第22話・鶴寮の三人、南の御殿へ事情聴取にいくのこと《壱》

 どうするんだ、とぶっきらぼうに尋ねて来たのは総次郎だった。


「……結局、何を探せばいいのかわからなかったじゃねえか。このバカが」

「だけど、何かを探せばいいんだってことはわかったでしょ? あの子は何かを学寮で探してるんだ。それが見つかればきっと成仏出来るよ」

「だから! その幽霊のなくしたものが何なのかもわからずに、一体どうやってそれを探すっていうのよ!」

 鶴寮にいつもの不穏な空気が立ち込めたけど、僕らもいちおうちゃんと状況はわかってる。

 もう消灯時刻も近い。だからいつもよりずっとずっと、うーんと声の大きさは抑えてるよ。

 中奥の扉の門番にも「さっさと部屋へ帰って寝ろ」と念を押されてしまったし。


「……仕方がないから、今日の報告ついでに南の御殿にでも行ってみる? 何かわかるかもしれないわよ。同じ寮の連中から話も聞けるだろうし」

「そうだよね。その死んじゃった生徒は南の御殿の生徒なんだもんね」

 つまり、南の御殿は噂の出どころだ。行かないわけにはいかないよ。


 忠郷が僕らを案内したのは、南の御殿の蟹の寮だった。寮の部屋の前に灯りを持った濃い人影があって、僕は目を凝らした。

「あれは……幽霊じゃないな。大丈夫!」

「当たり前でしょ! あれは梅の寮の加藤忠広。あたしの妹の婿殿よ」

 さすが、大御所様の孫で会津六十万石の藩主の妹ともなれば引く手数多で縁談の誘いがあるのだろう。僕なんて……まだそんな話はまっっっったく聞かないけれども。

 寮の部屋の入り口まで来ると、その生徒は僕と総次郎を見て頭を下げた。

「……どうでした? 幽霊は……大丈夫でしたか?」

「ぜーんぜん平気よ。なんてことはないわね。もう消灯の見回りは来た?」

 よく言うよ。客間の戸を開けただけで絶叫したくせに。ずうっと僕の肩を掴んで背後に隠れていたくせに。

 僕も総次郎も冷たい視線で忠郷を見つめた。

「いえ、大丈夫です。うちは消灯の見回りなんて来ないですよ。各々の寮に消灯を言い付けられた者がいますので」

「ええ? 寮監督は見回りに来ないの?」

「こういう寮も多いわね。寮監督も色々雑多な仕事が多いからいちいち寝る前に点呼なんかとっていられないんでしょ。毎日毎晩しっかり見回りにくるなんて、うちの寮ぐらいなもんよ」

「……し、信用がないんだね僕ら……」

 始終喧嘩ばかりしている僕らだ。神経質になるのも無理はない。

「みなさんもほんとうに……すみません。ご迷惑をおかけして……」

 いつも態度がデカくて偉そうな忠郷とは全然違う性格の生徒がそこにはいた。忠郷が腰を折って頭を下げる姿なんて一度も見たことがないもん。

「忠広もあたしとおんなじで、もう実家の当主をしているのよ。熊本藩の藩主をやりながら学寮にいるわ。肥後の国を治める加藤家の当主よ」

「へええ、そうなんだ! もう実家を継いでご当主やってるんだね。どう? 藩主ってやっぱり大変?」

「大変に決まっているでしょ! あんたたちにはわからないと思うけど、藩主って本当に神経をすり減らすんだから」

 お前には聞いてねえよーーと総次郎の表情が物語っている。しかし忠広は優しげに目を細めて忠郷の言葉に頷いた。

「会津は大きな国だもの、わたしの領国よりずっとずっと大変です。さあ、こちらへどうぞ」

 忠広は僕らを蟹寮の部屋へ案内した。静かに戸を開けて中へ入る。小さな灯り一つだけの薄暗い部屋の中では三人の生徒が怯えたような顔で僕らを待っていた。

「私は加藤忠広。隣の梅の寮に在籍しています。南の御殿には梅と藤、そうして蟹の三つの寮があるんです。この三名が蟹寮の生徒……学寮の御殿へ現れる幽霊は……この、蟹寮にいた生徒です」

