Yukari's Diary 2
「……はい、全然問題ないと思います、素晴らしい。大変分かりやすい説明でした」
ホワイトボードの前でメネラウスの定理を用いた図形問題の解説を終えた私に向かって、試験監督の中年男性は微笑む。
「じゃあ、このまま軽く面接にしますね。……ああ、そんな緊張する必要ないやつだから」
肩に力を入れた記憶なんてないけれど、どうやら私の緊張は相手に伝わりやすいらしい。でも、仕方ないじゃないか。ここですら落とされたら、もうどこにも採用されない気がする。
「藤本紫莉さん。素敵なお名前ですね、『紫』という字で『ゆかり』って読ませるのって、もしかして親御さん、源氏物語がお好きで?」
「ええ、母が考えた名前でして」
「なるほど。藤本さんは相当優秀なようだけれど、お母さんゆずりなのかな」
「そんな、優秀だなんて。もったいないお言葉です」
アルバイトとはいえ就職面接だというのに、こんなにフランクに話しかけてくる人も珍しい。
「大学を一番で合格しているとお聞きしましたけど?」
「え、誰にですか」
履歴書には、首席の件については何も書いていない。別に隠したいというわけではなく、単純にどこの欄に書けばいいか分からなかったというだけだ。資格とは違うだろうから、学歴欄に書くのがおそらく丸いのだろうけれど、通常はそんなことをわざわざ書いたりはしない。
「さっきここで模擬授業していった子。同じ大学の同じ学部だけど、知り合いではないの?」
「ええ……まだ全員の顔と名前を覚えているわけではないので」
「そっか。そうだよねえ。その子が、藤本さんのスピーチを入学式で聴いたって言っていて。とても同じ学生とは思えない、素晴らしいものだったとおっしゃっていました」
この人は、他の候補者とも無駄口を叩きながら採用試験を行っているらしいな。
「さっきのテストは、もちろん全教科満点。模擬授業も問題なかったし、採用させていただこうと思っています。そういうわけで、絶対に授業ができない曜日と時間だけ教えてもらえるかな」
「えっ、あ、ありがとうございます。……えっと、月曜の朝九時から十時半、火曜の十三時から十七時、金曜の九時から十四時半までは必修の授業があります」
「サークルとかは?」
「特にないです」
とにかく暇人だということをアピールしたかった。なるべくたくさんシフトに入れば、そのぶんお給料がもらえるわけで、可能な限り生徒をかけもちする気でいた。
「なるほど、じゃあ十八時以降は基本的に大丈夫、と……いや、実はお願いしたい生徒さんが既に居たりするんだけどね」
藤本さんみたいな優秀な人が来てくれたからには安心だ、と彼は満足げに呟いた。正直、ここまでおだててもらえるのは恥ずかしいけれど、嬉しくないかというと嘘になる。能ある鷹は爪を隠す、出る杭は打たれる。心の中で何度もそう唱えながら、私は恥ずかしそうに微笑んで見せるのだった。
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