「あ」から始まるご令嬢

トネリコ

目指せ愛され令嬢ですわ!

 



 

 

「嫌ですわ! このままだと庶民に噂の”悪役令嬢”の様に破談になってしまいますわ!」

「そんなことないですよ」

「あなたの目をかっ開いて見てみなさい! あの二人の仲睦まじさが見えませんの!?」


 きぃーっとハンカチでも噛みそうな令嬢が、アヒルボートから身を乗り出して指差している。

 急に暴れたせいで、アヒルが苦し気にぎぃこぎぃこと揺れた。元は白鳥だったと伺えるのに、色が剥げ過ぎて地の色が出てしまった形だ。そろそろ空中分解しそうな気がする。


 そんなことなど気にも留めない彼女は、赤い色の目を怒りで燃え上がらせた。


 フリルがたっぷりと彩ったドレスに、貴族らしい品のある顔立ち。豪奢な金髪を纏め上げ、今日の為に色っぽくめかしこんだであろう相手は残念ながら別のボートに相乗り中だ。


 まぁ、彼女の性格なら怒り出すのも無理はない。何といっても相乗りしている二人は僕の”婚約者”と彼女の”婚約者”なのだから。


 といっても親の仕事の都合で結ばれた、口約束程度の政略的な婚約だけれども。


 このご令嬢も同じ様に政略婚約だと思っていたので、よくそう怒れるなと少し呆れる。

 貴族の令嬢らしく、自分のものに手を出されることが嫌なのだろうか。貴族の令嬢は結婚と愛人は別だと思っていた。


 こちらのアヒルボートなんぞよりもよっぽど優雅に湖の水辺を縫っていく木船。それを親の敵の様に睨み付ける彼女を不思議に思いながら、のんびり時間を潰すかと思考を飛ばす。


 僕の場合は成り上がりの商会が貴族位を欲して子爵位の娘を選んだだけ。彼女の場合は同じ伯爵同士の家の繋がりの強化。


 それ以上でもそれ以下でもないけれど、どうやら僕の”婚約者”は僕よりも見た目も、爵位も、優雅さもいい方に狙いを変えたらしい。金銭的には僕の親の方があるだろうけど、つけ入るならあちらの方が楽なのだろうか。爵位で言えば僕が名無しで一番下だ。


 条件だけを見れば僕が女でも別の”婚約者”を好むだろう。破棄するかといったら諸々が手間でしないだろうが。

 僕の”婚約者”の見下す様な視線を思い返していると、彼女に睨み付けられた。


「ちょっと! 聞いておりますの!?」

「聞いてますよ」

「そう! きぃっ、それもこれもあそこでボートの船主が変な勘違いをしたからですわ!」

「そうだねぇ」

「またのらりくらりとして!」


 折角相槌を打ったのに、どうやら気分を害したらしい。まぁそこまで客先ほど気を遣う必要もない。ご令嬢の機嫌は天気よりも変わりやすい。のらくらとした性格は相手が侮ってくれて色々と楽なのもあるが、単純に興味が薄い性分なのである。


 四家の仕事の都合で偶に纏められるが、こうして合同で会ったのはまだ四回目か。

 とはいえその度に僕の”婚約者”が二人きりになって仲を深めるのだから、気が気ではないのであろう。あの様子だと隠れて会っているに違いない。

 

 彼女こそ船主が勘違いしたと騙されているが、船主と僕の”婚約者”はグルである。今回は船主が知り合いというのを利用して上手く木船を出させたのだから、僕の”婚約者”殿は大した策略家といえよう。散財癖といい、あまり商家に入れたくない。こちらにはアヒルボートな時点で、この彼女よりは上手である。


