第20話・鶴寮の三人、客間で幽霊探しをすること《壱》
一日の授業が終わって、晩のご飯を食べ終えると消灯まではしばらく自由時間だ。生徒たちは寮の部屋で好きなことをして過ごしていいと言われてる。
僕はだいたい本を読んだり、日記をつけるのが習慣だから今日あったことをまとめたりする。
もちろん、授業で宿題や課題が出ればそれをやることもあるし、違う勉強をすることもある。なにせ、僕らは将来の藩主だから、学ぶことなんて山程あるんだよ。
だけどこっそり火車と遊んだりも、もちろんーーする!
忠郷や総次郎もわりと好き勝手に過ごしてるよ。
特に忠郷は他所の寮に顔見知りも多いみたいで、他の部屋へ顔を出すことも多い。総次郎はだいたい部屋にいて実家から届けられた手紙を読んだり、返事を書いたりしてるみたい。
つまり、鶴の寮の自由時間ってのはだいたいが各自自由行動だ。
そうして消灯時間になると、部屋へ勝丸がやって来て灯りを落として寝る時間。これがいつもの僕らの暮らし。
だけどその日、僕ら鶴の寮のメンバーは僕が寮へやって来て初めて消灯前の自由時間をいっしょに行動していたよ。
そう! 幽霊の噂を確かめに行くんだからね。
「火車はね、僕がもってる脇差しにくっついてる化け物なんだよ。こいつはむかし悪さをして僕の父上に脇差で喉元を切りつけられたの」
僕は声をおさえぎみにして二人に説明をした。御殿の廊下はすっかり暗い。だから生徒の人影もなかったよ。
寮の部屋の入り口に置かれた灯りだけが暗がりに点々と並んでいる。消灯時間になるとこの灯りもお部屋番が消す決まりだ。
「それ以来こいつはその脇差しの持ち主には逆らえずにこき使われているんだよ。脇差しは元は謙信公のものだったんだけど、謙信公が父上にあげて、今では僕が譲ってもらったんだ。だから、今は僕が火車の主人ね!」
「あーあ……そういうことなのね」
意外にも忠郷は火車への理解が早かった。廊下を歩きながら腕を組んでじっと僕の肩の上の火車を見つめている。
「うちにもそういう刀があるわ」
「あるの!?」
「昔、化け物に憑かれた大工を鉋
かんな
ごと叩き切ったっていう、長船長光の名刀よ。蒲生のおじいさまの刀なの」
鉋、ってのは木を削る大工道具だ。本当だとすればものすごい切れ味だよね。
「鉋ごと? っていうか……それって、取り憑かれた大工の人は無事だったの? どうやって元に戻したの?」
僕は市のことを思い出していたよ。市だって猫又の化け物の呪いに掛けられているんだもの、何かいい知恵が手に入るかもしれない。
しかし、忠郷はあっさりと僕の希望を打ち砕いた。
「元になんて戻せないわよ。無事なわけないじゃない。大工もろとも化け物を退治してやったわ。すごい切れ味よ」
僕と総次郎は顔を見合わせる。火車は身体を震わせると大きく飛び跳ねて総次郎の腕の中へ収まった。化け物とはいえ、過去の嫌な記憶を思い出すのはやっぱり辛いらしい。
「ええっと……それってつまり、鉋ごとというか……大工ごと切っちゃったってこと?」
「……大工も一緒に死んじまったってことだな。かわいそうに」
総次郎は火車を受け止めると、頭を撫でて言った。
表情はいつもの総次郎だけど、その様子はなんだかすっかり火車を気にいっているようにも見えたよ。見た目からはけっこう意外だけど、総次郎ってば動物が好きなのかも。
「言っとくけどね、どんないい刀か知らないけど、おいらを退治なんて出来っこないよ! だっておいらは地獄の獄卒なんだから、死んだりしないもん」
忠郷は飛び上がって驚いた。僕の背後に隠れるようにして火車を指す。
「しゃ、しゃべったわあこいつ!」
「人に取り憑いたり、化けたりするような位の低い化け物なんかと一緒にしないでもらいたいね。おいら、たぬきや狐なんかとはぜーんぜんちがうんだぞ。地獄の鬼なんだから!」
