回顧録4

 目が覚めると、深い霧の中にいた。これまで出会ったこともないほどの濃霧。

 まるで白い海だ。荒波のような白煙の塊が蠢いている。――いや。


「――て、なんで飛んでんだよ!」


 そう、それは雲だった。おれは空を飛んでいたのだ。

 雲海の上を、下を向いた格好で。

 高いところが平気なのは幸いだったが、さすがにこれは怖い。もとい意味不明だ。

 しかも見覚えのない分厚いコートに包まれて、毛糸の帽子を被っていた。この真夏だ、もちろんおれの持ち物じゃない。なのに。


「寒ッ、なにこれ夢? 雪山で寝ちゃって、死にそうな状態で夢見てるとか!?」


「ようやく目覚めたみたいだね。飛んでる理由は、あなたが気絶したあとに逃げたガイアを追いかけてるからだよ」


 独り言のつもりが、背後で誰かが答えた。おぼろげな記憶が蘇ってきて、恐る恐る顧みる。


「き、君は! テルス……だっけ?」


 まさしく、そこにいたのは助けてくれたあの少女だった。ちょっと上に浮いている。

 こっちは両腕を脇閉めて下に伸ばした起立の姿勢だが、彼女は両腕を前に伸ばして様になっていた。おれは身体を反転させたが飛行に影響はなく、向き合った状態でシュールに飛ぶはめになった。


「そ」彼女はそっけなく応じた。「憶えてくれたんだね、ありがとう」


「……え、まあ。どうも」と返したところで気づく。「――というか、ちょっと待って。ななななな、なんで。どうして、どうやって飛んでるの?」


「周囲の空気分子を操作してるんだよ」

 少女は平然としゃべる。

「あなたにもそれができるらしいけど、自分の意志では操れないみたいだからね」


「いやそれ、答えになってないよね」


「うん、だって原因はわかんないもん」あっけらかんと白状する。「あたちたちと同じ能力なんだけど、持ってるだけで使えないみたいだから。方向性は決めさせてもらったよ」


 あたちたち? 少し悩んでから、改めて開口する。

「……そ、そうだ、君も飛んでるよな。ってことは、やっぱりあのガイアって子も?」

 テルスはにこやかに頷いた。……だけだった。

 だいぶ待ったが、そこで終わりのつもりらしいので追及する。

「いやいやいやいやいや。それで。なんなんだよじゃあ、この能力ってのは?」


「君たちに理解しやすく言うなら、〝宇宙精神体〟の能力ってところかな」


 またしばらく間が空く。テルスはにこにこしている。ものすごい不安な気持ちのまま、空飛ぶ時間が続く。


「――だから!」怒鳴りかけて、なんとか抑えてしゃべる。「……あの、説明になってないんだって。もっと詳しく」


「ん、そっか」

 ようやく理解したのか、口元に人差し指を当てて不思議そうな顔をしたあと、テルスは物語った。

「えーと。君たちの意識も、どうして生成されるか科学的にも解明しきれてないでしょ。脳という単なる有機物の塊に流れる電気信号がなんで意識になるか。ようは、なんらかの情報の流れがそうなってるというだけ。あたちたちは君たちと違って、宇宙に流れる情報が精神体になっただけだよ」

 それから明かした。

「宇宙空間の情報の流れに生じた意識ってところかな」


 ――しばらく思索に沈んだ。落ち着かない環境でどうにか意味を呑み、異常な事態を苦労して受け入れようとした。

 テルスは待ってくれていた。また解答を終えたつもりなだけかもしれなかったが。


 そして、ようやくおれは発言できた。

「……つまり君らは、宇宙が持った心みたいなものだっていうのか?」


「正確じゃないけど、そんなところ、だよ。人類が君たち個々人ごとに分かれてるみたいに、あたちは〝宇宙精神体〟のうち地球が管轄な〝地球精神体〟だけど」


「それって、どんな存在?」


「精神体には君たちと違って実体がないけど、代わりに別な才能に秀でてる。あたちたちは、君たち実体のある生物には観測できない領域の制御ができるんだ。量子力学的不確定性のようなものを操れる。君たちからは、可能性を思うように調整できてるように感じるかな」


 なるほど、とても幼女が口走る内容じゃない。マジで彼女はいわゆる人とは異質らしい。

 だいたいさっきから変なことに連続して遭遇し、挙句飛んでいるのだ。これで信じなきゃなにを信じんだってとこだろう。それに、おれにはフィリナとの不思議な思い出もある。こういう出来事がこの世で起こりうることは認めてきた。


「……えーと」そういうわけで概要は頭に入ったが、どうも釈然としなかった。「そんなレベルだったか? あの路地裏での戦いやこの飛翔が可能性を操作しただけ? もっととんでもなさすぎるんじゃないかと」


「そんなことないよ。周囲の分子を組み替えればあたちが着てるような服も作れるし、風の流れを操れば飛行もできるし、突然変異を促進させれば戦闘力の増強もできる。ガイアは、宇宙精神体の意向で南極ウイルスを変異させて、生物を絶滅させたんだよ」


「……そ、それ。ホント、なのか?」


 確かにガイアも述べていたことだ。絶望しそうになるのを堪えながら、どうにか問う。

 留美やクラスメイト、家族。様々な顔が脳裏に浮かんだ。


「うん」


 容赦ない返事をされ、絶句する。


 ちょうど眼下には雲の切れ目が現れ、ミニチュアのような港町が覗いた。グーグルアースとかでしか目にしたことがないような光景に、黒煙や火の手が重なっている。状況も相まって、非現実的な印象を受けた。