「あなたももっとしゃっきりと彼女を捕まえておきなさい!」

「そうだねぇ」

「そればっかり! 商家の殿方といえば機知に富んだ会話が魅力ではなくって!?」

「人によるかなぁ」

「精進が足りてないですわ!」


 おひとにならねぇという裏に込めた皮肉も、彼女は素直な性格ゆえか伝わらないようである。いいのか悪いのか、僕はまたのんびりと眺めのいい景色に目をやる。


 するとぎぃことまたアヒルが鳴いた。見れば彼女が頭を抱えている。


「このままでは”悪役令嬢”どころかただの”当て馬令嬢”ですわ!」

「何か格下な感じだねぇ」

「きぃっ。世に言う”愛され令嬢”に一体何が足りてないと言うのですの!? この美貌も、マナーもダンスも刺繍も出来て教養もあるわたくしが!」

「慎み深さとかはどう?」

「私に足りてないとでも!? それを言うならあなたの”婚約者”に言うべきではなくって!?」

「それもそうだねぇ」


 これは一本取られたなぁとあはは~と笑うと、彼女はまたもハンカチを噛み締めそうな顔をしていた。今は完全に仮面が外れている彼女だが、一応初対面の時はきちんと淑女らしい猫を被っていたのである。僕の”婚約者”のせいですぐに外れたが。

 誘う方も誘う方だが、その誘いに乗る方も乗る方だとは思う。いったい”悪”はどちらなのやら。


「”哀愁令嬢”…。”飽きられ令嬢”……」

「なんだか物悲しいねぇ」

「感想が聞きたいのではなくってよ!? ですから、不本意ながらあなたも婚約者を奪われそうな身! 現状打破の為にもここは一緒に共闘ですわ! 目指せ”愛され令嬢”ですのよ!」

「僕は男だからねぇ」

「何故そんな返答になりますの!?」


 愕然としているが、惚けた返答の理由を言うなれば”愛されることも奪われることにも興味がないから”である。もし破談にでもなれば、がめつい親はまた似た様な相手を見繕って来るに違いない。いや、それどころか伯爵家の彼女に取り入れとでも僕の親ならば言うだろうか


 だが、そんな考えを素直に言う筈もない。

 だからのらりくらりと曖昧に笑う。彼女の様な貴族らしく蝶よ花よと育てられた”頭がお花畑のご令嬢”には、分からない話だろう。


 僕の”婚約者”が商家というだけで僕を見下していた様に、僕も貴族というだけで彼女本人を見ようとはしていなかった。むしろ線引いて無意識に蔑んでいたくらいだ。


 だから、彼女が「ねぇ」と声を掛けて来た時も、またしょうもない負け犬の遠吠えを聞かされるのだとぼんやりと聞き流していた。


「ちょっと、聞いておりますの?」

「うん…? ああ、はい」

「やっぱり貧弱ですのね。ちょっと代わりなさい」


 驚く隙にあっさりとオールを取られてしまった。


 しかし、見た目の通りオールを初めて使うのか、水面を無駄に叩くだけである。


「もうっ、何ですのこの棒っきれ! 扇みたいに軽くて漕ぎやすくするべきですわ!」

「それだと水の抵抗が凄そうだけどねぇ。って何してるの? 危ないって」


 少し急いで白く細い手からオールを取れば、たったの数回で掌が赤くなっている。試してみたいと思ったのだろうか。とはいえ、突拍子もないし無謀極まりない。


 思わず苦言を呈そうかと口を開こうとした瞬間、彼女が掌を見て拗ねた様に唇を尖らせた。大人びた見掛けに反して、年相応の子供の様な姿が覗く。


「だって、あなたは私の婚約者と違って貧弱そうですし」

「まぁ騎士程の体力はないねぇ」

「商家と騎士は違うのですから当然ですわ。それよりもずっと作業など疲れるでしょう。私も刺繍の時はこまめに休憩を取りますし。あなたと私は共闘仲間なんですから、力仕事は男性とはいえ少しくらい手伝えたらと思ったのですけれど」