「そうそう。火車ってもともと死んだ罪人を地獄へ連れて行く仕事をしていたんだってさ」
「そうとも! 閻魔さまの家来だぞ!」
火車は総次郎の肩の上に乗ると二本脚で立ち上がり、「どうだ」とばかりに背伸びして胸を張った。
「あんた時々ものすっごい大きな声で独り言を言ってると思ってたけど……こ、こいつと喋ってたのね、千徳」
僕は大きく頷いた。もっとも、そんなに大きな声で喋っているつもりはなかったんだけど。
「地獄の鬼が脇差しで切られるなんてヘマをするか?」
「それに、どう見ても鬼には見えないわよ。よくてタヌキか猫じゃない」
「うるさいなあ……あの時はちょっと仕事が行き詰まってて色々とアレだったの! お前らだってお殿さまになればわかるぞ! 仕事をするってのはてんで大変なんだからな! ストレスあるしー、プレッシャーとかすごいんだから!」
すると忠郷の深い溜め息が背後から聞こえて、僕は少しだけ振り返った。彼の長い髪の毛が大きく揺れるのがわかる。
忠郷は深く俯いていた。
「そうよね……わかるわ。仕事をするって大変よ……本当に。あんたたちにはまだわからないでしょうけど」
僕は忠郷の机を思い出す。
忠郷の机の上はいつも実家から届けられた手紙が山のように積まれているよ。読まれた形跡もないその手紙の山が最近どんどん高くなっていることを、僕は知っている。たぶん、総次郎も。
総次郎のお父上も手紙を書くのが好きみたいで、しょっちゅう総次郎に手紙を送ってくる。総次郎は鬱陶しげにしているけれど、勝丸に文を手渡している姿を見たことがあるから、ちゃんと返事は出しているらしい。
だけど忠郷に送られてくる手紙の量はとにかく半端じゃないんだよ。
おまけに大半が読まれた形跡さえないなんて、僕はずうっとそれが不思議だった。
学寮の御殿は長い廊下で全て繋がっている。
学寮は表、中奥、大奥の三つに大きく分かれていて、僕らがいつも暮らしている御殿があるのは中奥だよ。現在学寮として使われている西の丸は将軍さまがいる本丸御殿を少し小さくした感じで、ほとんど同じ作りをしているらしいね。
表にはみんなが集められる広間や客間がある。あとは……座学の授業を受けたりする部屋も。
中奥は僕らが暮らす御殿と僕らを指導する教師たちがいる御広敷とに分かれている。御殿と御広敷とは完全に区分けされているから、直接行き来することは出来ないという不便な構造になっている。
大奥は学寮で働いている人達が仕事をしている場所だよ。大きな炊事場もここにあって、大奥に部屋を貰って住み込みで働いている人も沢山いるらしい。中奥にも厨はあるけどそれは主には僕らのような生徒のお膳の毒味や盛り付けをするための場所で、全てのごはんは大奥の大きな炊事場で作られるのだ。
「幽霊は南の御殿の部屋に出るらしいわ。そこから廊下を通って、表の方へ行くんですって。客間を目指してるんじゃないかって話だけど」
「客間? どうして?」
「そこまでは知らないわね。夕暮れ時にも客間で幽霊を見たって生徒がけっこういるらしいの。客間に一番現れるんですって。だから……その生徒、実はそこで自害したんじゃないかなんていう噂もあるわ」
「俺は宿下がりをしてそれで死んだと聞いたぜ」
「ええ、学寮の人間はそう言っているみたいね。どちらが事実かは定かではない……でも、その幽霊が客間に現れるってことは何かきっと意味があるんじゃないかって……そうは思わない?」
「そうだなあ……確かに、何か絶対意味がある気がするよなあ」
火車がそんなことを言うので、僕らは客間へ行ってみることにしたよ。
長い廊下で繋がっている表と中奥との間は大きな黒い扉で仕切られている。
そこはいつも強そうな門番が守っているし、夜の間は閂まで掛けられてしまうから自由に出入りなんて出来ない。
だけど、僕らはいちおう作戦を考えてきたよ!