 僕が忠広と蟹寮の三人とに頭を下げると、忠郷がぞんざいに僕と総次郎とを紹介した。

「こっちの小さいのが上杉、そこのあくどい顔している方が伊達。見ての通りよ。まあ、ろくなもんじゃないわね」

 僕はろくでもない紹介については一切無視して話を切り出した。

「ねえ、蟹寮の三人はその死んじゃった生徒について何か知らない? 彼、何か探していたりはしなかった?」

 三人は僕の質問には何も答えなかった。ただ顔を見合わせて首を振ったり、視線を彷徨わせたりしているばかり。

 すると、忠郷がいらいらした様子で言った。

「あのねえ……はっきりしてちょうだいよ、あんたたち。幽霊が出て困ってるんじゃないわけ? こっちだってただの興味本位で噂の真相を突き止めに来たわけじゃあないのよ?」

 僕は驚いて忠郷を見た。総次郎も同じことを思ったらしくて、彼の顔を見つめている。

 僕はてっきり忠郷はそういう……野次馬根性みたいなアレでこの幽霊騒ぎに参加したんだとばかり思っていた。てっきり、ただの興味本位で噂の真相を突き止めに来たのだとばかり……。

「あたしは忠広が可哀想だから力になってやろうってだけで、別に蟹の寮のあんたたちなんてどうなったってかまわないのよ」

 なるほど、そういうわけだったのか……忠郷が実家の家臣達まで使ってこの噂を調べていた理由に僕はようやく得心がいった。

「すみません、忠郷殿。みんな……怯えてるんだ。怨霊に自分達も復讐されるんじゃないかって」

「復讐?」

 忠広は蟹寮の三人の前にしゃがむと、彼らの顔を順に見て言った。


「こんなことをいつまでもしていたってフランシスコは許してくれないよ。北の御殿のみんなに本当のことを話して、なんとかしてもらおう」


「ふらんしすこ?」

 僕は忠広の傍に腰を下ろしながら聞き返した。まったく聞き慣れない言葉である。

「亡くなった生徒の名前です。南蛮人みたいな名前でしょう? 実は……」

「ぼ、僕ら……」

 口を開いた蟹寮の生徒の声は震えていたよ。暗がりにも慣れた目を凝らしてよく見ると、彼の指先も小さく震えているのがわかる。

「……フランシスコに……恨まれてる、きっと」

 そう言葉を続けた生徒は、僕に何かを差し出した。竹の籠の中に何かが色々入っている。総次郎が漁ると、小さな額縁に入れられた南蛮人の絵や数珠が出てきた。

「死んだそいつの私物か」

「……そう。これは、僕らが前にフランシスコからこっそり取り上げて隠していたものなんだ」

「他にも俺たち……フランシスコを無視したり……脅したり、いろんなことを言って……」

「だけど、まさか死ぬとは思わなかった……自害なんてするとは思わなかったんだよ! 僕らの……僕らのせいで自害するなんて……そんなの……」

「なるほどな……自分たちがいじめた生徒が自害なんかしたもんだから、それで大騒ぎしてんのかあ」

 火車の呟きは鶴の寮の僕ら三人にしか聞こえなかったよ。部屋の灯りが大きくゆれた。

「……蟹の寮の生徒だけじゃないんだ。私も梅の寮の生徒も……そうしたことには感付いていたし、藤の寮の生徒ももちろん知っていました。私も他のみんなも……南の御殿の人間は……皆フランシスコにはそういうことをしていましたから」

「そういうことって……まさか……噂は東や西の御殿の連中から薄々聞いていたけど……あんたまでそいつを虐めていたの?」

 忠郷の問い掛けに忠広は応えなかった。フランシスコの私物だという籠の中身をじっと見つめている。

「……なるほど、そうなのね」

「ほれみろ。俺の言った通りじゃねえか。自分たちが虐めたせいで自害なんかされたもんだからバツが悪いんだろ」

 忠広は俯いて「そうかもしれません」と呟いた。

「すみません、忠郷殿。あなたにはずっとご心配を掛けながら、本当のことをなかなか言いだせませんでした。その……彼にひどいことをしてしまったという自覚はありますので」