「はぁ」


 思わずぽかんと曖昧な相槌が零れる。これじゃあ間抜けもいいところだ。

 しかし下手な返答を馬鹿にしたと捉えたのか、彼女は不貞腐れてそっぽを向いてしまった。豪奢な金髪が水辺の光を反射して煌めく。


「男性はいつだってそうですわ! お父様もそう! 甘え上手でも我儘を言う女性は駄目。賢しい女も駄目で行動的な女性も駄目。模範的なまでにお淑やかで貞淑で、小賢しくない程度の教養と男を立てて家を守っていれば良いってそればっかり! でも、女だからって何も考えてない訳じゃないですわ」

「えーっと、つまり」

「もう! やっぱり機知どころか機微が足りてないですわね! 戻りましょうって言ってるのです! あなたが私を馬鹿にしているのも、木船を追うことに乗り気でないことも気付いていますわよ! あなたが乗り気でない中、無理やり貴方の手を酷使するような”悪どい令嬢”に私が見えまして!?」


 え、いや……、と馬鹿みたいに狼狽えてしまう。愚かと傲慢にも見下していたのを見抜かれていたことも、格下の自分の手なんかを気遣うことにも、衝撃的で動揺する。


 しかしそんな酷い相槌でも否定されたことに満足したのか、彼女はツンっとまた顎を反らしてアヒルボートの端に寄った。


 こんな時でも貴族特有の男女の距離に気を付けようとするのだから、彼女の父親の言う教育は根っから染み付いているのだろう。


「分かればよろしいのよ。分かれば。あの二人を監視出来ないのは悔しいですけれど、岸まで漕ぐのもあなたの体力頼りなんですから」

「はぁ」

「さっきからそればっかり! もう! しゃきっとしなさいしゃきっと! 独立でも継ぐでも婿養子でも、そんなぬるぬるしてたら婚約者どころかお客さんも大流れですわよ!」


 そう言って僕を睨みながら持っていた折り畳みの小さな日傘で自分の手をぺちぺちと叩くのだから、僕は漕ぐことも忘れて彼女を見つめてしまっていた。


 僕が”頭のゆるいご令嬢”だと貴族を一括りにして馬鹿にして目を曇らせていた間も、彼女は素直な目で僕を見ていた。流し聞いていた言葉の中にも、僕の”婚約者”が吐く様な、毒を見てくれだけ着飾った言葉など無い。商家の倅だと馬鹿にすることも、僕を泥棒猫の婚約者野郎と色眼鏡を通すこともない。


 盲目になって愚かにも目を曇らせていたのはどちらだったか。


 改めて対面に座る令嬢は、こんなボロいアヒルボートなどに似付かわしくない美しい女性として目に映る。


 すると、離れてしまった木船の方から楽しそうな笑い声が風に乗って届いた。


 途端に僕への興味など失せて、そちらを燃える様な赤い目が睨み付ける。

 逸れた視線に安堵すると同時に、何故か惜しいと思う自分が居た。


 離れてしまった木船では、”婚約者”同士が貴族間の男女の距離感などなく寄り添っている。


 その様子を悔し気に、怒りを滲ませ、そしてようやくじっと観察したことで初めて”悲しそうに”睨んでいたと気付いた。


 気付けば木船から離れる様にボートを漕ぎ出し、口を開いていた。


 ぎぃこ……、ぎぃこ……と一定のリズムが耳を打つ。


「なんで、そんなに”婚約者”に執着するんだい? 今時、婚約破棄も良く聞く話だ。それほどあの”婚約者”を好いているとでも?」


 肯定され、惚気られてどうするというのか。まさか否定して欲しいとでも?

 彼女が”婚約者”をよそ見もせず一心に慕う姿など、これまで目にしていたというのに?


