The Pillow Book of Nagi 2

定華さだか! 今日は初めて先生とお会いする日だというのに……一時間も遅刻するなんて、どういうつもり?」

「ごめんってぇ。でも、先生にどうしても見せたいものがあって、ちょっと中学までひとっ走りしてきたの。……さあさあ、授業を始めてもらうから、お母さんたちは部屋から出ていってねー」


 定華さんのお母様と向井さんはすっかりあきれ果てながら、彼女の部屋を出た。

 部屋に残された私と、定華さん。――気まずい、けれど。私は背筋を伸ばす。


「初めまして。今日から家庭教師をすることになりました、清瀬きよせ なぎと申します。大学はB大で、工学部で電子工学を――」

「あ、大体のプロフィールは知ってますよ! 私は松藤定華。今は中二、成績は良好、志望校は私立A高校です!」


 そう、実際定華さんは成績がとても良い。つい最近の模試の結果を向井さんに見せてもらっていたけれど、しっかりとA判定を叩き出している。正直、家庭教師なんてつけなくても、全然問題ない子なのだ。


「松藤さんは、どうして家庭教師を――」

「まあ……父を安心させたいってのが、大きな理由かな。父、めちゃくちゃ負けず嫌いでさ。何がなんでも私にA高校に受かってほしいらしくて、毎日のように塾はいいのか、家庭教師はいいのかって。でもね、どうせカテキョのお金を出してもらえるんだから、ちゃんと勉強したいなって。――私ね、将来世界に羽ばたくエンジニアになりたいの」


 定華さんの得意教科は、理科である。


「だから今、もっともそれに近そうな清瀬先生に、来てもらうことにした」

「世界に羽ばたくエンジニア? 私がそれに一番近いだなんて」

「でも先生、こないだプログラミングのコンテストで賞を取ってたでしょ? あとあれだ、大学のホームページにも載ってたじゃん! なんか、ものづくりみたいな授業で、学科最優秀賞取ってた」


 しっかり事前リサーチ済みってことか。


「……それなら、実際に世界に羽ばたいてるエンジニアの方に来てもらった方が良かったんじゃない?」

「エンジニアは、カテキョのバイトなんてしてないでしょう」


 それはたしかにそうだ。


「そんなことより、これ、凪先生に見てもらいたかったの」


 スクールバッグから、三枚の絵葉書を取り出す。あと、チャームのついたシャープペンシルに、ヘアポニー……


「もしかして、定華さんのコレクション?」

「そうなの! 私、サイエンスシリーズのグッズ集めるの趣味なんだ。この絵葉書と髪飾り、今日友だちから誕プレにもらったんだぁ」

「あら。お誕生日おめでとうございます」

「先月だけどね。遅れてもらったってだけ」


 これは既に持ってたからあげるよ、と定華さんは一枚だけ、絵葉書を私にくれた。DNAのらせん構造の模様の描かれたそれは、贈る相手をかなり選びそうな代物だ。


「まあ……本当の理系女子が、こんなもので興奮するかっていうと、しないんだろうけどさ。私は好きなの。科学も好きだし、科学のグッズも好きなの」


 定華さんは唐突に恥ずかしくなったようで、そう言いながら視線をそらす。


「実際どうなんだろうね? うちの学科の女子で、こういうグッズを集めている子って、ほとんど見たことは無いですけど……」


 そう言いながら、私は鞄からを取り出し、定華さんの机の上に放った。それを見た瞬間、彼女の顔がぱっと輝いた。

 それは、ある化学構造式を型どったキーホルダー。六員環と五員環が連なった金色のそれは――


「先生。……お忙しいこととは思うんですけど、ちゃんと睡眠はとってくださいね」


 テスト明け、三時間睡眠で朦朧とする中、試験を頑張った自分へのご褒美に購入したものだ。

 カフェインの構造式を知っている中学生は、なかなかイカれている。




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