「い、いじめたつもりなんかなかったんだ!」

「そうだそうだ。だって……だって、あいつ―—」


「キリシタンだからか?」


 総次郎が蟹寮の生徒が喋ろうとしたのを遮って尋ねた。

「ええ!?」

「そりゃあそうだろ。日本人のくせに名前が《フランシスコ》なんて、そんなのキリシタンに決まってる。それに、こいつはキリシタンが信仰に使う道具だろ」

 総次郎が僕や忠郷に見せたのは、数珠のようなものだった。珠が沢山ついた首飾りのようなもの。

「これだあ! あの幽霊の生徒が持ってた珠……よく似てる! この数珠がばらばらになっちゃったものを持ってたんだよ、あの子」

「これはロザリオだ。数珠とはちがう……先に十字の飾りがついてるだろ? 連中はこいつを転がして神様を熱心に拝むんだ」

「あんた……よく知ってるわねえ」

「俺も持ってる。まあ、俺はキリシタンじゃねえが」

 総次郎はロザリオを僕に手渡して言った。

 確かにたくさんの珠が並んだ真ん中に大きな十字架の銀の飾りがついているよ。見ればみるほど、幽霊の彼が持っていたものにそっくりだった。細かな飾りや色が違うけどさ。

「はあ? なんであんた、キリシタンでもないのに持ってるわけ!?」

「別にいいだろ。なんか格好いいじゃねえか。俺はただそういう……南蛮の品が好きなんだよ」

 確かにそうだよ―—僕は鶴の寮の部屋を思い出した。

 総次郎の文机のまわりには僕がみたこともない品ばかり置かれているんだよ。お父上の政宗殿も確かそういう品物が好きなのだと聞いたっけ。

「そうです……死んだフランシスコは熱心なキリシタンでした。学寮にもそうした南蛮の品々を持ち込んで、祝詞のようなものを上げたり、熱心にその額の絵を拝んでいましたから」

 忠広がちらりと視線を向けたのは籠の中の小さな絵。白い顔をした女の人が描かれているよ。

 僕が籠から視線を上げると、蟹寮の生徒の一人と目が合った。彼はすぐに視線を逸らすと俯いてしまった。他の二人は僕とは少しも目を合わせようとはしなかった。

「そもそも、自害したなんて噂の出処は一体どこなんだ? 俺も噂を小耳に挟んですぐに学寮の教師や役人を問い詰めたが、誰もそんなことは言ってなかったぜ。宿下がりをして実家の江戸屋敷で病死したとか、急死したとかそればかり。自害、なんて話は誰がどいつから聞いた情報なんだよ?」

 総次郎の不機嫌そうな顔は暗がりの中でも確認できた。蟹の寮の生徒三人を睨みつけている。

「ぼ、ぼくらは……何も……」

「自害したらしいってのは……だ、誰が言ってたんだ?」

「僕らじゃないよ……忠広殿じゃない? 梅の寮から聞いた話じゃなかった?」

 いちばん小柄な蟹寮の生徒が言った。声は心なしか震えている。

「私じゃないよ。忠長殿かな。藤の寮の忠長殿が……確か、ご実家から聞いた話だとか言っていたと思うよ」

「はあ……あいつね」

 忠郷が落胆したように思い切りため息を付いた。

「忠郷はその生徒を知ってるの?」

「そうね。南の御殿でいちばんえらぶってる奴よ。母親が家康さまの姪なの」


 クズよ――忠郷がきれいな顔を思い切り歪めて吐き捨てた。


「南の御殿のぬしさまなんです」

「ああ、ぬしさまね……」


 なるほど――僕も頷いた。総次郎も「やれやれ」とつぶやいて首を振る。どこの御殿でも「ぬしさま」への評価は今ひとつらしい。


「じゃあ、このロザリオはしばらく借りとくぜ。行くぞ」

 総次郎はそう言うが早いか、蟹の寮の部屋を出て行ってしまった。

「ええ? あ、ちょちょっと……総次郎!」

 部屋の外からは「早く来い!」という彼の声が聞こえたよ。僕と忠郷は顔を見合わせる。

「一体何なのよ……とりあえず、今日はもう部屋へ戻るわ」

「はい……色々と気にかけていただいてすみません、義兄上」

 忠広は悲しそうな顔で僕と忠郷に深く頭を下げた。その姿は本当に心の優しい真面目な藩主という印象だった。


 こういう人が御殿の主になればいいのにね。クズなんかじゃなくてさ。

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