刻印

 ツー……。

竜二さんの鼻から、赤い線が一本ツー……。


 質屋 満々金の店内。

 先程から、藤咲ノミの怒鳴り声が響いている。


「待ってくれ。竜二さんは、俺達を守ってくれたんだよ!」


 必死で庇うが、ノミのオヤジさんは聞く耳もたず。なかなか怒りを収めてくれない。


「ええ、それは、もちろん分かっておりますよ。コウタさん」


 まくった腕を戻しながら、藤咲ノミは息巻いている。


「私はね、その事に腹を立ててるんじゃない。身内を身をていして守った事は、むしろ誉めてやりたい。ただね、竜二なら、もっと上手くやれただろうと、そこが悔しいんです」


「へい」


 竜二さんは、平伏低頭を続けている。


「熱くなり過ぎるのは悪い癖だ。今回の犠牲はお前のミスだよ、竜二。死んだもの達に、心から謝らないといけないよ」


「へい」


 コハルちゃんがポケットティッシュを差し出す。

 竜二さんは、恐縮しながら受け取ると、鼻から出ている赤い線を拭いた。


「お嬢さん、怖かったでしょう。もう大丈夫だから安心しなさい」


 それはそれは優しい声で、ノミのオヤジさんは、コハルちゃんをいたわった。


「事情も大体飲み込めました。竜二、天狼総動員でお三方をお守りしてあげなさい。くれぐれも、アルデバランのようなインテリに、舐められちゃいけないよ」


「へい」


 それだけ告げると、ノミのオヤジさんは、奥の通路に姿を消した。若者のような、きびきびとした動きだ。

 満々金の出入口のドアが一瞬開いて、客が中に入って来ようとしたが、ただならぬ雰囲気を嗅ぎとって帰ってしまう。

 竜二さんは、新しいティッシュを鼻に詰めた。


「ズズッ……。よかったな、お前ら。天狼総動員だってよ」


 ちょっと涙目になっている。

 とても気の毒だ。

 タクヤとコハルちゃんが心配そうに見詰めている。


「今から打ち合わせするか。あいつ、執念深そうだから、また来るだろ。それに嬢ちゃん刻印されちまってるからな」


 一同の視線が一弦いちげんコハルに集まる。

 大きな瞳が見詰め返してきた。


「……少し前の記憶が曖昧で、自分がベッドで、何故、気を失っていたのか思い出せません。私、何かされたんですか?」

 

