。エルマもすぐに送る。治癒魔法を使わせよ」


「はい」


「よし、傷はふさがったようじゃな。では……」


「まだ脱出してなかったのか」


 突然上から聞こえてきた声に振り仰ぐと、そこにいたのは魔王とそれを抱っこしたヴィルゴーストさんでした。


「魔王!これ、どういうことなの!?」


「どういうこと?なにがさ」


「断層の壁が消えちゃったじゃない!それに魔族を引きつけておくって!」


「……」


「答えなさいよ!」


「なあ、勇者よ」


「何!?」


「俺はさ……魔王なんだぜ?」


「!?」


「あとは言わなくたって、わかるだろ?」


「そんな……!」


「勇者殿!時間がない!飛ばすぞ!」


 アルマさんの叫び声に私は振り返ります。


「ちょっとま……」


 その瞬間、私とゴルガスさんは光に包まれ……そしてアルマさんの樹上の家にいました。


 背後で食器が落ちて割れる音に振り返ると、たぶんお茶の準備をしていたマリアさんが立っています。


「勇者様、ゴルガスさんはどうなさったんですか!?」


 私はアルマさんの言葉を思い出します。


「アルマさんが全身に打撲とあと骨折しているところもあるって……すぐにエルマちゃんもくるから、治癒魔法を使って貰えって……大きな動物みたいなのが現れて……私を助けるために……」


「わかりました」


 マリアさんはすぐにゴルガスさんの容態を調べ始めます。


「腕ですね。大丈夫ですよ」


 マリアさんは荷物から剣を取り出して抜くと、そばにあった棚を叩き壊します。


「マリアさん!?」


 マリアさんはさらに壊れた棚板を細く割ると、荷物の中から取り出した着替えを巻きます。


「勇者様、折れた腕を少し動かすので、ゴルガスさんを動かないようにしっかり押さえていてください!」


「は、はい!」


 私がゴルガスさんに覆いかぶさるようにして押さえると、マリアさんは骨折している腕に棚板を当てて、さらにもう一着の着替えで縛り上げて固定しました。


「はい、これでもう大丈夫ですよ」


「マリアさん、凄いです……」


「いえいえ、これでも5人の子供を育てたんですよ。それだけいたら大きな怪我をしたことも一度や二度ではありませんから」


 そこへフラッシュが焚かれたような光とともに、エルマちゃんが現れました。


「あ、エルマちゃん!治癒魔術っていうのをお願いできる?」


「あ、はーい」


 いつもの調子でエルマちゃんが魔法を使います。

 やがて土気色をしていたゴルガスさんの顔色もよくなり、荒かった呼吸も安らかになってきます。


「ありがとうございます、エルマさん」


 マリアさんはエルマちゃんに何度もお礼を言っています。


 とりあえずは一安心でしょうか。




 全然そんなことありませんでした。

 あれからずいぶん時間がたったのに、アルマさんが帰ってきません。


「何かあったのでしょうか……」


 マリアさんも心配そうです。


「エルマちゃん、アルマさんを最後に見たときって、どんな様子だったの?」


「私が盾の魔法を使ってたから、おね……ししょーがテレポートさせてくれて……」


 盾の魔法。

 あの時見た絶対的な防御魔法。

 巨大なサイのような生き物も、ゴブリンの大群も押し留めてしまうほどの強力な魔法。

 エルマちゃんが先にテレポートした場合、その効果はどうなるんだろう。

 その場に残る?それとも消える?

 消えるとしたら、アルマさんは……。


「わたし、ちょっと行ってくる!」


 エルマちゃんが魔法を使おうとしたのを見てわたしは慌てて取り押さえます。


「なんで邪魔するの!?」


「向こう側の状況がわからないのに、今あそこには戻れないよ!」


「でもししょーが!おねえちゃんが!」


「アルマさんならきっと大丈夫だから……」


 今の私にはそれだけしか言えませんでした。




 なんとかエルマちゃんをなだめすかして落ち着かせた頃に、ゴルガスさんが意識を取り戻しました。


「ここは……あれからどうなった」


 起き上がろうとして痛みに呻くゴルガスさんをマリアさんが押しとどめます。


「まだ動いてはいけませんよ。エルマ様の魔法で傷の治りは早まっているそうですが、まだ治った訳ではないそうですから」


 私はあの場所で起こったことを説明します。


「そうか、そんなことが……。魔王の奴め……」


「魔王なんて信じなければよかった……」


「まあそうかもしれないが、そう落ち込むな。過ぎたことだ」


「でも、私が魔王を信じなければ……」


「それを言うなら最初に戸希乃ときのを信じなかった王様が一番悪いな」


 ゴルガスさんは笑いながら言います。

 こんなときによく笑える……。


「そんな顔をするなよ。世界が滅んだわけでもなし」


 でも魔界との壁がなくなった今、魔王軍は人間界に出入り自由です。

 だったらいずれは……。


「それで戸希乃ときの、それでお前はこれからどうするんだ?」


 これから?