「客間へ大事な扇子を忘れてきたの。取りに戻るから通してちょうだい」
突然御殿から生徒が現れたというのに、門番はひどく冷静だった。
「……夜間の通行には、寮監督殿の許可が必要です。じきに消灯時間ですゆえ、お戻りを」
門番は怖い顔で忠郷にそう言った。ほんっとうに筋肉ムキムキの強そうな大男! 力ずくで追い払われたらとても僕らに勝ち目なんかない。
だけどそんな風に言われることは僕らも計算のうちだった。僕と総次郎は少し遠くから隠れてその光景を眺めながら、ほくそ笑んだよ。
「じゃあお前が寮監督殿を連れて来てちょうだい。今すぐによ」
忠郷は腕を組んで門番を睨みつけた。
「お前はうちの寮の寮監督が誰だか知ってるの? 学寮長さまよ? 北の御殿の鶴の寮には寮監督なんていないの。いたけど急に辞めたり、脱走したりしていなくなってしまったんだから。それで後任がくるまでの間、学寮長さまが直々に寮監督を引き受けてくださっているのよ!?」
そうなのだ。
通常、御殿の各寮にはそれぞれ《寮監督》という学寮の役人がいる。
彼らは僕らのような学寮に出仕している生徒の監督をするのが仕事だよ。宿題や課題の提出を忘れたり、授業をさぼったりしていないかチェックしたり、問題ありと判断した生徒を保護者にチクったりもするって聞いている。僕ら鶴寮の面々もまさについこのあいだ保護者が呼び出されたばかりだけども。
「……ねえ? いつになったら僕らの寮には新しい寮監督殿がくるの? いつまで学寮長さまが兼任するの?」
「……さあな。来るらしいって噂だけは聞くことがあっても、実際にはちっとも来やしねえ。しばらくは勝丸の奴が主務の仕事と寮監督のしごとを一緒にやるんじゃねえか? 学寮も人手不足なんだ」
僕らの寮には寮監督がいない。
前はいたらしいけど、忠郷や総次郎に手を焼いて辞めちゃったり、いなくなっちゃったりしたらしい。
「お忙しい学寮長さまをお前はわざわざあたしの忘れ物を取りに戻るごときで煩わせようっていうわけ? 信じられない! どういう神経してんのよ!」
忠郷がいつもの調子で門番に喚き散らした。腰に差していた扇子で門番の腕をバシバシ叩いてる。
「……扇子を客間に忘れてきたっていう設定はどうしたんだ」
「さあね……そんなのもう手遅れだよ」
僕と総次郎は深いため息をついた。
これで会津じゃ藩主をやっているってんだから、僕らの領国の将来まで不安になる。
だって、会津は出羽や奥州の要だ。会津が傾けば近所である仙台や米沢にだって被害が及ぶかも知れないーー僕と総次郎も不安である。
「わ、わかりました……すぐにお戻りください」
門番は忠郷の癇癪に負けてかんぬきを開けた。軋んだ木の音と共に重い扉がゆっくりと開く。
「言われなくたってすぐに戻るわ。だからこのまましばらく開けておいてよ?」
門番が深々と忠郷に頭をさげているのを見計らって、僕と総次郎——もちろん火車も―—さあっと扉を通り抜けた。
いそいで客間を目指して廊下を駆ける。
「廊下は走っちゃいけないんだろ、玉丸」
前を走る火車が一度振り返って叫んだ。
「そうそう。だから、だあれもいない今のうちに思いっきり走っとこうと思ってさ!」
客間はもうすぐ目の前だよ。僕は暗がりの中で先頭を走る火車を見失わないように見つめながら走った。火車は宙を駆けている。脚がまるで灯りのように燃えているからぼんやりと周囲が見えて都合がいいじゃないか。
火車は夜でも真っ暗な場所でも昼間と同じように目が見えるらしい。まったく、化け物ってのは本当に便利に出来ているよね。
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