 それなのにあらゆる感覚が、白昼夢ではありえないことを告げていた。愕然としかけて、はっとあの路地裏でのことを想起する。


「待てよ! 君、それを元に戻せるみたいなことも口にしてたよな?」


「目的地に着いてすべきことができたらね。そのために、そこを目指してるの」


 いくらか動悸が静まった。

 安心すべき要素はあまりに不安定だが、他に頼れるものもない。あんな異常なことができる彼女なら奇跡ももたらせそうだった。

 そもそも、全生物の死とやらを確認したわけでもない。もしかしたら、彼女がなにか勘違いしている可能性もあると己に言い聞かせた。そうでもしなければ耐えられそうになかったのだ。

 とにかくできるのは、この事態について学ぶことだった。


「そ、それで。なんでガイアはそんなことをしたんだ」

「それが彼女たちにとっての自然な状態だから」

 どうにか尋ねると、テルスは答えた。

「あなたたちは、宇宙という身体を持つ彼女たちに感染した病原菌のようなものなの」


 あまりの扱いに唖然とするが、テルスは容赦なく継続する。


「宇宙精神体は自然物の可能性を操作して変化させる。対するあなたたちのような生物は違う意思を持ち、直接自然物に干渉して変化させる。精神体の望まない形に世界を変えうる、基本的に相容れない異物なんだよ。だから宇宙には生命が観測できないし、地球を管理するガイアも、これまで宇宙精神体に従って地球上から生命を絶滅させてきた。

 大量絶滅は何度も起きてるけど、有名なのはビッグファイブと呼ばれる五度の大絶滅かな。それも彼女たちが引き起こした。まだあなたたちが解明しきれてない原生代の大量絶滅を含めると、今回が七度目。〝第七の絶滅〟ってところだね」


 いかれたおとぎ話だが、受け入れねばならない状況だった。そこでおれは、自分なりに分析して指摘した。


「……七度目。すると、過去の大絶滅を経ても新しい種が栄えてきたわけだな」


「そう、完全に生命は消せなかった。それで今度は別な手段を模索したの。あえて進化を促し、完璧に生物を消せる命を創ろうとした。これが人間だよ。南極ウイルスは本来、あなたたちが全生物を滅ぼせなかった場合、計画失敗として人類絶滅をもたらすための保険みたいなものだったの」


 これはショックがでかかった。言葉を紡げずにいるおれを差し置いて、テルスは口を動かすのをやめなかった。


「目論見どおり人間は、環境破壊や殺し合いによって地球から生物を駆逐しうる存在になった」


「……じゃあ」やっと発声できた。「人類が環境保護をしたり戦争をしなくなってきたから、ガイアはこの事態を起こしたのか?」


「そうじゃないのは、あなただって自覚してるでしょ」


 信じたくない主張になんとか反論したかったが、事実だった。少女は、ショックを受け止める猶予を与えてくれなかった。


「手間は必要なくなったってことだよ。……宇宙精神体は全部の可能性を操作できるわけじゃない。量子力学的不確定性がミクロの働きであり、マクロの世界では働きを鈍くするように、あたちたちも、惑星サイズの身体という広域な範囲に及ぼす影響は微弱なんだ。

 あなたたちが自分の健康を管理しきれずに病気になるように、惑星精神体にも見過ごしがある。だから生命も発生した。同様に、あなたたちの進化にも予想外の要素が生じたの」


「ど、どんな?」


「いわゆる霊能力というものだね。あたちたちの意識と交流することが可能になる力、あなたたちにとっては神託とかいう具合かな。あれは一部あたちたちと会話してるんだよ。だから神々の教えを説いた世界中の宗教の聖典には、終末がよく描写されてる。あなたたちに殺し合いをさせるためにね。

 そんな霊能者たちの中でも、身に精神体を宿すことができる〝霊媒〟という能力者はあたちたちに肉体まで貸せることになる。でも普通は、人間の脆い身体を一時的に得るだけ。けど自然界に突然変異があるように、霊媒の能力が著しく高い人物と状態が極稀にある」


 自らの薄い胸に、テルスは両手を当てた。


「そんな〝特別な霊媒〟と〝特別な場所〟という条件がそろったときだけ、あたちたちのように肉体周辺の自然界を自在に制御できる〝完全霊媒〟になれる。惑星全土に微弱な影響を及ぼすしかなかった可能性操作力を、小さな人体に凝縮して増したってことだよ。

 最低限行動しやすい肉体とわかりやすさを考慮して、だいたい体積を1立方メートルの幼女にしてるから、前は地球の体積およそ1兆833億1978万立方km分を管轄してたから弱かった力が、今は1兆833億1978万倍になってるってこと。この状態で特別な場所にいればもっと強くなれるけどね」


 発言の内容と裏腹に、柔らかな表情を湛えたテルス。トンデモないおとぎ話だか、そこで、大事なことに気づかされた。

 おれは見出した希望に向けて、問いを発してみた。

「……だったら、どうしておれが生きてるんだ?」


 そうだ、ガイアはおれを殺せていない。だいたい、テルスも精神体とやらのはずなのだ。


 少女は、穏やかな微笑で応答しだした――。

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