 コハルちゃんは、ブラウスの第一ボタンを、ぎゅっと握りしめて沈黙してしまう。暫くして、見かねたタクヤが声をあげた。


「あの、刻印って何ですか? 僕の手にも在るみたいなんだけど」


 タクヤは左手の甲を擦っている。

 そういえば、シェルタンという吸血鬼がタクヤは刻印済みだと言っていた。

 何なんだ? 刻印って。


「タクヤもか? ちょっと見せてみろ」


 竜二さんの武骨な腕が、タクヤの左手を掴む。


「ああ~、本当だなぁ。えらく小さく刻んだもんだな。よく見ないと分かんねぇ」


 それに比べて……、と言いながら今度は、コハルちゃんの左手を掴み上げる。


「こっちのはでっけえな。あの女の性格出てるわ」


 と言われても、俺達には何も見えないのだ。

 もっと詳しく説明してもらわないと、理解出来ない。


「あの……、竜二さん? 勿体もったいぶってないで、そろそろ解説お願いします」


 モジモジしながら俺が言うと、わりぃと竜二さんが返事をした。


「刻印ってのは、吸血鬼のマーキング行為だな。この人間は自分のもんだ。だから、お前ら、腹が減っても手を出すなよ、みたいな感じか」


 理解できました。一瞬でございました。


 ……となると、タクヤとコハルちゃんは、吸血鬼に仲良くマーキングされちまったのか。

 ん? あ! 俺も危なかったのか、アルキオネに背後を取られた時、左手がチリッとした。

 竜二さんが割り込んで助けてくれたけど。


「刻印には色々種類があって、タクヤが付けられているのは、アストラの刻印だな。アストラの所有物、というか奴隷って意味のものだな」


「え? 僕、静ちゃんの奴隷なの?」


「知らんがな。俺に聞くな」


 そんなもん、本人が一番分かっとるだろうに。

 何故、いちいち俺に確認するのか。


「僕は、恋人同士だと思ってたんだけど?」


「いや、だから知らんがな。静ちゃんは、バリバリの吸血鬼だけど、そこはもう、いいのかよ?」


「いいって訳ではないけども……」


 慣れというのは恐ろしい。

 一緒に過ごし、会話を交わすと、相手が吸血鬼であっても、自分の都合よく思えてくるようだ。


「嬢ちゃんの刻印は、アルキオネの刻印だ。意味は、食料、餌、飢え。残念だが、アルキオネのディナーに招待されちまったのさ」


「そ、そんな……」


 コハルちゃんの膝が、カクンっとなってバランスを崩す。顔面が蒼白だ。


「刻印がある以上、どこに逃げても丸分かりだ。助かりたかったら、吸血鬼アルキオネを倒すしかねえな」


「倒せるの?」


 タクヤが、ここにいる誰もが思っていることを代弁する。竜二さんは腕を組んだ。


「今なら、倒せるな」


「今なら?」


 食い気味に俺が訊ねると、ああ、と竜二さんが頷く。


「アルデバランがアルキオネの万能耐性オールレンジを封印してるからな。今のアルキオネは不死身じゃねえ。倒すなら今だ。ただ……」


 竜二さんは考え込んだ。

 何かを必死で思い出そうとしているようだ。

 それから、コハルちゃんに視線をむける。コハルちゃん本人というか、その周りの空間を見詰めているような感じだ。


「嬢ちゃんには、強力な吸血鬼避けが付与されているみたいだな。ほら、あいつ、あの似顔絵描いた警察官、なんだったっけか?」


「あ――シェルタンの事?」


 俺が言うと、そうそう! と竜二さんの顔が明るくなる。


「あいつが、嬢ちゃんの気配が探れねえって、言ってんのに、何で、アルキオネには嬢ちゃんの位置が分かったのかだな」


「それは刻印があるからじゃ?」


 タクヤが言うと、竜二さんは首を振った。


「嬢ちゃんの刻印は、あのベッドの上でだ。俺達が部屋に雪崩れ込む、少し前で間違いない」


「すると、アルキオネは、タクヤばりの熟練ストーカーなの?」


 タクヤがムッとしながら俺を見てくるが、俺は真実を言葉にしただけだ。取り消すつもりはない。


「んん~。違うだろうな。もっと何か……、俺達にはまだ見せてない能力が、アルキオネにはあるんだろうなぁ」


 能力……。

 吸血鬼って、本当に面倒臭い存在だな。

 なんで世の中が、人間中心で回っているのか不思議に感じるレベルだ。いや、俺が知らないだけで、実は世界は、吸血鬼が支配しているとか?


「それで、これからどうするの? 竜二さん」


 分からないことは、一先ず置いておいて、これからの対策を考えなくては駄目だろう。アルキオネを倒すにしても、奴の居場所すら分からないのに、こっちはコハルちゃんの位置が常にバレバレなのだ。


「まあ、俺も、アルキオネの挑発に、もう乗ってやるつもりはねえから、殺り合うとしたら金曜日。ゾンビが湧いてくる、あの夜になるだろうな」


「出てくるかな?」


「俺は出てくると思うぜ。さっきも言ったが、アイツは執念深そうだ」


 言いながら、竜二さんは、面倒臭そうに肩をすぼめる。それとは正反対に、タクヤが紅潮しながら俺に話しかけてきた。


「じゃあ、コウタ、それにコハルちゃん。僕達もレベルアップ頑張らないとね!」


「お、おう」


「え? はい。わかりました」


 俺とコハルちゃんが、微妙な顔付きでいるのが、タクヤには伝わっているだろうか。

 お前が言うな。

 お前が仕切るな。

 適切な回答はこうだろう。

 ちょこちょこちょこちょこ、休憩しとったくせに。


「俺も、お迎えの準備をするわ。いやぁ~天狼総動員って、久々だなぁ。何でも使い放題、何でも買い放題。仕方ねえから、とっておきを出してやるぜ」


 なんか竜二さんも、ワクワク、ソワソワしてないか?

 呆れ顔で突っ立っていると、スマホが震えているのに気が付いた。ポケットから取り出すと、知らない番号からの着信である。


〖もしもし、どちら様ですか?〗


〖もしもし、私、シェルタンと申しますが……〗


〖え? シェルタン? 何で俺の番号知ってるの?〗


 嘘だろ。あの警官の吸血鬼からだ。タクヤが目を剥く。


〖そこは警察ですから、すぐに分かりますよ〗


〖そ、そうなんだ。で、何の用?〗


〖いや、お願いしてた件、どうなりました?〗


〖あ――〗


 すっかり忘れていた。一弦いちげんコハルが見付かったら、シェルタンに連絡しなきゃいけなかったのだ。連絡方法も教えてもらっていたのに、この捜索劇の影の立役者を、ないがしろにしてしまった。


〖あ――って、忘れてたの? ちょっと頼むよ君たち、依頼主から、ばんばん進捗確認の電話があって、殺されそうなんだけど〗


 シェルタンの声が、本当に切羽詰まった感じで、弱りきっていたので、軽く吹いてしまう。

 まったく……、本当に吸血鬼なんだろうか。仕事の約束をすっぽかされたサラリーマンみたいだ。


〖悪かった! 見付かったよ、無事です。依頼主とやらに、よろしくお伝え下さい!〗


〖それは良かった! で、どこで――〗


 スマホの電源をオフする。

 一弦コハル救出の詳細は、死人が出ている以上、誰にも話せない。うまく辻褄を合わせて、逃げ切るしかない。その辺の裏工作も、今から相談しなくてはいけないだろう。


 決戦は金曜日。

 それまでに、俺達も強くならなければ……。

 必ず、コハルちゃんを守りきる。

 平凡な毎日に、送り届けてあげるんだ。

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