 自分でも何故こんな質問をと思いつつも問えば、彼女は木船から目を逸らさないまま首を振った。


 美しい顔立ちを厳選していく貴族という種は、確かに美を集約し血筋として残しているのだ。下賤な庶民なんかとは違う。だから、横顔からこんなに目が離せないに違いない。

 どこか言い訳の様に考えながら見つめていると、ぽってりとした赤い唇が震える。


「逆ですわ」

「逆?」


 不思議に思い続きを促せば、彼女はようやくこちらを向いた。軽やかな声が耳朶を擽る。

 

「私、父と母みたいな仮面夫婦だなんて嫌ですの。でも、領民の為の貴族の義務ぐらい当然だと思いますわ。幸い横暴な領主ではないですもの。ならば、家の存続は領民の為でしょうし」


 労働など知らぬ綺麗な指先が、日傘のひだを所在なさげに撫でる。


「でも妾や妾の子との確執もうんざり。ですから、どうせ政略結婚するならばその殿方と素敵な家庭を築きたいと思っていましたの。幸い彼とでしたけど、六十くらいの殿方との話が出た時も覚悟はしてましたわ」

「だから”逆”?」

「ええ。好きだから”婚約者”なのではなく、”婚約者”であるからこそ私は好きでいたいのですわ。だって、理想の家族はお互い愛し合っているのですもの」


 うっそりとほほ笑んだ令嬢は、そうしてすぐに拳を握り締める。


「目指せ”愛され令嬢”ですのよ! 私は諦めませんわ! ”諦めない令嬢”ですわ!」

「色々と盛り過ぎてるねぇ」

「あなたも諦めてる場合じゃなくってよ! このままだと”ありあわせ令嬢”だの”余りもの令嬢”だの言われて、お互いどんな相手になるか分からないですもの! それどころか、もしかしたら一生結婚出来ないかもしれませんわ!」

「それは困るねぇ」

「そうでしょう。そうでしょう」


 ようやく賛同したかと言いたげに嬉し気に頷く令嬢。


 秀麗で勝気な顔立ちに、愛らしい笑みが覗く。


 僕は、初めて自分の中で一つの執着が湧くのを感じた。


 単純に、この”愛情深い令嬢”が欲しい。

 ”愛して欲しいから、他人を愛せる令嬢”が欲しい。


 愛していればいつか愛情が返って来ると信じている彼女が愛らしい。

 愛し合う家族を望む奥にある、幸せになりたいという願いは痛ましい。


 彼女の言葉を聞けば、決して恵まれた家族仲でなかったことは簡単に分かる。それでも腐ることなく真っ直ぐでいる彼女の強さは、外面以上の内面の美しさを魅せる。

 それは無邪気や無垢さの表れではなく、真逆の、汚さを知っているからこその純粋な願いだ。


 『婚約者』という地位だけで彼女からの一途で切実でひたむきなまでの祈りが込められた愛情が貰えるのなら―――今、産まれて初めて欲しいものが出来た。


 同時に、僕の中で彼女の”婚約者”へと嫉妬と怒りが初めて湧く。


 僕の”婚約者”を取られたからでは勿論なく、”婚約者”というだけで無条件に彼女の愛を享受している嫉妬と、その愛を粗末に踏み躙って彼女を傷付けている怒りが。


 これまでは彼女が言うところののらりくらりとした生活だった。これといった欲しいものもやりたいこともなく、安穏さを望む日々。だから目まぐるしくて強烈で、苦しい程の感情の波は忙しいし疲れる。


 でも、それに踊らされている自分を驚きと共に楽しんでもいる。


「ねぇ」

「なんですの」


 呼び掛ければ、きょとりと彼女が瞬く。


 ねぇというたった一言の声を掛けることに、こんなに声が震えそうになったことなど無かった。

 こんなに言葉を探して不安になることも、反応が怖くて心臓が震えそうになることも無かった。


 けれど、生きているという実感が湧いた瞬間、すんなりと言葉が出ていた。


「”愛し合う令嬢”を”一緒に”目指そっか」

「いいですわねそれ! あなたも偶にはやるじゃない! 目指せ一緒に”愛し合い令嬢”ですわ!」


 意気軒昂な様子に、僕も笑顔で頷く。

 裏の言葉プロポーズの”僕と”だなんて、最後の時に気付かせればいい。



 




 数年後、一組の夫婦が誕生したが、何だかんだと旦那の方が尻に敷かれた様であった。


 でも、それはそれは幸せに暮らしましたとさ








 「あ」から始まるご令嬢 おしまい




 

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