「これからって言われたって……あんな失敗しちゃったらもう……」


「なに言ってんだよ。失敗なんて、そんなのなんとでもできるだろ?」


「そんな簡単に言うけど……」


 私は泣きそうになりながら、声を絞り出します。


「一度失った信頼を取り戻すのは大変なんですよ!」


 思わず大きな声。

 ゴルガスさんも驚いた顔をして……。


「なんの話だ?信頼を失ったって」


 え?


「だって、私は失敗して……」


「ああ、俺も力が足りなかったよ。まだまだだな」


 そうじゃなくて……。


「あれは私が魔王を信用しちゃってたから……」


「ああ、俺もそうだ。まったく、すっかり騙されたよ」


 だから……!


「なんで……そんな事言うんですか!」


「なんだって?」


「悪いのは私なのに!ゴルガスさん全然悪くないのに!私は勇者だからしっかりしなくちゃいけないのに、一人じゃ何にもできなくて!」


「……」


「みんなに任せっぱなしで!それで、こんなことになって……」


「……」


 言いたくなかったことがつい口から出て、そしてそれが止まると沈黙が。


 ……。


戸希乃ときの……」


 何ですか。


「お前は勇者だ」


「……知ってます」


「俺は……伝説の戦士だったか?」


 そんな事を言ったことがあった気もします。

 でもゴルガスさん、突然何を言い出すんだろう。


「アルマとエルマは魔法使いで、マリアさんは乳母さんか」


「それがどうしたんですか」


「だからさ、お前一人でだけできるなんて、誰も思ってないんだよ」


「……それって、私なんかには誰も期待してないってことですか……」


 ゴルガスさんは困ったように笑って、言います。


「そうじゃなくてな。お前が勇者でいてくれるから、俺は伝説の戦士でいられるんだぜ。なんていうのか……俺達はそれぞれするべきこと、役割ってものがあって、それらをまとめて一つのチームなんだよ。だからもしこれが失敗ならそれはチームの失敗なのだから、お前が一人で責任を感じる必要もないんだよ」


 ゴルガスさんは少し考えて、続けます。


「それにな……これがいちばん大事なことなんだが、俺達はまだ失敗なんてしてないだろ?」


 どこがですか!魔王たちに騙されてポータルを閉じるどころか魔界との壁を消してしまったんですよ。

 そんな言葉を私はグッと飲み込みます。


「どういう意味ですか」


 ゴルガスさんは優しく笑って言います。


「まだ世界は滅びていないし、魔王軍はここまで攻めてきていない。だったらできることがある筈さ」


「そんなの、楽天的すぎるんじゃ……」


「そうか?俺はそうは思わないな」


「そりゃ、ゴルガスさんは強いし……」


「だから言ったろ?俺一人強くたって何もできんさ。だってそうだろ?魔王軍のあの数を。数だけじゃない。俺一人じゃどうにもならない相手だっている」


「それでも私よりずっと強いじゃないですか!」


「たしかに剣で戦うなら、戸希乃ときのには負けないな」


「……」


「だから言ったじゃないか。役割分担なんだよ。俺の役割を戸希乃ときのがやる必要はない。戸希乃ときの戸希乃ときのの役割を、勇者をやるんだ」


 私の役割……。


「そんな事言われたって、私じゃ何も……」


「そんなことはないさ。お前はちゃんと仲間を集めてポータルまで行っただろ」


「そんなこと、誰でもできるじゃん……」


「でも他の誰もやらなかったことだぜ」


「そうかも知れないけど……」


 その時、私たちの話をずっと静かに聞いていたマリアさんが、私の背中を抱きしめてきました。


「勇者様が突然こんなところに呼ばれて、まだ自信が持てないのはわかります。でも王様がお呼びになったからには、それが誰でも良かった訳ではないはずです。あなたがそれをできると信じたからこそお呼びになったのだと思いますよ」


 マリアさん……。


「だから勇者様、あなたはもっとあなた自身のことを、勇者戸希乃ときのを信じてみても良いんじゃないでしょうか」




 <<つづく>>

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